jiyuu612
わくわくウキウキなこと PR

片桐はいりの生い立ち!幼い頃は大森の高低差で育った!実家の家族は!

記事内に商品プロモーションを含む場合があります


こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、還暦を迎える

人生の節目に当たる俳優さんを

取り上げてみました。

子供の頃からおかっぱ頭をしている

女優の片桐はいりさんです。

そんな片桐はいりさんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

片桐はいりの生い立ち!

 

大田区大森の生まれの片桐はいりさん

大森は東京湾にも近く

鉄道も私鉄(京急線)、JR東が南北に

走っています。

JR大森駅は明治時代には、横浜までの

停車駅として1976年6月12日開業した。

大森の街は工場地帯とはちょっと

違った街で、当時は大手のトラックメーカーの工場も有った。

また、海沿いには町工場で仕事終えた人々が

平和島競艇場や大井競馬場に行き一日の

日当を賭けて大勢の人の遊び場です。

そんな場所とは少し小高くなったジャーマン通り

幼い頃からの通い道であった。

かってドイツ学園があった通りで

関東大震災の時にね横浜から大森に

多くの外国人の人々が移り住んだ町です。

山王から馬込、池上のあたりは

古くは景勝地があり、明治時代から

文化人が集まるオシャレな街になった。

幼い頃は大森の高低差で育った!

食事時にはレコードプレーヤからクラシック音楽が流れ

芸術的な家庭で育ったお嬢様でした。

そんな、幼い頃からコンプレックスを持っていた。

映画「男はつらいよ」の主人公役の寅さんや

落語家の笑福亭仁鶴さんの娘だとからかわれ

自分の顔にコンプレックスを持っていた。

自分の顔に段々ひねくれる正確になっていった。

映画好きなになったのは、日比谷映画館で

観た映画「101匹わんちゃん」を鑑賞して

外に出て日比谷の西洋風のビルディングがロンドンに居るような

錯覚を起こした。

また、当時「ジョーズ」を観た後にこわくて

お風呂に入れなかった。

更に上野の東京文化会館で「白鳥の湖」のバレエを

見て感動してダンスに取り憑かれて

自宅に帰って白鳥の湖の思い出を壁に描いて叱られた。

幼稚園の頃から反抗して先生に「お花の絵を描いたのね」と

言葉をかけると、「違う」と言っていた。

幼稚園を卒業して、小学校は区立の小学校に

入学しました。

学校の横の道路はジャーマン通りが東から西側に

走っています。

片桐はいりさんは本が大好きで本を読んだりお話したり

することが大好きでした。

学校に登校し一日の学校での出来事を

下校して、母親の元で、今日あったことをどんな表現で

伝えれば母親はウケるかを考えていた。

どんな本を読んでいたか?

源氏物語や平家物語などの日本古典を読みました。

ポプラ社の子供向け古典全集は全て熟読した。

平家物語は武将の名前や、馬の名前を全部暗記して

「祇園精舎の鐘の声・・・・」と暗唱するお嬢様でした。

6年間を過ごした大森の区立の小学校を卒業して

中学校は私立の中高一貫校を受験して合格しました。

中高一貫校はカトリック系の女子校。

中等科に入学した片桐はいりさんは

部活はバスケットボール部に所属しました。

中学一年生の時「アルプスの少女ハイジ」が好きで

毎日片桐はいりさんは「アルプスの少女ハイジ」の

主題歌を歌っていたら、クラスメイトが「はいり」と

あだ名をつけた。

実話としてテストの答案用紙の名前の欄に「片桐はいり」と

書いていた。

また、「サザエさん」が好きで片桐はいりさんは

原作者の自宅を訪問してサインをもらった。

3年間の中学生活も終えて、高校はエスカレーター方式で

よっぽど、成績や出席数が足りない生徒は

別の高校への進学となっている。

片桐はいりさんは高等科に進学しました。

中学時代からバスケットボール部に

所属していた事で高校でもバスケットボール部に所属しましたが

運動が苦手で体育の授業の成績は「2」でした。

大森から高等科までの距離は約3.2km

場所に有り、歩いて約40分ほどかかります。

バスを通学として利用すると約23分で学校に着きます。

学校へ通学する際、夏冬の制服は半袖で登校していた。

学校帰りの放課後は映画好きな片桐はいりさんは

お小遣いがあれば有楽町や銀座の映画館に通っていた。

学校から有楽町まで約40分で行けます。

帰りは有楽町から大森までは電車で約25分です。

12kmの距離ですが電車の往来が多く

待ち時間も分刻みで駅のホームで待っていれば

目的地まで行くことができました。

映画館で作中の別世界に入り込んで、本人が主人公に

なったつもりが片桐はいりさんには

楽しい時間だったのです。

3年間を映画館との一緒に過した

訳では有りませんでしたが、大学受験を控えて

大学は日本文学を専攻して演劇部に所属した。

「文学!武蔵野!」というイメージで成蹊大学を選んだ。

片桐はいりさんは演劇部に所属して

普通の役なのに片桐はいりさんが舞台に立つと

笑いが取れて、彼女の顔立ち「エラが張った」が

面白みに役に立ったと自ら発見した。

そして、舞台で演じるうえで顔立ちが武器になった。

大学時代のアルバイトは映画館でのチケットもぎりの

アルバイトをしていた。

当時の時給は450円で彼女にとって映画館に居ることで

映画を観ていることが救いだった。

1日のバイト時間は8時間で週3日で12日間働いていた。

大学時代は映画館への就職を考えていました。

演劇部で自分の武器を発見した片桐はいりさん

面白くなく、思いで作品作りに劇団「ゴキブリ自発団」に

入団しました。

舞台に立った片桐はいりさんを電通の社員が見て

「ミスタードーナッツのCMキャラクター」に

なりませんか?とオファーがあった。

1981年21歳の時、片桐はいりさんは、明石家さんま

歌いながら店を訪問「期待してきたんですけど」と

店員に迫る演技をして話題になり一躍有名になった片桐はいりさん。

このCMがきっかけで映画やテレビの仕事が来るようになった。

劇団「ゴキブリ自発団」を辞めて片桐はいりさん独立した。

片桐はいりのプロフィール

  • 本名:片桐 由美(かたぎり ゆみ)
  • 生年月日:1963年1月18日
  • 出身地:東京都大田区大森
  • 身長:172cm
  • 体重:65kg(標準体重)
  • 血液型:B型
  • 星座:山羊座
  • 学歴:大田区立山王小学校卒
      :私立香蘭女子中等科校卒
      :私立香蘭女子高等科卒
      :成蹊大学文学部日本文学科卒業
  • 職業:女優
  • ジャンル:映画・テレビドラマ・舞台
  • 活動時期:1982年-
  • 趣味:料理・映画鑑賞・裁縫・ドライブ
  • 所属:劇団ゴキブリの自発団(1982年-1992年)
  • 事務所:スターダストプロモーション

実家の家族(祖父母の古い家、母屋の横に蔵があり表玄関はお寺のような立派な住まい)

  • 祖父母:母方の大阪船場で化粧品の問屋を経営していた。東京に住んでいても大阪弁を使っていた。
  • 父親:サラリーマン一般の方です。(父親の仕事は全国を行ったり来たりする営業マン)2004年に他界しました。
  • 母親:一般の方です。(昭和の働き者の女性)2011年に他界しました。
  • 長女:本人
  • 長男:片桐真さん一歳年下です。(海外に住んでいます)

片桐はいりの生い立ち!幼い頃は大森の高低差で育った!実家の家族は!のまとめ

東京都大田区大森の生まれの片桐はいりさん

幼い頃から父親の影響で、映画好きになって

今年で還暦を迎えました。

60年の歩みは、昭和、平成、令和と

私にとっても目まぐるしい生活の中で

女優として、特徴のある顔には

武器としては負けられません。

女優としての武器は、体力です。

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

error: クリックできません。