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こんにちは、自由 まなぶです。
「わくわくウキウキブログ」に
お越しいただきありがとうございます。
今回の記事はタレントのIKKOさんが
激やせしているテレビ番組を観て
健康状態大丈夫かな。
また、父親の事を話していた事が
気になったので記事にまとめていきます。
IKKOのプロフィール
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- 本名:豊田一幸
- 読み方(いっこー/IKKO)
- 生年月日:1962年1月20日
- 年齢:60歳
- 出身地:福岡県田川郡福智町
- 身長:171cm
- 体重:83kg
- 血液型:A型
- 星座: みずがめ座/やぎ座(1月20日生まれは西暦ごとに違う)
- 学歴:福岡県田川郡福智町立伊方小学校卒業
福岡県田川郡福智町立方城中学校卒業
福岡県立西田川高等学校卒業
北九州美容専門学校卒業 - 特技:書道家(雅冬炎・みやびとうえん)
- 職業:タレント・ヘアメイクアーティスト
- 活動時期:1982年-
IKKOの実家家族
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- 父親:豊田幸信(2008年8月に肝臓ガンで亡くなっています。)
- 母親:豊田朝子・旧姓:高津(美容師)
- 長女:美穂一般の方です
- 次女:ルミ一般の方です
- 長男:一幸(IKKO)
- 妹:一般の方です
- 6人家族
IKKOのプロフィールから生い立ちをさかのぼってみた
福岡県田川郡は福岡県の郡で
海岸線を唯一持たない郡です。
福智町は田川市がかっては炭鉱町
であったころは、大勢の炭鉱夫が
働いていた町でした。
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青春の門の映画は、隣の市飯塚が
舞台になったところです。
飯塚と田川は炭鉱夫が働いて
町は栄えていた頃です。
飯塚と田川の間に関の山と言う
石灰岩の山が有ります。
その山には小学生2年3年の頃
町内の先輩方と一緒に登山した
事が思い出として残っています
山の頂上からは、田川の町が
見えていました。
当時はボタ山が多く点在して
IKKOさんのお母さんも
ボタ山で石炭くずを拾っていた
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私の母も、ボタ山の中腹で
トロッコが頂上まで来るとトロッコの
ふたが開き、石炭くずを落としていた
それを拾って、自宅の釜戸の燃料と
して、お風呂にも使っていた。
わたしは、IKKOさんより13歳
年上です。
当時の事を、記憶に頼ってみました。
IKKOさんの父親幸信さんが
東京から帰郷後、乳酸菌飲料の
配達をしていると聞きました。
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その飲料こそ「ヤクルト」だったんです。
当時は、自転車で、男性の方が
自転車の後ろに、木枠でできた箱の
中に10cm程のビンの中に乳酸菌
飲料が入っていました。
乳酸飲料の工場は、水の奇麗な場所の
住宅の中で、乳酸菌の原料(18L缶)が
入っている製品を、当時としてはステンレス製の
マシーンが動き、10cm程の容器に
流し込んでいたのを覚えています。
また、ヤクルトのフタは紙で出来ていて
ヤクルトを契約している方にはビンのふたを
開ける画びょうが付いた。
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取っ手の部分がプラスチックになって
ふたの丸い形をしている栓抜きが有りました。
IKKOさんは「お父さんが日雇い」と
言われたのが「みっともないと」と子供ながら
凄く嫌だった。
私はIKKOさんが幼い頃だから、そう言ったのかもしれませんが
私の父もIKKOさんのお父さんと一緒の
仕事、ヤクルトの配達を、遠くは稲築、嘉穂の地域に
配達してました。
その父も今はいません。
どうして、私が乳酸菌飲料の事を知っているか
それは、親戚の家が、乳酸菌飲料の工場を持って
父が働いていたからです。
飯塚市、田川郡、後藤寺は子供の頃の
思い出の場所でもあり、懐かしく感じ
IKKOさんが、父親が乳酸菌飲料を
玄関先の木箱の中に入れているのを
見かけたと話していたのを聴いて思い出したからです。
九州の人は、色々なアイデアを生かし
IKKOさんは自分に有った生き方を
幼い頃に、強く感じたのでしょう。
父親とのキャッチボールが引き金になって
父親と離れ遊ばなくなった。
姉と良く遊ぶようになり、母の美容室の事を
良く見ていて、幼少期に観察したのでしょう
その思いは、美容学校に通って技術を磨き腕を挙げ
今までにない、アイデアを生かした仕事として
飛躍している。
IKKOの生い立ちは!父の仕事はヤクルトおじさん自慢できる!のまとめ
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昭和30年代後半の頃の九州の筑豊地方は
石炭採掘の宝庫で、全国から炭鉱夫として
福岡へやって来ていました。
そのまっただ中で、豊田幸信さんは東京へ
上京し安定していた大手会社を退職し
東京で職を替えて、帰郷します。
幸信さんと朝子さんとの間に長男一幸が誕生しました。
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しかし、筑豊地方の炭鉱も、徐々に石油に
押され、石炭を掘る人達が徐々に土地を離れて
人々が徐々に減って行くさなかに、
父が選んだ仕事は乳酸飲料の配達員です。
当時は、ヤクルトを配達する人は男性でした。
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乳酸飲料ですから重くて、配達には時間が掛かります。
今のように、バイクや三輪車でヤクルトレディーでは
ありませんでした。
重い乳酸菌飲料を配る女性はいませんでした。
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IKKOさんのお父さんは、配達先の自宅で
話し相手にもなってくれたみたいですね。
やっぱり、IKKOさんのお父さんですね
本当は優しい、父親だったと思います。
キャッチボールも今思えば、わざとらしく
身体にあてて、もっと大きくなって欲しいと
思っての行動だったのかもしれませんね。
最近、忙しいIKKOさん身体に気を付けて
これからも女性の味方として、日本中の
女性をより良い美容を考案してください。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。