![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/img_40d46de873fb9ed4b4360e635f015cd98095751-e1656412786176-300x188.jpg)
こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は保険会社のCMに
歴史を感じさせる俳優の佐藤浩市さん
少し前に息子さんの官一郎さんも
俳優としてデビューされた父親は
佐藤浩市さんです。
また、佐藤浩市さんの父と言えば
昭和の歴史的俳優の三國連太郎さんです。
私が知っている父三國連太郎さんは
人吉で映画撮影の際
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/67ec0639-8c26-4795-b785-766cd02dab1a1-300x200.jpg)
良く出かけていた食堂「茶びん」
ここは、和洋中勢ぞろい
特に手作りギョウザが有名で
お笑いの笑福亭笑瓶を連れて行き
九州に行った際は、必ず茶びんを
訪れていたと店主の奥さんが
話をしてくれた。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/img04-5-803x5361-1-300x200.jpg)
その茶びんは2020年の
球磨川水害で、跡形もなくなり
お店の人は、その場所を
去ったのでしょうか?
不明です。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/chabin041-e1656405545297-300x225.jpg)
そんな父親が訪れた場所には
九州で撮影が無い限り
訪れることは無いでしょう。
その父親の仕事を見て
いたかは定かでは有りません。
改めて、幼い頃の生い立ちが
どんな所で育ったのかが
気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
佐藤浩市の生い立ち!
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/FQjbSnAagAI1Ew51-300x225.jpg)
NHK大河ドラマで上総広常(佐藤浩市)を
出演した「鎌倉の13人」シーンを見て
父の三國連太郎さんの
時代劇を思い出しました。
佐藤浩市さんは映画「青春の門」
「美味しんぼ」「HERO」と
最近はテレビドラマに出演中です。
画面から迫力ある演技は、
父の影響だと思います。
父、三國連太郎は1957年に
結婚して1960年に佐藤浩市さんが
産まれました。
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三國連太郎は3度目の結婚でした。
当時の芸能人は、女性との付き合いが
当たり前のように、見て見ぬふりをしていた。
その為か、80歳以上のお金持ちは
二号さんと言って本妻さんとは別に
枕を共にしていた。
今では考えられない行動ですが!
父親の三國さんは当時から売れっ子
俳優でしたから、佐藤さんが
子供の頃はほとんど自宅には
帰ってこなかったのです。
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ですから、結婚して僅か2年後で
佐藤浩市と母親を捨てて次の
女性の所へ、本妻さんの所に
戻って行ったのかも知れません。
その反面、佐藤浩市さんは子供の頃から
父の出演する撮影現場へ
見学に行ってきました。
小学生時代になって漠然と
俳優にあこがれていた。
小学5年生の時に両親は別居することになり
母親と二人が取り残された。
小学校に上がる前に正式に離婚しています。
二人は父親の仕送りで、賄っていたが
母親は離婚後小料理屋を経営して
家計を支えていました。
佐藤浩市を育て始めました。
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中学時代は帰宅部で映画にはまって
新宿の映画館でかなりの本数の
映画を観ています。
佐藤浩市さんは中学時代体重が75kgと
中学生としては太り過ぎでした。
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母親は佐藤浩市と一緒に過ごしているのに
耐えかねて、母親は彼氏を自宅へ
住まわせることにしたのです。
中学生と言えば思春期だったので
佐藤浩市は事実、受け入れることができず
高校2年生まで我慢していました。
佐藤浩市(さとう こういち)のプロフィール
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/3ffb49d1d3e10888a9ace237351358cd1-300x194.jpg)
- 本名:仲野 太賀
- 別名義:太賀(旧名義)
- 生年月日:1960年12月10日
- 出身地:東京都新宿区
- 身長:182cm
- 体重:62.1Kg(標準体重)
- 血液型:A型
- 星座:射手座
- 学歴:東京都千代田区立富士見小学校卒
東京都千代田区立九段中学校卒
私立昭和第一高等学校卒
専門学校多摩芸術学園・映画学科中退 - 趣味:音楽鑑賞・麻雀・競馬
- 特技:ギター・ゴルフ・乗馬
- 職業:俳優
- ジャンル:テレビドラマ・映画
- 活動期間:1980年-
- 配偶者:元モデル(1986年-1989年)
広田亜矢子(1993年-) - 著名な家族:三国廉太郎(父)
寛一郎(息子) - 事務所:テアトルド・ド・ポッシュ
育った地域は神楽坂・新宿!
子供の頃はひとりで家で
絵を描くことが好きだった。
母親と住んでいた神楽坂から
自転車で後楽園、武道館。北の丸公園
よく遊びに行っていた。
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中学校の頃から新宿に映画館へ
ひとりで出かけて行っていた。
当時の封切り料金750円は
中学生には大金だったので
必ず、2回は観ていた。
つまらない映画を観ていた。
中学時代のニックネームは「サッパン」
中学生としては太っていた身長175cmに
対して体重は85kgと驚いていた。
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高校生になってからは中国語研究会に
入部した。その理由は麻雀がしたくて
実態は麻雀サークルだったようです。
高校生になってからはオシャレをしたくて
ほとんど食べなくて3か月間で
20kgダイエットに成功した。
また、高校生の時は勉強に
真剣に取り組まずにさぼり常習犯で
先生によく怒られていた。
小料理屋から高校2年生の時に
父親同様に家を出て行きました。
以降30年間に渡り母親との関係は
断絶されました。
アパートで独り暮らしを始めた。
高校卒業して専門学校多摩芸術学園の
映画学科に進学しました。
映画製作を学んでいました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/2-51-300x198.jpg)
当時は喫茶店でアルバイトをして
少しでも学費とアパート代は
稼ぎたいと思って働いていました。
専門学校1年生の時に知り合いの
ディレクターに勧められ
本格的に俳優を目指しています。
その為専門学校を1年限りで中退しました。
専門学校を中退して俳優への道を
志した佐藤浩市さんは父親の三國連太郎に
俳優になることを告げる。
父の三國連太郎は!
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/a3c0a30d3dc83f3b6dc6948ee9568f20202003241316031991-300x240.jpg)
父親からの言葉が「僕は何も教えられないよ」
だったら親子の縁を切りましょうと
三國連太郎さんから言われたそうです。
わたしは三國連太郎さんの言葉は
マスコミには不仲と
捉えたのだと思いましたが
それは、父親としての
お祝いの言葉だったのです。
わたしは父親としてそう感じました。
当時は三國連太郎の息子と
という事もあって話題になっていた。
その後は持ち前の演技力で
数多くのテレビドラマ・映画・CMに
出演して、日本の代表する俳優に
なったのです。
佐藤浩市の生い立ち!育った地域は神楽坂・新宿!父の三國連太郎は!のまとめ
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/img_5674eed289fde2-thumb-autox808-344871-e1656412393211-300x214.jpg)
今は、新宿は大都会ですが
都庁が新宿に来る前は
新宿には小田急百貨店・京王百貨店
駅の中にデパートが有り
洒落た街だったのです。
その新宿も周辺が高層ビルに
建て替えられて、幼い頃の
思い出の場所が見つからなくなっています。
佐藤浩市は母親の小料理屋が有る
神楽坂から自転車で後楽園球場・
動物園・遊園地・九段下にも
足を延ばしていました。
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北の丸公園・武道館の周囲800m
範囲の遊び場へ出かけては絵を
描いていたのです。
中学時代になってからは
映画を見るのが好きで
新宿まで中央線又は地下鉄を
利用して新宿東側の映画館へ
足を延ばしていたのです。
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映画は当時は2本立てで
最初に最近のニュースが
流されて次の映画の予告編
少し休憩時間が有って
いよいよ本題の封切り料金750円は
どうやってお金を工面していたのでしょう?
母親からもらっていた?
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まさか父親と逢ってもらっていた?
なんてことは無かったと思いますが
しかし、新宿までの旅費?
中学生は大人料金ですからね?
好きだった映画は、何回も、
嫌いな映画もお金を
出したからには
もとを取って帰らないと
と思っていたみたいです。
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そんな少年時代を過ごしてきた。
これからも、俳優としての
志を忘れずに頑張って欲しいです。
今後の活躍を期待しております。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。