![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/0011-25-300x300.jpg)
こんにちは、自由 まなぶ です。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は、還暦を迎える
松本人志さんです。
兵庫県尼崎市は、東海道線・JR神戸線
JR宝塚線・福知山線の分岐点になっている。
尼崎は工業地帯で大手の会社が
ひしめき合って、鉄道製品、農機具製品の
製造していた会社が有ります。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/1810240700_5-714x4761-1-300x200.jpg)
そんな中、松本人志さんの父親の仕事は
鉄道職員?舞台装飾や室内装飾を仕事として
働いていたとの噂があった。
ただし、父親の給料は高給取りではなかった。
子供の頃に外食をする時
寿司屋では安い握りのタコばかり頼んで食べた。
洋食屋でもボリュームがあってお腹にたまる
チキンライスを頼んだ。
父親が還暦を迎えた時は
今の松本人志さんと合わせたら
どんな父親だったのでしょう。
松本人志さんは父親とのエピソードを
お兄さんを可愛がって、弟の松本人志さんを
夜、オートバイで遠くまで連れて行き
その場に置いて行く、父親はオートバイで
その場から猛スピードで去ってゆくのを見て
父親の背中が遠くなってゆくのが寂しかった。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/CTPXC5FYDVLILCT6Z7Q2PD4VBA1-1-300x200.jpg)
そんな松本人志さんの
生い立ちや育った場所が
どんな所だったかが
気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
松本人志の生い立ち!
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/f_125348741-300x291.jpg)
兵庫県と大阪府との県境の尼崎で
3人兄弟の末っ子として誕生した。
末っ子ともなると、両親から見放され
自由気ままに育てられたと思いきや
末っ子ゆえの惨めさが父親から
今で言う、虐待とでも言いましょうか。
長男と長女は常に甘やかされて育った。
末っ子の松本人志さんは違っていた。
父親からは嫌がらせをさせられて
自宅の隅っこで、なんで僕だけ
「イジメられるんだろう」と子供心に思っていた。
末っ子の特権は、家族の中でも自由気ままな
生活が送れたこと。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/CTPXC5FYDVLILCT6Z7Q2PD4VBA1-300x200.jpg)
しかし、父親の給料では5人家族を養って
いくことが厳しく、末っ子の松本人志さんには
欲しいものはほとんど買って貰えなかった。
そんなこんなで、幼い頃は近所で遊んでいた事で
勉強もスポーツも苦手、また、人見知りが激しかった。
そのために中々友達ができなかった。
貧乏で自転車を買って貰えなかったことで
自転車に乗ったふりをして尼崎を走り回っていた。
エア自転車に乗って街中を走っている発想が
笑いの天才の走りだったのです。
発想の転換が想像へと変わっていったのです。
大阪に近い尼崎市で父にイジメられた!
小学校入学は尼崎駅に近く、
福知山線と宝塚線を走る電車、
2005年に107名の人が
犠牲になった場所の近くでもある。
私は事故当時は東京から新幹線で
仕事で姫路に向かっている時に
新幹線の中の掲示板で知った。
大阪を出て現場近くを新幹線が
走っていると、上空にはヘリコプターが
旋回していたのを今でも思い出します。
その尼崎の生まれの松本人志さんは
地元の公立小学校に入学した。
兵庫県尼崎市で父にイジメられた!
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/o08000600110294071801-300x225.jpg)
子供の頃から運動神経が抜群でとはいえず
勉強も苦手でした。
ただ、笑いを取るのがクラスメイトに
一目置かれていた。
小学五年生の時に友人2人でお笑いトリオを
結成して、クラスでネタを披露していた。
松本家はとにかく貧乏で、買っていた犬のえさ代が
買えずに、父親が処分した。
また、幼い年後の乗り物と言ったら自転車
買って貰えずに友達のうちの自転車に
乗った真似をして遊んでいた。
また、運動神経は、少年野球のチームに
グローブを持っていなかったから一日で
やめてしまった。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/o08000553144233350911-300x207.jpg)
父親の仕事の関係でうめだ花月の招待状を
もらってくるようになり、家族で
お笑いを見に行くようになった。
それを機にお笑い芸人に憧れるようになった。
お笑いを見るようになってから性格が
暗かった人生から明るくなった。
小学校を卒業して、地元の公立中学校に入学した。
中学校ではクラブ活動は帰宅部だった。
中学2年生の時に浜田さんと同じクラスになり
初めて口をきいた。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/LL3UHW3LDFPPVBF2MG6TISKPEI1-300x200.jpg)
すぐに意気投合して、浜田さん悪ガキの代名詞
中学校では相当な悪ガキで悪ガキグループを
結成していた。
今でも中学二年生にタイムスリップしたいと
中学二年生だった時のことを思い出すのです。
中学3年生になって浜田さんとはクラス替えで
グループがバラバラになって松本人志さんは
誰も友達が居なくなった。
中学3年生の時、松本人志さんは悪ガキグループは
放送部に入部した。
そのため、放送部を乗っ取って、
放送室がたまり場になっていた。
松本人志さんは家が貧しかったので
当時としてアルバイトと言ったら新聞配達ぐらいしか
中学生のアルバイトは無かった。
松本人志さんは浜田さんと一緒に
小遣い稼ぎに、朝から新聞配達を
して、自分の小遣いを稼いでいた。
中学校を卒業して、高校は県立の共学の工業高校に受験して
入学しました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/13028431-296x300.webp)
部活動が盛んで、ウェイトリフティング部や
自動車部は全国的な強豪校です。
浜田さんとは小中学校は一緒でしたが
高校は別の高校に入学しています。
高校では部活動に所属していましたが
部活動はおこなっていません。
当時の工業高校は荒れていて、番長は生徒会長。
高校時代も小遣い稼ぎに、アルバイトをしていた。
時給340円という安さだった。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/matsumotohitoshi400-267x4001-1-200x300.jpg)
浜田さんの高校は三重県の全寮制の高校に入り
大阪と三重県とでは遠距離で会う機会が
あまりなく、浜田さんが高校を脱走した時
空腹だった時に助けてうどんを食べさせた。
松本人志さんは高校を卒業して進学ではなく
就職先は日刊アルバイトニュースに印刷工として
採用が決まっていたが、浜田さんにお笑いを
一緒にやろうとお笑い芸能学校の吉本総合芸能学院(NSC)に
入校しました。
学校が開校した第一期生の卒業生として
同期にはハイヒールやトミーズさんがいます。
入校直後に松本人志さんは浜田さんと
お笑いコンビ「ダウンタウン」を結成しました。
松本人志のプロフィール
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/20180218s00041000181000p_view1-221x300.jpg)
- 本名:松本 人志(まつもと ひとし)
- ニックネーム:まっちゃん
:まっつん
:マッチョ - 生年月日:1963年9月8日
- 出身地:兵庫県尼崎市
- 身長:172cm
- 体重:68kg
- 血液型:B型
- 星座:乙女座
- 学歴:尼崎市立潮小学校卒
:尼崎立大成中学校卒
:兵庫県立尼崎工業高等学校機械科卒業 - 出身:NSC大阪校1期
- 趣味:ゲーム・ボクシング観戦・美術館巡り
- 特技:絵画(イラスト)ビリヤード・スポーツ吹矢・水泳
- 職業:芸人・お笑いタレント・俳優・映画監督・作家・コメディアン・司会者・コメンテーター
- ジャンル:テレビドラマ・映画・舞台・CM
- コンビ名:ダウンタウン
- 相方:浜田雅功
- 芸風:漫才・コント(ボケ)
- 立ち位置:左
- 活動期間:1982年-
- 配偶者:伊原凛
- 親族:松本隆博(兄)
- 同期:トミーズ
:シイヒール
:内場勝則 - 事務所:吉本興業
実家家族
|
松本人志の生い立ち!兵庫県尼崎市で父にイジメられた!実家の家族!まとめ
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/20211218s00041000202000p_view1-238x300.webp)
兵庫県は尼崎市で末っ子として生まれた
松本人志さん、父親のスパルタ的な
教育の仕方が、松本人志さんには辛かった。
物心つくころには、父親からの虐待と
今はそうかもしれません。
しかし、松本人志さんは、父のいじめは
父親の教育だと思って、耐えていた。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/102711681-300x270.webp)
そんな幼い少年は、心をまぎらわせてくれる
関西のお笑いに興味を示し、
両親と招待券をもって、花月の
お笑いで、ホッとする自分を見つめていた。
高校を卒業するとお笑いの世界へ
飛び出した、松本人志さんは絶大な
人気をが有り、愛されながら
これからも、体に十分気を付けて
健康でさらなるご活躍される
ことを期待し応援して行きます。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。