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こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は日本の代表する演歌歌手の
坂本冬美さんは芸能生活32年目です。
美人顔で演歌を歌っている姿は演歌には欠かせない
着物姿はすっかり本格派の着こなしで
歌い続けて若さを感じる歌手ですね。
こぶしの利いた力強く説得力ある
歌声は見ても変わらない人気が有りました。
坂本冬美さんは歌い続けられる
秘訣は幼い頃に遊んでいた場所が
どんな所だったのか
出身地が気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
坂本冬美の生い立ち!
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昨年、デビュー35年を迎えた
坂本冬美さんは和歌山県の南東部の
冨田川沿いの山間で母親20歳の時に
生まれました。
紀州灘は少し離れていて、父親は
出稼ぎで漁師として働いていました。
生まれた場所が山間で、海での仕事が
外海での仕事が無いときは猟師しとして
自宅近くの山に入っては、鹿、イノシシ
野鳥を仕留めて、家族の為に仕事として
収入を得ていました。
また、土木作業も手掛けていて
常に家族のことを思い懸命に
仕事にたづさわっていました。
実家家族には祖父と一緒に過ごしていました。
祖父は歌が好きで、いつも歌を聴き
坂本冬美に歌わせて、リクエストして
宴会場の舞台で歌っていた。
坂本冬美のプロフィール
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- 本名:坂本冬美
- 別名:さくら なな
- 生年月日:1967年3月30日
- 出身地:和歌山県西牟婁郡上富田町
- 身長:160cm
- 体重:56.3kg(標準体重)
- 血液型:O型
- 星座:おひつじ座
- 学歴:和歌山県上冨田町立朝来小学校卒
和歌山県上冨田町立上冨田中学校卒
和歌山県立熊野高等学校卒 - 趣味:映画鑑賞・書道・ゴルフ・ドライブ
- 特技:ソフトボール
- ジャンル:演歌・歌謡曲・J-POP
- 活動時期:1987年-2002年
2003年- - レーベル:ユニバーサルミュージックジャパン
(Prime music/サクラスターレコード)
事務所:ティアンドケイ・ミュージック
実家家族
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- 父親:坂本正夫さん(出稼ぎ・漁師・猟師・土木作業)1997年交通事故で死去
- 母親:優子
- 長女:情報は見つかりませんでした
- 次女:本人
- 弟:誠次
幼い頃は出身地!
幼い頃から祖父が歌が好きだった事で
子供の頃に歌うことが好きになっていったのです。
父親が出稼ぎに行っている間
母親が3人の子供を育てていくのに
躾に厳しかった。
子供達が悪いことをしていると
お仕置きとして両手を挙げさせて
重い灰皿を持たせて立たされた事もあった。
少々おてんばなところもあって、母親の真似をして
カミソリで眉毛を整えようとして全部剃った。
これって、女の子だったら一度は
経験しているのでは無いでしょうか?
子供時代は男の子と一緒に遊んでいた。
ビー玉、缶蹴り、ピストル遊び、
裏山に基地を作って遊んでいた。
小学校5年生の時に石川さゆりの
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ファンに憧れて演歌歌手を志したのです。
2年後の中学生の時は演歌歌手の夢を
持っていて、作文で演歌歌手を志すと
発表しています。
「十年後の私」という作文に
「演歌歌手としてデビューする」と
書きとめていたのです。
中学時代は学級委員を務め、生徒に
はっきりものを言う事で、
言い過ぎがホームルームの議題にもなったほどです。
中学時代の部活はソフトボール部で
ポジションはキャッチャーとして務め
常に大声で指示して喉を鍛えていた。
余りの声の出し過ぎで喉から出血した。
ソフト大会は中2・中3と連続郡大会を制しても
県大会で敗退していた。
演歌歌手を目指して!
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小学時代から石川さゆりに憧れて
演歌歌手を目指し、高校時代はカラオケセットを
購入して、毎日歌の練習をしていた。
当時の初恋の相手がサザンオールスターズのファンで
あったことからよくサザンオールスターズを聴いていたそうです。
歌う曲のレパートリーの幅広のは、
高校時代から来ているのです。
高校を卒業して、郡上富田町を離れて
大阪市内のレストランに就職します。
経理の仕事をしていました。
時間が有れば、休みの日、仕事から帰って来て
毎日の様に練習を重ねていました。
4ヶ月で退社しました。
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和歌山の実家に戻り、知り合いの
ラジオ「和歌山放送」のディレクターの
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紹介で梅干しの会社「株式会社ウメタ」に入社しました。
白衣を着て梅干しの塩分や
酸味の検査をしていた。
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近所の自宅に立派なカラオケセットが
設置されていて、お昼休みに毎日歌の練習をしていた。
その知人が歌を録音して、NHK「勝ち抜き歌謡天国」
和歌山放送局にテープを送ったのです。
その結果、見事合格し優勝しました。
19歳の時でした。
その時作曲家の猪俣公章さんに目が留まり
内弟子になって、弟子入り時代は、犬の散歩
家の掃除、食事の支度、車(ベンツ)の運転手
猪俣さんが六本木で飲んでいる間、
車の中で練習、待っている間トイレにも
行けなくて8時間じっと我慢した。
猪俣さんがベンツに乗っている時
何度か車をこすった事もあった。
弟子のマルシアさんと切磋琢磨して
デビューを目指しました。
20歳の時に演歌歌手としてデビューを
飾ると、いきなりヒットしたのです。
女性演歌歌手としては大物の一人となったのです。
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坂本冬美の生い立ち!幼い頃の出身地!演歌歌手を目指して!のまとめ
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幼い頃から祖父の歌を教えてもらい
自分なりに、演歌と言うものを
身に着ける努力は母の優子さんの
お陰かもしれません。
躾に対して、厳しい面もあり
カラオケセットを買うために
高校生時代アルバイトをして
貯めたお金で、両親には援助してもらうこともなく
自分で志して、演歌歌手へと道は開けていったのです。
坂本冬美さんは私生活では食べ過ぎの所が
見受けられます。
やはり、歌い手さんは食べ盛りじゃないと
歌えないのでしょうかね?
そんなことは無いと思います。
自分の体調は自分にしか分かりません。
これからも歌い続けるには健康が第一です。
これからも歌を愛し、自分を愛し
私たちに歌を伝えてください。
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今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。