こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は、還暦を迎える
人生の節目に当たる俳優さんを
取り上げてみました。
長野県木曽福島の盆地で生まれ
幼い頃から演劇が好きで
両親には仕送りするために高校卒業して
国鉄に入社して国鉄が民営化された時期に
塩尻で保線区の仕事でふた手に分岐する
線路の向こうに夢を探しに自主映画を学びながら
最初はミュージシャンビデオに出演した事が
きっかけで俳優活動をはじめた田中要次さんです。
そんな田中要次さんの
生い立ちや育った場所が
どんな所だったかが
気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
田中要次の生い立ち!
長野県の南西に位置し、中山道の宿場町で
盆地の町の中で誕生しました。
盆地という事で、夏は暑く、冬は寒さが一段と
身体に凍みる地域です。
夏と冬の気温差が大きく内陸性の気候で
山々に降る雨が木曽福島の町を流れる
木曽川の上流は穏やかに流れ、水も豊富な地域です。
木曽福島は盆地で冬場は雪も多く交通に鉄道を使って
長野に買い物に行くより名古屋方面が
都会だと感じていた。
当時は国鉄で「特急しなの」で1時間30分を切っていた。
また、長野までは「特急しなの」で1時間30分はかかっていた。
長野のまでの距離はほんの少し短かったが
木曽福島の方々は名古屋方面に足を向けた。
田中要次さんの町は、中山道の宿場町で江戸から山間部の
道を歩いて、途中の宿場町で一休みする場所でもあった。
江戸時代はお伊勢参りは、今みたいに新幹線日帰りですが
3ヶ月かけてお伊勢参りをしていた。
行は東海道を歩き、帰りはのんびり中山道の山道を
歩いて帰っていたと言い伝えられています。
今は木曽福島は宿場町として江戸時代の建物が
木曽川に沿って両側に格子戸や看板が掲げてあって
宿泊するお客さんを出迎えてくれます。
ここは、温泉も出て温泉町でもあります。
御嶽山の温泉脈が木曽福島には通っていると
思われます。泉質は鉄分が多く、肌がつるつる
温泉湯はほど良く心地よい温泉です。
長野県木曽郡木曽町で幼い頃に育った!
田中要次さんも幼い頃は、銭湯に入ったかは
不明です。
木曾福島の町の中は、昔は観光化していなかった。
当時は砂利道で、両サイドの自宅からは
杉を燃やして、煙突から煙が各家庭から
もくもくと白い煙を排出していた。
自宅の中は、山の木を伐りだして運搬に使う
馬小屋が有って、自宅と馬小屋が一緒になっていた。
当時は運搬には馬がクルマの役目をしていた。
木曽福島の小学校を卒業して、
中学校は小学校3校の生徒たちが木曽福島中学校に
集結して、人数も小学校時代とは違って
多くの生徒達と出会う事になります。
中学校に入学して、部活動はバスケットボール部に所属した。
また、文化部は放送部に在籍していました。
中学校を卒業して高校受験は木曽福島にたった一校の
県立高校を受験しました。
当時の生徒数は団塊の世代の最後の方でしたが
まだ、大勢の生徒が受験したと思います。
無事合格して高校に入学しました。
高校は中学時代からバスケットボール部に
所属していましたが、スポーツクラブではなく
女子生徒が多い演劇部に所属しました。
思春期時代の高校1年生は違和感を覚え
退部して軽音楽部に改めて入部し直した。
木曽福島では高校生のバンドを組んで音楽活動を
3年間続けた。
高校卒業後、大学に進学せずに
両親へ仕送りするために、就職を選んだのです。
就職先を選択したのは国鉄を受験して合格し
1982年最初の配属先は塩尻駅でした。
木曽福島から塩尻までは通電車で約45分ほどかかります。
塩尻駅には中央本線(名古屋・長野間)(長野・新宿間)の
合流地点になっています。
塩尻駅は東京方面、名古屋方面と分かれ道
田中要次さんは国鉄時代、どっちの道を
進んで行きたいと志したのですかね?
1987年に国鉄が民営化になって
田中要次さんはJR東海の社員として
愛知県の岡崎保線区に配属された。
演劇部で映画が好きで、愛知県で働くようになって
休みの日に映画館に多く足を運んでいた。
また、自主上映活動に参加して各地を訪れた。
この時各地に行く旅費は、国鉄時代の特権が
使うことができていた。
国鉄に就職してJR東海を1990年12月に
退職した。8年8ヶ月保線区の仕事をした。
会社員時代に参加した自主映画活動で
多くの映画人の方達と出会いました。
そのおかげで1989年にシンガーソングライター佐木伸誘の
ショートムービー風ミュージックビデオ「SEEK AND FIN」に
BoBA(ボバ)という役名で出演しました。
現在、英語表記で「BoBA」として活動している。
本作で出演した役柄が由来。
本作で味わった撮影が楽しくて忘れられず
もう一度撮影に携わりたいと退職後に
塩尻の分岐点から東の中央線に乗り込んだ。
そう、会社を退職して上京しました。
上京後は竹中直人監督の映画「無能の人」で
照明助手を務めたほか撮影スタッフや宅配便の
アルバイトをしながら、生活する日々を送っていた。
35歳までバイク便のライダーとして
仕事をしていた。
俳優業に専念しようと決意したのは、
1994年の竹中直人監督の「119」で
スタッフとして仕事を終えていた。
俳優として1999年「鮫肌男と桃尻女」に出演した。
この頃にNTTグループのCMに出演していたこともあって
俳優として世間に認知され始めた。
下積み生活が長かった。
しかし、2001年テレビドラマ「HERO」の
木村拓哉が主演するドラマにレギュラー出演は
初めてであった。
ドラマでは自分自身を表に出して
とても無口なマスター役を演じ、
何を注文してもコメントが「あるよ」とだけ
応えるクールな振舞いが視聴者の間に人気となった。
本作は大ヒットドラマとなって、名物マスター役を
演じた俳優になった。
この時の平均視聴率は30%を越えていた。
田中要次のプロフィール
- 本名:田中要次(たなか ようじ)
- 別名義:BoBA(ボバ:英語表記の場合)
- 生年月日:1963年8月8日
- 出身地:長野県木曽郡木曽町
- 身長:178cm
- 体重:68kg
- 血液型:A型
- 星座:獅子座
- 学歴:町立上田小学校・町立福島小学校・町立黒川小学校(廃校)の3校のいずれかを卒業
:町立福島中学校の一校です。の卒業
- :長野県立木曾山林高等学校卒・2007年に木曽高校と統合し長野県木曽青峰高等学校
- 職業:俳優
- ジャンル:映画・テレビドラマ・CM・PV
- 活動時期:1990年-
- 趣味:カメラ・バイク
- 特技:ボーカルとキーボード
- 資格・免許:大型自動二輪免許
- 事務所:ザズウ
実家の家族
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家族
- 夫:本人
- 妻:三歳年下の一般の方です。(2004年7月7日結婚)
子供はいません。 - 子供の代わりに猫を飼っています。
田中要次の生い立ち!長野県木曽郡木曽町で幼い頃に育った!実家の家族は!まとめ
木曽福島で生まれ育った田中要次さん
両親は御嶽山より高い天国へ旅立ちました。
テレビドラマ・映画・旅行番組で
今年で還暦を迎える田中要次さん
猫と一緒に両親思いを届けて
これからも、体に十分気を付けて
健康でさらなるご活躍される
ことを期待し応援して行きます。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。