こんにちは、自由 まなぶ です。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は、1983年アイドル歌手として
デビューした松本明子さんです。
バラエティ番組に移り、歌手としては
新曲も出ずレポーターとして
活躍したりものまねをするようになった。
そんな松本明子さんの
生い立ちや育った場所が
どんな所だったかが
気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
松本明子の生い立ち!
香川県高松市は松本明子さんが
生まれた場所から、本州に渡るには
宇高連絡船といって、岡山県宇野駅の港に
着き、岡山駅まで在来線でした。
瀬戸大橋線ができるまでは、高松駅は
宇高連絡船が港に着くと、連絡橋を
歩いて国鉄時代の高松駅の始発列車に
乗り込む前に、乗客の人々は
改札口を入ると、かつお節と昆布だしの
出汁のきいたうどんが駅構内に
充満している。
地元の人は勿論、出張や旅行人が
必ず、高松駅のうどんをのど越しに
噛まないで、おなかに入って行くうどんは
格別なものがあった。
松本明子さんもその一人で、うどんは
日常の食べ物だ。
安くてうまいうどんは松本明子さんに
とっては、芸能人になっても
東京から岡山駅から四国高松行きに
乗り換えて高松駅をめざして
高松駅ではホーム内にうどん屋さんは
今は数件になってしまった。
幼い頃から香川高松のうどんで育った!
父親は国家公務員で県庁に勤めていた。
その後、建設会社の四国支社長に
松本明子さんは両親が歳をとっての
子供だったのでかわいがられていた。
その為か習い事を3歳ごろから
華道・茶道・毛筆・珠算・ピアノ
バレエ・日舞とあらゆる習い事をしていた。
また、カラオケが好きな父親に連れられて
スナックで歌を歌っていた。
時には夜更かしして朝帰りした事があった。
因みにお店では、カルピスをキープして
のどを潤していた。
この頃から歌を歌うと評判が良く
近所の八百屋の野菜を置く台の上で
野菜をマイク代わりにして歌った。
売り物にならなくなった野菜は
両親が毎日のように弁償してくれた。
小学校は公立小学校に入学した。
小学校時代はのど自慢大会に出場した。
歌が上手いと地元では有名だった。
サインを求められる事も有った。
小学時代ファンだったのはフィンガー5と
山口百恵さんが好きだった。
小学校を卒業して、地元公立中学校に入学。
中学校の頃にアイドル歌手になる事を
志したのです。
また、毎週土曜日は母親と一緒に
大阪の吉本新喜劇を観に行った。
中学時代に通学途中で年下の不良ぽい
男の子に初恋をした。
自転車に二人乗りして高松市内の
アーケード街へ行ってデートした。
中学校を卒業と同時に高校に
進学する為にタイミングを見て上京して
芸能人の多くが通っている高等学校に入学した。
因みに堀越高校では早見優さん
堀ちえみさんと同級生でした。
高校2年生の時にアイドル歌手デビューした。
まったく売れずに、芸能コース在籍者として
異例の皆勤賞(無遅刻無欠席)だった。
また、生徒会の活動をおなっていて
芸能人でありながら限りなく普通の高校生
として生活を送っていた。
学業の成績は非常に良かったそうです。
高校を卒業して、大学には進学せず
芸能活動に専念した。
担当教師からは大学進学を勧められたが
進学をせずに芸能活動に進んだ。
高校卒業後、地道に活動して
23歳の時にバラドルに転向。
すると人気が上昇し数多くの番組に
出演してお茶の間の人気者になった。
松本明子のプロフィール
- 本名:松本 明子
- 生年月日:1966年4月8日
- 出生地:香川県高松市
- 身長:152cm
- 体重:kg(普通体重)
- 血液型:A型
- 星座:牡牛座
- 学歴:高松市立高松小学校卒
:高松市立屋島中学校卒
:私立堀越高等学校 - 趣味:音楽鑑賞・茶道・写真・散歩・ゴルフ・ドライブ
- 職業:歌手・バラエティタレント
- 活動期間:1983年-1984年
:1986年-現在 - 活動内容:1982年:「スター誕生」44回決勝大会に合格
:1983年「♂×♀×kiss」アイドル歌手デビュー
:1980年代中期バラエティに転向
:1980年代終盤:「ものまね」に転向
:1992年-2002年「電波少年シリーズ」 - 配偶者:本宮泰風
- 著名な家族:松本昌次祖父)
:原田龍二(義の兄)
:原田愛(義姉)
:平井一徹(甥)
:中村光一(従兄) - 事務所:ワタナベエンターテインメント
実家家族
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家族
- 父:本宮泰風(俳優・1998年3月16日入籍・6歳年下)
- 母:本人
- 長男:龍聖(りゅうせい)2000年5月29日生まれ
松本明子の生い立ち!幼い頃から香川高松のうどんで育った!実家の家族!
四国は香川県高松市の生まれで
両親は高齢出産して女の子を託されたのです。
母親は歌ったら踊ったりするのが好きで
松本明子さんを幼い頃から、習い事を
勧めて、母親ができなかった芸能界への
道を切り開いてくれたのです。
テレビでは実家売却に手放すのはもったいないと
25年間住むこともなく1800万円を
超える費用を費やして守ってきた。
わたしも実家の処分に迷った一人です。
勿体ないは全ては自分の出来事です。
両親が宝物にしたものを処分するのは
子供に託されている。
残された遺品の始末は全て廃棄する事です。
それが、両親にとっての供養とも言えます。
勿体ないのは、自分を不幸にします。
松本明子さんピンチでも楽しみを発見できる
前向きに進む人として
これからも、体に十分気を付けて
健康でさらなるご活躍される
ことを期待し応援して行きます。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。