わくわくウキウキブログ

仲間由紀恵の生い立ち!幼い頃は沖縄で!14歳からタレントデビュー!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事はかつては歌手として

また、女優、タレントとして活躍中の

仲間由紀恵さんが朝ドラに出演して

お母さん役をこなしている姿を見て

演技は似合っていると思います。

美しさを保ちながら沖縄の母親として

役づくりの姿を見て、

幼い頃に遊んでいた場所が

どんな所で育ったのか

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

仲間由紀恵の生い立ち!

 

沖縄県浦添市は南部地域と中部地域の

境目に位置する市です。

昔は米軍基地が有って、その周辺は

牧港付近の住宅に住んでいたと思われます。

当時は米軍の戦闘機が離発着の繰り返し
爆音が響いていた。

そんな浦添市で生まれた場所は

海にも近く、兄弟と一緒に外で遊んで

木登りや、セミを捕まえたりと男の遊びに

混じって遊んでいました。

男の子と一緒に遊んでいたことで

活発な女の子で外で遊んでばかりいたので

日焼けして真っ黒なつやをしていた。

習い事はピアノ、水泳、琉球舞踊(宮城流は幼稚園から10年間)

琉球王国の古都。那覇市、沖縄市、うるま市に次ぐ

沖縄県第四の都市です。

その幼い頃育った場所が浦添市です。

仲間由紀恵のプロフィール

実家家族

家族

幼い頃は沖縄で!

日焼けして真っ黒なつやをした

女の子は、外で体を動かすのが好きで

夏休みの間も毎日小学校に行って

鉄棒、木登、セミ、クワガタ捕まえ、

夜になると学校ではきも試しをして

生徒たちを驚かせていた。

ただし、沖縄の日の入りは夏休みの頃だと

午後7時20分ごろですから

8時ごろでないと、暗くなりません。

真っ黒な顔で、眼が光っていたら

生徒たちはビックリしたと思います。

小学5年生の頃は、異性に憧れ

友達の彼氏を好きになった初恋を経験したのです。

それを友達に話をしたら「じゃ、いいよ友達になってあげて」

と言われてあっさりOKされて交際を始めた。

習い事は小学時代続けていました。

小学校を卒業して、中学校に入学すると

吹奏楽部に入部します。担当楽器はトロンボーンとチューバでした。

また、放送委員としてもお昼の給食時間に

校内テレビ放送に出演して自分で書いた

原稿を読みました。

14歳からタレントデビュー!

中学校に入学すると歌手に憧れて

2年生の時に地元の養成所の「沖縄タレントアカデミー」に

入校しています。

中学校の授業が終わると自宅に帰り

宜野湾市にある養成所までバスで

50分ほどかけて通っていました。

神森中学校からは距離的に約8kmの

場所のスタジオで習っています。

14歳で入学したタレント養成学校では

常に前向きで活発な女の子でしたから

ゆっくりした動作の琉球舞踊からテンポの速い

踊りを習っていたことがタレントとしての道が

開けたのです。

練習の甲斐が有って、翌年1994年の

中学校3年生の時に沖縄のテレビ局主催の

一般公募のオーディションを受けて見事

グランプリして主役の座を射止めたのです。

沖縄テレビ放送(フジテレビ系列)の番組

「青い夏」でドラマ初出演を果たしました。
番組は1994年から1996年間地域限定で

放送された作品でした。

中学生時代からタレント・歌手を目指して

中学三年生になってからは幼稚園時代から

習っている琉球舞踊の全国大会で入賞しています。

この時は、入賞祝いに、当時は仲間由紀恵さんの

好きなステーキを食べに旭橋(那覇バスターミナル)から

橋を渡り約400m程の所にステーキハウス「ジャッキー」で

特徴ある白のスープ・ミディアムレアの肉

頂いていたと思います。

当時のお店は、一般民家の住宅街の中に有って

お店とは思えないほどの引き戸のノブをひねって

入店して、長椅子とテーブルが有り

座席に座って注文スタイル、当時の肉は

オーストリア産だと聞きました。

3年ほど前に沖縄に行った際

ジャッキーのお店が移転して、

観光化されてお客さんが大勢いました。

いろんな方の色紙が飾ってありました。

私の前には3組ほど並んでいましたが

運よく、10分ほど待って茶色シートの

席に着くことができました。

ジャッキーの名物白スープと250gの

ステーキを注文しました。

懐かしい味を覚えていて「沖縄だ」と感じました。

仲間由紀恵さんも中学時代、沖縄で肉と魚を食べて

少女は青春時代を送る事になって行くのです。

仲間由紀恵の生い立ち!幼い頃は沖縄の!若い頃は歌手デビューから!のまとめ

父親の仕事は遠洋漁業で父親とは逢えない日々が

続き、3ヵ月に一回帰ってくるかどうかわからない

家庭の中で生まれ育った仲間由紀恵さんは

母親と一緒に過ごすことが多く、

父親に甘えることが無かった。

父親がたまに、帰ってくる時のお土産は

マグロの赤身だったという。

仲間由紀恵さんは魚嫌いではなかった。

海にも近かったので浅瀬の生き物には

興味を示し、自宅でサンゴを飼っていた。

自分をまぎらすために。

幼稚園の頃は琉球舞踊を習い、小学校では

元気よく校庭を走り回って真っ黒に日焼けしていた

そんな女の子が、中学校に入り沖縄のタレント養成所に

入校した。

チャンスが巡って女優という道を

歩んでいます。

朝ドラでは仲間由紀恵さんがかっては

幼い頃の自分に置き換えて、子供の頃を

振り返って見ての演技が、生まれ故郷の沖縄

映し出していると思います。

今まで、いろんな代表作品の主役になって

演じているのは幼い頃から琉球舞踊の

基礎が有ったから今が有ると思います。

これからも、私たちに女優としての演技を

見せてください。

それには身体が資本です。

身体に気を付けて演技をみせて益々活躍してください。

見守っていきたいと思います。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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