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山下達郎の幼い頃の生い立ち!思い出は歌の音域・音の職人・出身地!

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こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は日本の音楽ミュージシャン・シンガーソングライターの

山下達郎さんのトレードマーク長髪は高校生時代から

始まっていたのをしり

東京の空気を少しでも澄みきった歌を

と思っている気がして

生まれ育った出身地が気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

山下少年が幼い頃に過ごした池袋は

山手線の北の頂点に栄えている場所です。

昔も今も流行の最先端の町として、埼玉の人々が

池袋の駅周辺にある様々なショップが

立ち並んでいたと思われます。

昼間から、お酒を飲む人、大人の遊びをする人の

街でもあります。

電車の車窓からは、池袋駅西口側の広告灯が

いかにも、風俗店らしいお店がズラリ並んでいます。

子供にはちょっと進められない場所でもあります。
小学校へは池袋西口から約600m程の所に

校舎は立っています。街のど真ん中に有ります。

山下少年は豊島区立池袋小学校(旧池袋第五小学校)へ

通っていたのです。

山下達郎のフロフィール

  • 本名:山下達郎(やました たつろう)
  • 生年月日:1953年2月4日
  • 出身地:東京都文京区本郷
  • 身長:165cm
  • 体重:59.9kg(標準体重)
  • 血液型:B型
  • 星座:みずがめ座
  • 学歴:東京都豊島区立池袋第五小学校(現在豊島区立池袋小学校)卒
       東京都豊島区立高田中学校(現在豊島区立千登世橋中学校)卒
       東京都立竹早高等学校卒
       明治大学法学部(中退)1年間浪人して合格し入学。
  • 趣味:音楽の趣味は幅広い
    ジャンル:J-POP・ポップ・ロック、ニューミュージック、ドゥーワップ、ブルー・アイド・ソウル、R&B、AOR、フュージョン、シティ・ポップ
  • 職業:ミュージシャン・シンガーソングライター、音楽プロデューサー、編曲家
  • 担当楽器:ボーカル、ギター、ベース、ドラムス、シンセサイザー、キーボード、パーカッション、カスタネット
  • 活動時期:1973年-
    レーベル:RCA,RVC,AIR,ALFA MOON,MMG,east wst japan,WARNER MUSIC JAPAN
  • 事務所:スマイルカンパニー
        テンダベリー&ハーヴェスト
  • 結婚:既婚竹内まりやさん
  • 長女:えりさん と情報では紹介されています。

実家家族

  • 父親:池袋西口界隈で居酒屋・長男誕生で祖父の倒産した会社を引き継ぐため転職したが倒産し、共稼ぎになって、カギっ子となった。
  • 母親:共稼ぎ
  • 本人:山下達郎

山下達郎の幼い頃の生い立ち!

池袋は、今はサンシャインシティ高層ビル、

東急ハンズ池袋店、東京芸術劇場と言った

第二の若者の街です。

山下少年時代は東西の街の風景は

どんな街だったのでしょう。

わたしは、少し気になった事が有ります。

池袋駅の東口駅側には西武百貨店本店

西口側には東武百貨店池袋店と当時から

真逆の駅の設定になっていると

思っていました。

池袋駅


西側出口は西武百貨店、東側出口は

東武百貨店となっていれば、

池袋での待ち合わせには、問題なく

目印が分かると思います。

しかし、方向音痴の人は西口に東武

東口出口に西武と話したら

絶対に待ち合わせできないのではないでしょうか?

なぜ、東に西武池袋本店なのかは西武鉄道が

池袋駅東側から豊島園、埼玉入間、秩父と西部に

新しく線路が引かれ住宅を増やすことで

大勢の乗客が利用する沿線としたのです。

思い出は歌の音域

西武鉄道の池袋駅1914年4月15日開業

東武鉄道は東武東上線1914年5月1日開通。

西武・東武百貨店と鉄道はほぼ同じ年に

開業し開通していたのですね。

山下少年は山手線・東武・西武線の

鉄道車両を見て育ったのでしょう。

現在はJR東日本・東武鉄道・西武鉄道・東京地下鉄(東京メトロ)

四路線が池袋駅に集結しています。

山下少年は小学生時代は優等生タイプで読書と

この頃から宇宙に興味を持っていたそうです。

普段は真面目に塾に通っていた。

学校では児童会役員にも選出された事もあったそうです。

6年生の頃は合奏クラブとマーチングバンドに所属

この頃から、音楽に興味を持つようになったそうです。

豊島区立高田中学校(現・豊島区立千登世橋中学校)に

入学します。

音の職人・出身地!

中学校の隣には学習院大学・高校・中学校の森の中にある

校舎が見えていたのかも知れません。

池袋からは都電で通学していたのでしょうかね?

中学に入ってからブラスバンド部に所属し

小太鼓を担当していた。

両親にウクレレを買ってもらった事で、4弦の音では

物足りなくてギターに興味を示すようになって

独学でギターを始めたのです。

当時の音楽はエレキギターが流行っていてベンチャーズの

曲をコピーしては、テケテケテケと電子音を

ならしていたのでしょう。

中学時代は友達とバンドを組んで山下少年はドラム担当でした。

音楽と勉強と両立して高校受験します。

都立竹早高等学校に入学します。

池袋からは地下鉄丸の内線に乗って茗荷谷下車して

学校に通学していたのでしょう。

高校に合格した事で、両親からドラムセットを

買ってもらったのが切っ掛けで、

勉強はほどほど、音楽にのめり込んで行きました。

音楽やバイト、学生サークルなど、勉強の道とは

ほど遠い生活を送っていて、3年生の時の出席日数が

足りなかったがなんとか高校を卒業できた。

成績は下降して留年との話も出たが、やっと卒業。

当時は学生運動が高校生にも降りかかり、

山下少年は髪の毛を長く伸ばすスタイルになって行った。

1年間浪人生活をしている間

音楽の勉強を仕様と音楽著作権の勉強して音楽出版に

入るつもりで勉強した。

明治大学法学部に入学します。

しかし肝心の講義にほとんど出席しておらず

3か月後には中退してしまいました。

山下達郎はビーチボーイズの歌が好きで

彼らの歌は、裏声で歌う曲が、海辺で楽しく歌っている

アメリカン的な歌に憧れたのでしょう。

山下達郎の曲も、そんな曲が、聴いていると

感じることもあります。

そんな歌う曲を真似して、裏声出歌っていたから

今も声の質が、奇麗に人の心を掴む

歌がきけるのでしょう。

山下達郎の幼い頃の生い立ち!思い出は歌の音域・音の職人・出身地!のまとめ

山下達郎の幼い頃は池袋の繁華街の中で

両親が居酒屋で仕事をして、家計を

助けてくれたと思います。

山下達郎少年は、両親が居酒屋で仕事を

終える時間は、夜中になった事もあり

一人で食事を済ます事もあったのではないでしょうか?

そんな中で、母親の祖父の経営していた倒産した

工場を立て直そうとしたが、高度成長期だと思って

いたものの急激に落ち込みなべ底不況に

山下工場もそのあおりを受けて倒産してしまいました。

工場は引き渡しされ、池袋のアパートに家族一緒に

アパートに住んでいます。

両親は共稼ぎをしながら山下達郎少年を

育てて行くのです。

今も髪の毛が長髪で、音楽プロデューサーとして

また、奥さんでもある竹内まりやさんの

曲も作り、山下達郎という音の職人は

これからも、わたしに新しい宇宙の曲を

作り上げて聴かせてください。

来年は高齢者の仲間入りして

健康で一日一日を大切な時間として

過ごしてもらいたいものです。

 

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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