こんにちは、自由 まなぶです。
「わくわくウキウキブログ」に
お越しいただきありがとうございます。
今回の記事は元お笑いタレント
俳優のハライチ澤部さんの番組が
気になったので記事にまとめていきます。
ハライチ澤部のプロフィール
- 本名:澤部 佑(さわべ ゆう)
- 生年月日:1986年5月19日
- 年齢:38歳
- 出身地:埼玉県上尾市
- 身長:172cm
- 体重:83kg
- 血液型:O型
- 星座: 牡牛座
- 学歴:埼玉県上尾市立原市小学校卒業
埼玉県上尾市立原市中学校卒業
埼玉県立大宮東高等学校 - 趣味:NAB・ロックフェス巡り
- 特技:バスケットボール
- 出身:ワタナベコメディスクール2期
- コンビ名:ハライチ
- 相方:岩井勇気
- 芸風:漫才
- 立ち位置:右
- 他の活動:俳優
- 事務所:ワタナベエンターテイメント
- 活動時期:2006年-
- 配偶者:五十嵐暁子 既婚(2013年-)
- 親族:2女1男
実家の家族構成
- 父親:澤部信 寡黙な人
- 母親:澤部恵子一般の方です。
- 本人:一人っ子
兄弟の情報は有りません
プロフィールから見えてきたこと
ハライチ澤部さんは埼玉県大宮市
の隣りの市、JR高崎線で二駅目
ここが実家の住まいです。
上尾市は現在、新興住宅が盛んで
大宮、東京、新宿へ出かけるのに
便利な場所です。
私の知人も上尾市の原市に住んで
います。
最初にお笑いのハライチ澤部と
聞いた時、ハライチと聞きなれた
場所を思い出したのです。
地名を使っての芸名は野口五郎は
野口五郎岳から名を取った。
所ジョージは埼玉県の所沢市と
柳ジョージを宇崎竜童が命名した。
ハライチ澤部が住んでいた上尾市は!
ハライチは二人の出身地が埼玉県
上尾市内の原市から地名を取った。
埼玉県は海なし県で上尾市に埼玉
県民が夏になるとさいたま水上
公園で泳いだものでした。
しかし、昨年さいたま水上公園も
コロナの影響で入園者が少なく
閉館となってしまいました。
原市の自宅から自転車で行ける
範囲内に有ったので、きっと
プール通いをしていたと思います。
澤部少年は、高校生になって
大宮県立大宮東高等学校に
1年生から自転車で通った。
通学距離は約10km弱を
時間にして約40分かけて
自転車を漕ぎながら走ったのです。
しかし、澤部さんは、天気予報を
確認して、登校を決めていたと
思われます。
いい天気の時は、登校して、
雨の日は、休んでいたみたいです。
高校時代はバスケット部に所属し
エースとして活躍していたと言う
話もあるみたいです。
若い頃の高校時代の自慢はハライチ!
毎日、10kmを往復通学でき
たのも、中学生時代は陸上部に
所属し、県大会に出場経験有り。
見かけによらず運動神経は抜群に
良かったのかもしれません。
ちなみに、上尾市には甲子園に出場
した事のある上尾高校(1975年)
が有ります。
岩井勇気の高校は県立伊奈学園総合
高等学校に進学、自由開かれた
学びの場です。
しかし、ハライチ澤部は幼稚園の
時から、幼馴染だった岩井勇気と
一緒に大学を目指さずお笑いの道へ
ハライチ結成前は3人組のトリオで
中学3年生の頃から活動して
いたのですが、お笑いに誘った一人が
大学進学を理由に脱退した。
最初に澤部をお笑いの道に誘った
本人が脱退して、澤部を混乱させた。
しかし、当の本人は、大学進学を
諦めて、2005年3月にワタナベ
コメディスクールが主催するオーディ
ション「お笑いメジャーリーグ」に
出場してグランプリを獲得。
ワタナベコメディスクール2期生の
特待生として入学したのです。
翌年の2006年3月にお笑いの
基礎を学んで澤部佑さんと
岩井勇気さんは卒業しました。
4月からワタナベエンターテイ
メント所属となり、芸能として
活動し始めました。
2009年のM-1グランプリで
決勝進出なかなか、勝ち残る事が
できませんでした
澤部と岩井が編み出したお笑いの
スタイルは「ノリボケ漫才」岩井
のボケに対し、澤部がボケに
ひたすら乗っかるもの。
ノリボケ漫才が「ハライチ」次第
に頭角を現わしていったのです。
いまでは、ハライチが注目され
テレビでの露出が、一気に上昇し
澤部も番組を持つようになった。
色々な番組に出演して、引っ張り
ダコになって、頭の丸刈りが
ますます、人気を得ている。
ハライチという、地名から芸能人
が出てくることは、本人も有名に
地名も知名度が上がる。
ハライチ澤部が住んでいた上尾市は!若い頃の高校時代の自慢はハライチ!
ハライチ澤部の原市は都心からも
近いし、大宮にも近い!
それに、東北新幹線、北陸新幹線、
埼玉新都市交通ニューシャトルが
新幹線の横を走る。
ニューシャトルは小さなバスを連結して
レールを走るのではなく、コンクリートの
道路を走るタイヤ付きの乗り物です。
原市にも停車します。
大宮から分岐して新幹線を見ながら
乗車していると、車窓は電車の
博物館です。
夕方になると、西の空に沈む太陽が
富士山のシルエットが見えて幻想的です。
上尾以北の人達にとっては、特権
でしょうか?
大宮の次の駅がJR東日本の鉄道
博物館で、大勢の人が訪れていました。
今は、コロナ禍で人でも減少して
います。
早く収束して、元の活気を取り戻し
大勢の人に訪れて欲しい物です。
ハライチ澤部さんも、これからも
元気で、お笑いを続けて大衆を
引き込ませて欲しいです。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。