こんにちは、
自由まなぶです。
「わくわくウキウキのブログ」
にお越しいただき
有難うございます。
今日は幼い頃によく食べた
メロンパンの記事です。
私が60年前に住んでいた自宅の
裏手にパン屋さんが有りました。
朝早くから、出来上がった
パンの匂いが風に乗って自宅に
届くのです。
わたしは、当時の朝食は味噌汁、
小魚の煮つけ、と漬物でした。
雑穀米で白ご飯は当然ぜいたく
品でした。
当時は、菓子パンという名前の
パンは私の記憶には
有りませんでした。
コッペパン、メロンパン、
あんパンが、いちごジャムパン、
クリームパンあんパンの上に特殊
なチョコレート色が覆いかぶった、
チョコレートパン等。
砂糖の配給が少ない頃のパン作り
はパン屋さんは苦労されたと
思います。
荒尾 メロンパン
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/2012mkd011-300x300.jpg)
初代のパン屋さん「万幸堂」は
熊本県と福岡県の県境近くに
有りました。
当時は、三井三池炭鉱で働くかだ
方が大勢いました。
県境付近は、アーケード街で
人の往来も盛んでした。
その近くに、メロンパンを販売し
ているパン屋さんが有ります。
既に70年は越しています。
ここで働いていた「福山さん」
が、60歳の時に定年を迎え、
自宅で何もしないぼ~として
いる日が続き。
身体がうずいて、パン作りを
もう一度やりたいと、奥さん
に話をしました。
奥さんは素直に了解して
くれました。
元の職場の万幸堂に出向き
許可を貰って、苗字のふくやまを
お店の名前にして立ち上げ
たのです。
身体でパン作りの記憶をたどり
ながらもう一度、メロンパンを
作る事にしたのです。
ふくやまベーカリー
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住所:熊本県荒尾市川登1777-13
お店の名前:ふくやまベーカーリー
最寄りの駅はJR九州の荒尾駅
から車で東南部方向走って
約10分ほどのところに
ヨーロッパ調の薄茶色(パン色)
二階建ての建物がふくやま
ベーカーです。
この場所は、私は行った事が
有りません。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/432041-300x221.jpg)
近くに有る、グリーランド
(旧三井グリーランド)は
九州最大級の遊園地ができた頃は
家族で出かけてました。
夏場はブドウ・梨狩りをした覚え
が有ります。
ギオルギさん 修行
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偶然テレビ東京の月曜日夜の
番組を観て熊本県荒尾市の
メロンパンを紹介してくれた
番組「世界!ニホンに行きたい
人応援団」私の生まれ故郷
だったことで最後まで観ました。
ストーリーは、ジョージア人の
ギオルリさんがメロンパンに
憧れて、福山さんからパン作り
を一から教わるのです。
早朝からパンの仕込みが
始まります。
1日のスケジュールは
起床 | 3時 |
---|---|
出勤 | 4時 |
仕事 | :午後1時から |
:午後5時までパン作りの修行 | |
:午後8時に就寝 |
早朝からパン修行を、日本に来て
日本の風土に苦戦しながらも
パン作りに励みました。
荒尾の人達はキオルギさんを
応援したのです。
パン作りも真剣に取り組んで
2週間が過ぎると商品に近いものが
出来上がりました。
その後は、ギオルギさんは家庭の
事情で急遽帰国した。
まとめ
私が幼い頃に裏手のパン屋さんが
60年も経った今、メロンパンが
有名になるとは思っても
いませんでした。
幼いころからメロンパンが
大好きだったわたしは、いまでも
各地のメロンパンを買って
頂いています。
昔は、石炭で潤った街も今は観光
資源がない市町村で人が
減少しています。
北海道の夕張市の炭鉱の町は
次期産業の夕張メロンで
有名になりました。
炭鉱の町は次世代に残すために
炭鉱の施設を世に示すために、
ユネスコへ申請しました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/p_011-300x259.jpg)
熊本県荒尾市(万田坑)は、
ユネスコ世界文化遺産登録に
2015年7月に登録されました。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき
有難うございました。