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こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事はデビュー50週年の
演歌・アニメソングの歌手
が先日BSでアニメソング・演歌を
マイクを持って熱唱する歌い手は
小柄でどこからあの発生な歌声が
高齢者で有りながら歌い続けられる
秘訣は幼い頃の出身地の生駒山の麓で
一旦はあきらめたものの夢を
咲かせてくれたおかげで、
今がある。まだ高齢者とは言えない!
衛星放送で歌謡曲・演歌の歌手の方々の
中で歌っている天童よしみさんの
生まれ育った出身地が気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
天童よしみの生い立ち!
和歌山県田辺市芳養(はや)町に生まれた
ところは、徳島県と和歌山県の間紀伊水道
が大阪湾への船の道となっている。
芳養町は南紀白浜の温泉地へは
約7km南へ下ったところに有ります。
4歳までは港にも近く、少し足を延ばせば
温泉地と野生動物公園が当時から
人気が有った場所でもあります。
その少女は父親から歌を習い
4歳の時に父親の仕事で引っ越しました。
天童よしみのプロフィール
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- 本名:吉田芳美(よしだ よしみ)
- 別名:吉田よしみ
- 生年月日:1954年9月26日
- 出身地:和歌山県田辺市芳養町(はやまち)
- 身長:147cm
- 体重:47.5kg(標準体重)
- 血液型:B型
- 星座:てんびん座
- 学歴:大阪府八尾市立龍華小学校卒
大阪府八尾市立龍華中学校卒
大阪女子短期大学付属高校(現・大阪緑涼高等学校)卒 - 趣味:自撮り・ショッピング・クリスタル集め
- 職業:演歌歌手
- 担当楽器:歌
- 活動時期:1970年-
- レーベル:キャニオン(1970年-1984年)
テイチクエンタテインメント(1985年-) - 事務所:天童事務所
実家家族
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- 祖父:吉田幸四郎さん
- 祖母:ユクさん(福島県只見町坂田仲村で生まれた)
- 父親:吉田義行さん(和歌山ではバス会社勤務)
八尾市ではタクシー会社に勤務
歌とサックス演奏が趣味 - 母親:筆子
幼い頃から歌がうまい
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引っ越しした先は、生駒山の麓、大阪府八尾市に
4歳から住むようになりました。
4歳児はかすかに、芳養町の事は
覚えていると思います。
父親はタクシーの運転手で、お客さんがいない時は
ラジオから流れる歌謡曲や浪曲等を
聴きながら口ずさみ、歌い続けて毎日を過ごしていました。
父親が天童よしみに幼い頃から歌を教えて
先生役をしながら指導者として、歌い続けさせ
小学校1年生7歳の時にラジオ番組の「のど自慢」に出演しました。
持って生まれた声量の凄さに圧倒され
聴いている私達は引き込まれます。
現在でもビックリするほど声量は衰えていません。
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7歳をさかいに、大阪ののど自慢大会に出場し
ほとんどの大会で優勝しては、声量が発揮でき
才能を伸ばすようになって天才少女と
呼ばれるようになった。
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中学時代は特に歌を続けていて、高校1年生の時
1970年の9月にアニメ「いなかっぺ大将」の
主題歌「大ちゃん数え歌/いなかっぺ大将」で
歌手デビューを果たしたのです。
高校生までは、歌手を目指していましたが
歌手になれなかったら保母さんを
目指すつもりだった。
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7歳ののど自慢番組に初出演は毎日放送「素人名人会」で
「可愛いじじい」を歌って名人賞を受賞をきっかけに
当時から歌唱力が有ってフジテレビ系「日清ちびっこのどじまん」
に出演して番組プロデューサーから
日本コロンビアを紹介して、フジテレビ系列の
アニメ「いなかっぺ大将」を16歳の時に
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吉田よしみ名義でレコードシングル盤を発売したのです。
18歳で華々しくデビューを飾ったものの
その後10年以上下積み生活が続いた。
一旦は歌手を引退することまで考えていた。
しかし、両親から引退しないで続けなさいと
励まされ歌手を再び続けることにしたのです。
出身地は和歌山!
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遠ざかったいた時、和歌山時代の事を
思い出させてくれたのでしょうか?
和歌山と言えば南高梅で有名ですこの近くに
芳養町が隣接して、天童よしみは幼い頃に
酸っぱい梅をおやつ代わりに少しだけ
春先はタケノコの皮で、三角に包み、
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三角の角を切って、そこから梅の酸っぱい
果肉を食べていたのでしょう。
春夏秋冬、土地柄果実は手に入ったはずですね
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梅から始まってみかん、富有柿・干し柿の串柿
それに海にも近くて、わたしはさんまの丸干しを
和歌山の方からもらったことが有ります。
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紀伊水道は太平洋からの流れが速く
色々な魚が豊富に取れるところでも有り
春はシラス・マダイ・秋はカマス・クエ・冬はイセエビ・イセエビが
水揚げされ、子供心に魚は嫌いだったのかも知れません。
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海を見た時に、紀伊水道の対岸は徳島県
「海が割れるのよ」と歌っている曲のように
海の水が無くなれば和歌山と繋がるのです。
曲は韓国のある場所の歌ですが、天童よしみは
幼い頃に思っていたのかも知れません。
1972年18歳の時になって、讀賣テレビの
「全日本歌謡選手権」に出場して10週勝ち抜き
7代目グランドチャンピョンになり
芸名の「天童」は「天から授かった」「童(わら)」に
由来するものだとルポライターの竹中労さんが命名した。
1985年31歳の時14年目にテイチクレコードに移籍して
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第1弾のシングルレコードのタイトル「道頓堀人生」を発売
発売に際して、全国(北海道から福岡)の
レコード店へ足を運び営業活動をして、
有線からのリクエストが徐々に増え始め
人気が出始めたのです。
1996年42歳の時に「珍島物語」が発売され
ロングヒットして130万枚を超える売り上げを記録
天童よしみの初のミリオンセラーとなり
ぽっちゃりしたキャラクターは人気者になったのです。
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その後1998年に新型インフルエンザまん延を食い止めるために
魔除けとして「よしみちゃん人形」を無料配布して
若い世代の人達に人気者になっています。
天童よしみの生い立ち!幼い頃から歌がうまい!出身地は和歌山!のまとめ
生まれたのは和歌山県の海沿いの町芳養町(はやまち)と言う
ところで生まれて、4歳まで過ごしたところです。
和歌山で有名な南高梅の場所にも近く
徳島県と和歌山の間の紀伊水道の魚を食べ
果実も豊富な場所で幼い頃を過ごし
新鮮な空気と果物と魚介類を食べて
白浜温泉に最近はパンダがいる
アドベンチャーワールドやサファリワールドを
全国の皆さんに紹介している所でもあります。
天童よしみは自然に恵まれ、天性のキャラクターの
持ち主でもあるのです。
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今は、大阪府八尾市で母親と一緒に暮らしている
そうですが、母親は人工股関節の手術をして
既に回復しリハビリを続けて元気になったものの
天童よしみは母親の面倒を献身的に見ているそうです。
患者さんと看護師みたいな感じで
母親を大切に見守っているのですね。
これこそが親孝行なのでしょうかね。
天童よしみも高齢者の一人です。
自分の事は自分が先生だと思って身体の
管理をしながら、これからも歌い続けて
欲しいものです。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。