こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は
俳優でタレントの
柳沢慎吾さんです。
今年も甲子園に向かって
高校野球の選抜が始まりました。
ひとり甲子園のものまねを
高校生野球の選手・応援
観客・実況・解説(池西増夫)
を甲子園球場雰囲気を
球児と一緒になって
部屋の冷房を入れずに
汗をかき観戦に熱中するほど
高校野球ファンです。
柳沢慎吾のひとり甲子園も
還暦を迎えます。
改めて、柳沢慎吾の幼い頃の
生い立ちがどんな所で
育ったのかが気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
柳沢慎吾の生い立ち!
神奈川県小田原市は
相模湾の西部に位置して
漁業とミカンの産地です。
新幹線で西に下る小田原駅からは
小田原城天守閣が山の陰から
ひっこり瓦の部分が見えます。
ただし、新幹線の小田原駅から
停車後、発車してまもなくして
小田原城ともお別れです。
一方、山沿いは箱根の関所が
関東に入る玄関口です。
険しい山岳道を歩いて
昔は関所越えの際は
必ず、通る道でした。
今は、新幹線、高速道路
利用で小田原は通過点になって
しまっています。
観光地は小田原城跡・
山の傾斜地にはミカン畑が
春はミカンの花の香、
秋にはオレンジ色したミカンが
たわわになっています。
相模湾には山からの真水が
流込み魚の漁場でもあります。
漁業の町で「かまぼこ」が
有名ですが、柳沢慎吾の
生まれた家は八百屋さんでした。
父親が八百屋さんの商売を
小田原市内で季節ものを
並べては、春はバナナ・夏はスイカ
秋は早生ミカンとすこし青内から
店頭に並べては、ミカンの酸っぱさを
買い物客に味わって貰っていた。
両親二人共、八百屋の
仕事をしていたので
柳沢慎吾は幼い頃から
明るい子で小学生時代から
モノマネで友達を
笑わせて人気者だった。
柳沢慎吾のプロフィール
- 本名:柳沢慎吾(やなぎさわ しんご)
- 生年月日:1962年3月6日
- 出身地:神奈川県小田原市
- 身長:165cm
- 体重:61Kg
- 血液型:AB型
- 星座:魚座
- 学歴:神奈川県小田原市立山王小学校卒
神奈川県小田原市立白鴎中学校卒
神奈川県私立松田高等学校卒(現・立花学園高等学校) - 趣味:車・ドライブ
- 特技:ものまね・バレーボール
- 職業:タレント・俳優
- 活動期間:1979年-
- ジャンル:テレビドラマ・バラエティ番組
ものまね - 配偶者:既婚(1992年-)
- 事務所:ハーキュリーズ
実家家族
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家族
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幼い頃育った場所は八百屋!
両親が八百屋に出ていたので
4歳年上の裕子さんと一緒に
自宅でテレビっ子だった。
テレビドラマの俳優さんや
スポーツ中継で選手の
動作を真似していた。
学校で皆に披露した。
小田原市立山王小学校は
国道1号線沿いに面し
相模湾へはトンネルを
潜れば砂場の場所に出られる。
夏の学校帰りに砂浜で
遊んでいたのかもしれません。
学校から帰宅して
実家の八百屋の手伝いを
する準備をして前掛け・
タオルのハチマキで店に立った。
勿論、お客さん相手ですから
持ち前のモノマネで夏はスイカの
販売をして商品を猛アピールした。
そうすることでお客さんは
スイカを手に取るより先に
お金を渡していたと思われます。
まあ!おひねりみたいなものですかね。
そんな光景が、高校生時代まで
地域密着型の八百屋さんを
両親と一緒に続けていた。
実家家族の性格はおしゃべり
両親の商売八百屋では
お客さんへのアピールが
必要で色々な情報を持ち合わせ
今の柳沢慎吾と同じおしゃべりは
どちらかというと無口な方だった。
ものまね好きが!
子供時代からテレビにしがみつき
テレビドラマのセリフを覚えて
モノマネをして買い物に来た
お客さんや学校の生徒を
笑わせてくれた。
柳沢慎吾の生い立ち!幼い頃育った場所は八百屋!ものまね好きが!まとめ
神奈川県小田原市の八百屋の
長男として母親から生まれた。
両親ともに家族は商売柄
話し上手で説得ある商売を
子供達にも身につけさせようとした。
そんな中、テレビっ子の柳沢慎吾は
俳優のセリフを覚えて
アドリブを交えながら
学校の友達・八百屋のお客に
お披露目をして笑いを取っていた。
そんな柳沢慎吾も還暦を迎え
俳優・タレントとして
見せてくれる演技は
私の目にはこれからもずーと
モノマネを続けてもらいたい。
そのためには健康で体を
休めたり活動したりして
病気をせずに頑張って
欲しいです。
これからも、もっともっと
モノマネを披露してください。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。