こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は テレビのバラエティー番組で
六角精児さんが芸能生活32年目です。
特徴あるメガネを描けている姿は
六角精児さんの奥を覗いている。
ふっくらぽっちゃりだった六角精児さん
俳優としての下積み生活が長かった。
また、俳優のほかに鉄道マニアとして
乗り鉄しても人気が有ります。
そんな中、幼い頃に遊んでいた場所が
どんな所だったのか
出身地が気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
六角精児の生い立ち!
兵庫県高砂市で生まれ六角精児さんは
瀬戸内海に面した漁業の街でもあり
海岸部は工業地帯でもあって、
製造業の盛んな町でもあります。
約8km程西に向かうと、姫路市に
着きます。
勿論、姫路城は姫路駅を降りて北側出口で
白く光って見える姫路城天守閣が
堂々とした姿を見せてくれます。
高砂から約40分程の所に姫路城見学が
できた場所に住んでいました。
海岸沿いからは淡路島が見えていました。
六角精児のプロフィール
- 本名:山地 克明(やまじ かつあき)
- 生年月日:1962年6月24日
- 出生地:兵庫県姫路市(幼少期は高砂市)
- 出身地:神奈川県相模原市
- 身長:175cm
- 体重:70kg
- 血液型O型
- 星座:かに座
- 学歴:相模原市立上鶴間小学校卒
相模原市立上鶴間中学校卒
神奈川県立厚木高等学校卒
学習院大学経済学部経済学科(2年生4回留年後)中退 - 趣味:音楽鑑賞・ギャンブル・鉄道・ボクシング観戦
- 特技:ギター
- 職業:俳優・タレント
- ジャンル:舞台・テレビ・映画
- 活動時期:1990年
- 配偶者:既婚(4回結婚)
- 著名な家族:山地悠一郎(父)
- 所属劇団:劇団扉座
実家家族
- 父親:山地悠一郎(歴史研究家)
- 母親:一般の方です。教育熱心者
- 長女:姉5歳年上
- 長男:本人
出身地!
幼い頃の記憶を覚えている年齢は5歳ぐらいから
徐々に覚えているものです。
六角精児さんは家族と一緒に神戸に
出かけるとしたら、私鉄(姫路から三ノ宮駅)と
JR西日本の神戸線を利用して最短37分で
神戸の繁華街三宮駅に着きます。
当時の三ノ宮駅(JR)、私鉄は三宮駅を
歩くと阪急百貨店が建っています。
とにかく、神戸の三宮、元町界隈は
商店街が多く洒落たお店も沢山あります。
大丸百貨店は古くから大勢の人の
買い物に訪れた所です。
六角精児さんも大丸・阪急で衣類を
買ってもらったと思われます。
母親とは姫路市の山陽百貨店を利用して
買い物をしていたのではないでしょうか?
姫路は回転饅頭が美味しくて駅中でも
販売している「御座候(ござそうろう)」
という名前で、販売しています。
当時の値段は分かりませんが、
1個から販売しています。
余談になってしまいました。
六角精児さんはこの頃から
電車に興味をすこしづつ持ち始め
父親の仕事の関係で小学校1年生の時に
神奈川県相模原市に引っ越しをしました。
電車に乗るのも好き見るのも好きで
引っ越しした場所から小田急沿線
だった事から、ロマンスカーを見ては
鉄道車両に徐々に引き込まれて行き
鉄道に憧れるようになったのです。
六角精児さんの母親は有名進学校出身で
教育熱心、「勉強しなさい!」と言われて
育っていたため、悪い点数のテスト用紙を
庭に埋めていた。
テストで間違った解答を正しいと偽造して母親に
見せていた。
わたしには、母親はテストの点数が悪いことを
知っていて、母性本能を見せていた。
ある時、母親が教育ママぶりをして
少々嫌気がさして、家出をして
夜になってこっそり自宅へ戻って
様子をうかがっていたら、そこに警察官が
来て大騒ぎになっていたそうです。
本人は大騒ぎになっているなんて
一言も感じていなかったのですが
慌てて自宅に帰ったら、母親から
てっきり怒られると思っていたのですが
母親は六角精児さんを優しくしてくれたそうです。
六角精児さん、教育ママなのに、息子に対して
思いやりの優しい母親なんです。
こんなこともあった、母親の財布から100円を
くすねて駄菓子屋でくじを引いた。
ある時は、母親の財布からお金を盗んで
友達と仲間になりたくて奢ってやったら
母親から財布を盗んだことがバレて叱られた。
小学校時代は成績が伸びなかった。
高学年5年生になってから担任の先生の
学習に対する教え方が良かったことで
勉強にも打ち込むようになった。
勉強に目覚めて成績が上昇した。
中学生になって、成績優秀になった六角精児さん
部活にも入らずに演劇部を観たが
「あれをやる人の気持ちがわからない」と言っていた。
六角精児さんはよっ程、メロンパンが好きで
1日に6個食べたことがあると自慢しています。
六角精児さんは中学時代にフォークブームの
その影響でギターを始めました。
母親からは「フォークは不良」と思っていた事から、
母親のフォークが不良と言うのは、当時の
歌っている人達のヘアースタイルが、
男性が肩の一ぐらいまで伸ばして歌っていたから
ヒッピー族に似ていて、不潔というイメージから
出た言葉です。
フォークギターを買わずにクラシックギターで
練習を重ねていた。
最初に弾いた曲はかぐや姫の「神田川」でした。
主な卒業生に原辰徳(プロ野球・巨人軍の監督)
無事、中学校を卒業して高校受験し
神奈川県下有数の進学校に合格して入学しました。
高校時代の部活は演劇部!
高校では、何かしら部活に入部することが
義務付けられていた演劇部に入部しました。
入部当初は、全く演技に興味が無く、
いつ辞めても良いと言う理由で演劇部を選んだ
これを機に、演技への面白さを覚えて、主役を演じた
劇で演劇コンクール大会に出場して
優秀賞を受賞しました。
受賞したきっかけで、六角精児さんは
生涯の仕事として俳優の道を選んだのです。
高校生時代は今のように太っていませんでした。
高校時代はバンドを組んでベースを
弾いていた。
高校時代の成績はあまりいい成績ではなかった。
高校時代ではいい友人との出会いに恵まれていた。
勉強だけではなく趣味・価値観に対する
思考レベルの高さの生徒が多く、刺激あいながら
演劇の基礎を作り上げていったのです。
高校卒業後、将来俳優を志して、大学は
日本大学芸術学部を受験しましたが不合格。
一年浪人して、学習院大学経済学部経済学科を
受験して合格します。
大学では皇室を始め数々の日本を代表する
著名人を輩出している名門大学で学ぶことに
入学後はギャンブルにハマってしまい
家庭教師のアルバイトで稼いだお金では
足らず、学生ローンにまで手を出して
借金まみれになり、大学2年生を4年間留年し
とうとう授業をあきらめて、先輩に劇団「扉座」に
所属しました。
大学を退学して劇団の活動を続けながら
俳優としての活躍が増え始めたのです。
端役ながら、徐々にドラマ・映画・舞台に
出演し始めて、2001年からはテレビ朝日系の
「相棒」シリーズにレギュラーとして出演を
果たし、頼りない存在感が知名度を上げて
認められたのです。
それからというもの、列車の旅鉄、俳優としての
俳優として絶好調のキャリアを作り上げています。
還暦を過ぎた六角精児の生い立ち!出身地!高校時代の部活は演劇部!のまとめ
兵庫県姫路市で生まれた、六角精児は
姫路城のある姫路で居酒屋で育てられ
居酒屋の突き出しには、姫路おでんが
必ず出ていたと思われます。
姫路のおでんは、地元では知らない人はいません。
また、甘いもの好きな人には「御座候」の
回転饅頭が最近は西は広島から関東まで
幅広い地域に、御座候の饅頭が流行しています。
そんな、場所で生まれ、そこから父親の仕事で
転勤になって兵庫県高砂市に移転します。
母親は教育熱心で、お姉さんは教頭先生だそうです。
六角精児は常に母親の監視されていた。
勉強嫌いで、小学低学年4年生までは
テストも芳しくなかった。
しかし、高学5年生の時に担任の先生の
教え方が良かったのか、勉強する意欲を持った。
今までとは違った先生だと思って
先生の話をよく聞き、成績も徐々に良くなった。
基本は5年生からどれだけ自分が
物事に対して覚える事が大事かを
知らされたと思います。
今の六角精児は、旅鉄のレポーター・
お酒の試飲等、好きな事が仕事になっています。
大事な事は、最近太りすぎで、身体が思うように
動けなくなると、自分の身体を病気にします。
自分の体を診断するのは本人です。
俳優として仕事をこなすのであれば
健康管理を十分理解して、旅鉄・居酒屋めぐり
俳優として、私たちに伝えてください。
これからも、活躍されることを願っています。
六角精児さんのお姉さんと同級生
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。