自由まなぶ
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今回の記事では
スポーツ(プロ野球)選手の寺田光輝さんが
医学部に合格した記事をまとめていきます。
最近では、ラクビーボールの選手だった
福岡堅樹(ふくおかけんき)が
順天堂大学医学部に見事合格した。
今回は、元DeNA投手の寺田光輝さんが
東海大学医学部医学学科に編入試験に合格した。
幼いころから野球好きな少年は
小学生から大学、プロ野球を目指した。
寺田光輝さんを検索してみると
色々と分ったことが有りました。
三重県の小学校に通っていた3年生の時に
野球を始めました。
実家は寺田クリニックという病院です。
寺田光輝さんのプロフィール
- 寺田光輝(てらだこうき)
- 生年月日:1992年1月5日
- 出身地:三重県伊勢市
【学歴】
伊勢市立厚木小学校・3年生の時に軟式野球を始める
中学進学後は軟式野球部へ所属しました。
高校は伊勢市の進学校・三重県立伊勢高校(偏差値57~60)に
入学後硬式野球部へ入部しました。
三年生の時、甲子園とは無縁だったチームを
春季三重県大会で準決勝まで導きました。
投手として活躍して高校生活を終えました。
その後、三重大学教育学部に入学します。
しかし、
三重大学の教育学部の「レベルの高さに圧倒され」大学1年夏に休学します。
同大学の医学部を再受験しますが、二次試験は不合格になりました。
2年後、後輩の誘いで茨城県の筑波大学に入学しました。
筑波大学では硬式野球部へ所属
4年生の時、救援投手として、首都大学野球のリーグ戦に登場します。
この間も、野球をあきらめきれず、投手としての
練習を続けたもののプロとして自信がなくあきらめました。
第二の人生、硬式野球への道へ
筑波在学の同期生にはラグビー選手の福岡堅樹さんがいました。
卒業後は三重に帰って地元の銀行へ就職予定でした。
当時の硬式野球部助監督(奈良隆章さん)から
「ここで野球人生を終わるのはもったいない
野球を続ける道を探したらどうだ」と勧められたきっかけに
独立リーグからNPB(一般財団法人日本野球機構)を目指す
ことを決意しました。
石川ミリオンスターズに入団
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銀行内定を辞退して、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の
石川ミリオンスターズに入団しまた。背番号は14です。
2016年入団一年目からクローザー(抑える投手)
「リリーフピッチャー」として、前期リーグ戦(全36試合)だけで
20試合に登板し1勝11セーブ自責点0と好成績を残した。
後期も40試合登板し3勝1敗10セーブ、
防衛率1.11と好調だったが
秋のNPBドラフト会議ではどの球団も指名は無かった。
2017年の二年目は、成績は通算0勝3敗10セーブ、防衛率2.14と
前年を下回ったが、NPBドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから
指名を受けやっと入団が決まったのです。
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2018年、DeNAに入団した寺田光輝さんは、
6月26日に横浜スタジアムで二軍主催の公式戦
(イースタンリーグ対東北楽天ゴールデンイーグルス戦)
9回の表に登板しましたが、腰痛を発症したのです。
後の診断で椎間板ヘルニアが判明しました。
8月に患部の手術を受けシーズンを通じて二軍生活に終始してした。
公式戦では、13試合の登板で0勝1敗、防御率6.00を記録しました。
しかし、手術後も腰痛に悩まされていた。
2019年は、腰痛のせいで、投球ホームを
変えて試合に臨んだがイースタンリーグでは、
公式戦唯一の初勝利を挙げた。
その後の成績は振るわず結果として
防御率が9.86にとどまった。
結局、DeNA一軍公式戦への登板機会が無くり10月1日に
球団から戦力外通告を受けたのです。
家族からは、長男でありながら、今まで自由に野球を続けられ
本望ではなかったのでしょうか。
最後の引退試合になったのは、11月12日に12球団合同トライアウト
大阪シティ信金スタジアムへ参加した後に、現役からの引退を決めたのです。
寺田光輝さん引退後の道
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野球に限らず、スポーツ選手による怪我は
進退問題でもあります。
また、年齢的にはまだ働かなくてはならなくて
収入も現役時代とは大きく差が出てきます。
そんな寺田さんが引退後、「伊勢市の少年野球に何か貢献したい」と
思い浮かべたのが実家の家族が医師であることから
ラグビー選手だった福岡さんと同様の医師を
目指すことを決めたのです。
三重県でも新型コロナウイルスへの感染拡大に
向き合う父やアメリカの元プロ野球選手の
マーク・ハミルトン(セントルイス・カージナルス時代の
2011年にワールドシリーズを制覇した経験の
元メジャーリーガー)のような医師になる事を決めた。
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2020年2月から塾の予備校に勤務しながら
再び医学部の入学試験に向けて勉学に励んだ。
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今年、2021年6月末に東海大学の医学部
編入試験に合格した。
10月から東海大学へ5年半在籍して
所定の課程を修了後に医師国家試験を受験します。
希望している科は、診療科「スポーツ整形外科や内科」で
医師国家資格に合格すれば、NPBの選手経験者から
初めて医師誕生となります。
まとめ
わたしは、寺田さんの事は、知りませんでした。
ラグビー選手の福岡さんは、話題になっていたので
知ってました。
今回、寺田さんの記事を書く事で、
13年間の間で、文武両道で勉学、スポーツの二刀流的な
事を自分の物として、実行してきたことは
実に良い経験だったと思います。
野球との出会い小3から大学、NPB(一般財団法人日本野球機構)から
プロ野球へ進んだ道は、自分にとって良い経験だったと思います。
もし、寺田さんが身体の故障もなく、新型コロナウイルス感染拡大に
遭遇していなかったならば、野球を続けていたでしょうか?
プロ野球選手の中には、守備はほどほどで、本塁打を
打つことだけに専念している人もいます。
打てなければ、おしまいです。(二軍落ちは見え見えです)
寺田さんの場合は、実家がたまたま、家族が医者だった
からこそ、小さい頃は野球選手だったかもしれませんが
幼い頃に見た現実は医者だったのかもしれません。
5年半後の寺田さんは医師免許取得して
先生として伊勢市の子供たちの診療に携わっている事でしょう。
寺田さん情報が有ったら、記事を書きます。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。