こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は、俳優として
活躍とている
九州は佐賀県生まれの
松雪泰子(まつゆき やすこ)さんです。
いくつになっても、
変わらない美しい松雪泰子さん
芸能界に入るきっかけになったのは
佐賀県立鳥栖商業高等学校在学中2年生の
時に、雑誌「MEN’S NON-NO」
オーディションに応募し
「第一回メンズノンノ・ガールフレンド」に
選出されたことがきっかけで
松雪泰子が芸能界入りしました。
幼い頃の生い立ちがどんな所で
育ったのかが気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
松雪泰子の生い立ち!
佐賀県鳥栖市は福岡県と佐賀県との
県境に位置し、佐賀県の最東端に有ります。
九州の陸路の分岐点に有り
鉄道・高速道路が走っています。
西は長崎・東は大分・南は熊本、鹿児島と
分岐点の鳥栖市は栄えています。
そんな、場所で松雪泰子さんは
両親から生まれました。
鳥栖駅は鹿児島本線・長崎本線の
分岐点になっていて、
昭和の時代は鳥栖駅で列車が
到着して時間調整をする間
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/large_IP210330JAA000259000_0002_CDSP1-300x229.jpg)
駅構内のうどん屋さんに乗客が
降りて、肉うどんを注文して
立ち食いしたり、列車に持ち込んで
食べる人が居て、鳥栖駅は大勢の人が
利用していました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/img_9485655a70f5d83f394345244576f4291136891-e1660179442222-300x169.jpg)
鳥栖駅の直ぐそばが松雪泰子の自宅が
あったと思われます。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/3870631-300x225.jpg)
最近は駅前にはサッカーのスタジアムが
できて、大勢の人が応援に
駆けつけています。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/kyushu-shinkansen_shintosu1-300x225.jpg)
また、九州新幹線も2011年3月に
開業して新鳥栖駅ができています。
佐賀県でも鳥栖市はこれからも
発展して行く街になり栄えて行くでしょう。
また、鳥栖市は分岐点でもあり
医療関係の街に作るための準備も
始まっているようです。
父親の仕事は燃料店で鳥栖市内へ
燃料の石炭・木炭・コークス等を
配達していたとみられます。
時代が変わり、燃料も石炭から
ガスへと燃料が変わって行き
松雪泰子さんの父親は
先見の目が合ってガスへと
切り替えていったのだと思います。
そのおかげで、今は鳥栖市内約8000軒に
供給できるようにガス事業を展開しています。
余談になりました。
松雪泰子は幼い頃は、弟達と一緒に
男の子の遊びをしているようです。
昆虫や蛇を捕まえて、蛇のしっぽを持って
振り回してみたりした。
当時の田舎は麦を育て、麦が終わると
稲作を植えて、田んぼの中で
カエルを捕まえて遊んでいた。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/2016-07-17-12.05.061-300x225.jpg)
少し林の中では秘密基地を作り
秘密基地では捕まえてきた
カエルや蛇を木枠の中に入れて
飼っていた事もあった。
男の遊びのほかには
母親から習い事を進められ
ピアノ(幼稚園~高校生迄)・日舞(小学校)の
教室へ教わりに行っていた。
また、母親の洋服を解体して
自分に似合う洋服を作った。
両親とは幼い頃から娯楽として
楽しみだった映画館へ連れていった。
父親は1日に何本も映画を
見るのが好きだった。
一緒に見ているうちに、いつの間にか
映像の世界に興味を持ったそうです。
佐賀県鳥栖市は福岡県との県境に有り
どちらかと言うと、福岡県人と言った方が
土地柄、おかしくないのかも知れません。
松雪泰子のプロフィール
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/300x1-2-300x300.jpg)
- 本名:松雪泰子(まつゆき やすこ)
- 生年月日:1972年11月28日
- 出身地:佐賀県鳥栖市
- 身長:165cm
- 体重:45kg(前後という情報有)
- 血液型:O型
- 星座:射手座
- 学歴:佐賀県鳥栖市立田代小学校・
佐賀県鳥栖市立田代中学校卒
佐賀県立鳥栖商業高等学校卒 - 趣味:ギター・ピアノ・ガーデニング・バイク
- 特技:料理・お菓子作り・洋裁・華道・琴・日本舞踊・バレエ・作詞作曲
- 資格:大型二輪免許
- 職業:女優・歌手
- ジャンル:映画・テレビドラマ・舞台
- 活動期間:1991年-女優デビュー
- 配偶者:元旦那GAKU(1998年-2004年)
- 著名な家族:元美容師・松雪浩平・高村晃平(弟)
:松雪陽平・ YUNAH(弟) - 親戚:元弾丸ジャッキーのオラキハは遠い親戚
- 事務所:スターダストプロモーション
■実家の家族
|
家族1998年3月結婚
|
幼い頃から美人!
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/88e7dc4c0a73549b5c830c32735bdf83-300x3001-1-300x300.jpg)
幼い頃から習い事のピアノ、日舞と
お嬢様の習い事をしているまに
顔立ちが少しづつ、幼い顔から
美形の顔へと変化していったのです。
九州は佐賀の空気を吸いながら
南風は有明海の潮風が吹き
九千部山(くせんぶやま)の頂上から
北からの風が筑後平野に降りてきます。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/39_t1-300x300.jpg)
九千部山からの伏流水は
筑後平野、鳥栖市、基山町と
流れて生活用水となっています。
そんな、水の奇麗さにも肌艶が
徐々に青春時代にあらわれた。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/o08280561148907347541-300x203.jpg)
母親の洋服を自分で裁断して
自分に合った洋服を制作しては
着て見て、顔立ちと合せて
似合っているのを自分の目で
確かめていました。
中学校では部活に入部せずに
幼い頃からピアノを習っていた。
独自にガールズバンドを結成し楽器は
ベースを担当していた。
この頃は活発に行動していたから
日焼けで黒光りの肌になって
高校生までは地黒だと思っていたそうです。
実家の家族は社長に芸能人!
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/2016-11-30_1820031.png)
松雪泰子さんの実家家族は
5人家族で、父親は鳥栖市のガス会社を
経営している方です。
母親は一般人ですが、子供の教育は
女の子には習い事として定番のピアノ
日舞、琴、華道、料理等を教えていた。
また、弟が2人いて二人共芸能人
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/matsuyuki61.jpg)
3歳年下松雪浩平さんこと元美容師・高村晃平さん松雪陽さん
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/matsuyuki71.jpg)
7歳年下松雪陽平(まつゆき ようへい)芸名:松雪陽さん
の家族です。
実家は筑後平野のど真ん中
福岡県と佐賀県境の立地条件は
最高の場所に松雪さんの
父親が経営するガス会社が
約8000軒に供給している。
松雪泰子さんはお嬢様として
生まれ育ちあの言葉が生まれたのでしょう。
1991年の主演テレビドラマ
「白鳥麗子でございます!」での
強烈なキャラクターのハマり役は
佐賀県のお嬢様だったから
出来たことだったのです。
松雪泰子の生い立ち!幼い頃から美人!実家の家族は社長に芸能人!まとめ
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/ki2112-kaga-06-06-3-1200-0-72-80-16436848791-300x300.jpg)
佐賀県鳥栖市は交通の分岐点で
東京を参考にすると、日本橋でしょう。
全国の出発地点が日本橋から東西南北と
道が続いて地方へと分散し
物流を届けて行く場所です。
佐賀県鳥栖市も、東西南北と
国道3号線は南・熊本・鹿児島、
北は福岡、東は大分、宮崎
西は佐賀、長崎に分かれています。
その町で、松雪泰子さんは生まれ育ち
幼い頃から小中高校迄の
思い出が詰まった街に帰ってくると
懐かしい空気と匂い、伏流水の
夏は冷たい水が口の中に
す~と入りのどを越しを潤す。
そんな場所が松雪泰子さんの
生まれ故郷です。
母として大地さんを育て。
俳優の生瀬勝久さんが
「世の中にこんな人いるんだ」と
奇麗だと思った女優さんとあかした
その人こそ松雪泰子さんだったのです。
時にはバイクでツーリングも良いでしょう。
子供との時間を大切に
これからもご活躍を期待しています。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/004-21-320x180.jpg)
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。