こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は、「あなたの心に」と
優しく問うように歌いだす
中山千夏さん懐かしく耳を
澄ましました。
安倍元首相の国葬に
元国会議員の中山千夏さんも
案内状が速達で届いた。
安倍元総理と全く接点がない
中山千夏さんに送られた案内状
6000人集まらないのですかネ。
中山千夏さん来年は
後期高齢者の一員です。
高齢者になっていたんですね。
そんな、中山千夏さんの
生い立ちや育った場所が
どんな所だったかが
気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
中山千夏の生い立ち!
熊本県山鹿市は北部に位置し
大分県と福岡県との熊本県の
三県の県境に有ります。
山鹿市は国道3号線が南北に
走り交通の要所として
昔は栄えていました。
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ただ、交通手段としては
バス、タクシー、鉄道が無く
最寄りの駅としては
玉名駅、植木駅を昔の人は
利用していたのだと思います。
山鹿市(やまがし)には温泉、
伏流水と観光地としても発展。
特に、県内でも夏のお盆に
和紙でできた金・銀の灯籠を頭に
かぶり浴衣姿で千人の女性たちが
民謡「よへほ節」の歌に合わせて
広場で優雅に踊る姿は、
暗闇の中から飛び出した
夏の風物詩です。
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私も学生時代、友達が
山鹿出身者だったので
夕方から車で山鹿へ行き
友人の自宅にお邪魔して
温泉と夜のイベント「山鹿灯籠」を
大宮神社までの道路を千人の
浴衣を着て金灯籠(かなとうろう)を
頭にかぶって踊っていたのを
覚えています。
今でも、優雅に踊る浴衣姿の
頭の金灯籠が目にあつく
残っています。
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こんな素敵な町で
中山千夏さんは生まれました。
少し長く成りましたが
何故、山鹿灯籠が現在も
引き継がれているのか。
それは、昔々この地(山鹿)を
訪れていた天皇が、
山鹿に着く時間が、暗くなって
大宮神社までの道のりを
住民たちがたいまつを持って
道案内をしたのがきっかけで
灯籠に火をつけて毎年
行われていた。
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江戸時代には加藤清正が
挑戦に渡り、韓国から和紙の技術
持った職人と一緒に、熊本に戻り
韓国の和紙職人が和紙で灯籠を
作るアイデアを紹介したのです。
そのアイデアが今なお山鹿の
夏の風物詩として受け継がれています。
中山千夏さんの育った実家は
少し別の事を母親として考えた。
母親は山鹿の温泉町の旅館で
働きながら旅人との恋愛で
生まれたのが中山千夏でした。
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今では有ってはならない出来事で
母子家庭の子供として
山鹿の温泉町で育って
温泉は至る所で湧きだし
銭湯として当時は5円で
入浴できていた。
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銭湯は少し硫黄の臭いが
鼻を衝く、お湯は肌に触れると
つるつるとほどよく、浸透し
お湯から上がる頃には
身体がほてってきます。
冬の温泉は、寒い西風が
肌に刺さるくらい寒いが
温泉で温まった身体は
気持がいい、母親の手提げ袋には
着替え、固形石鹸、小さい袋に入った
粉シャンプー、桶、幼い中山千夏の
お風呂で遊べるキューびちゅんが入っていた。
女性の場合は温泉で髪を洗うのに
別料金がかかっていた。
だから中山千夏の髪の毛は
短かったのでしょう。
中山千夏さんは3歳までは
山鹿で育ちました。
その後、宮崎を転々として
中山千夏さんが少し物心着くころ
年齢の4歳の時には
大阪府布施市(現・東大阪市)
に移り住みました。
「がめつい奴」に出演し
主演女優は三益愛子さんでした。
その作品の子役として一躍
名子役として脚光を浴び
たのです。
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小学1年生の時に大阪で
開催された毎日音楽コンクールに
出場し「ないしょばなし」を歌って優勝した。
それが認められて芸術座で
子役時代にはドラマの主題歌や
副主題歌を歌い、当時のSP盤レコードで
発売されたのです。
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小学5年生の時に東京へ引っ越しました。
小学校に転入後、女優として舞台
テレビ、映画、ラジオで活躍しました。
中山千夏のプロフィール
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- 本名:中山千夏(なかやま ちなつ)
- ニックネーム:真田厳
- 生年月日:1948年7月13日
- 出生地:熊本県山鹿市
- 身長:158cm
- 体重:54.9kg(標準体重)本人は42kgと表記。
- 血液型:AB型
- 星座:蟹座
- 学歴:中央区泰明小学校卒(5年生の時に大阪から転校)
中央区銀座中学校卒
麹町学園女子高等学校卒(現中央区立銀座中学校) - ジャンル:テレビ・映画・脚本・作家・ナレーター・吹き替え・政治家
- 趣味:写真・プロ野球観戦・旅行・ゴルフ・テニス・スキー
- 職業:歌手・俳優(女優・男優)・司会者・タレント・政治家
- 活動時期:1963年-
- レーベル:ビクター・日本コロンビア・ミノルフォン・BOURBON RECOROD
フォーライフ・ユーメックス - 元参議院議員
実家の家族
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中山千夏の生い立ち!幼い頃育った場所は熊本県山鹿市!実家の家族は!まとめ
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私の知る限りでは、てっきり
大阪育ちで東京で活躍された
中山千夏さんだと思っていました。
中山千夏さんの生い立ちを
調べてみると、熊本県山鹿市と
聞き、中山千夏さんの山鹿市が
どんな所だったか調べてみました。
今でも少し辺ぴなところですが
温泉に伏流水、4月には
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農産物のメロンでも有名で
夏になると千人灯籠祭が
盛んにおこなわれ、夏の夜を
神秘的で私をなごませて
くれる温泉町です。
これからも健康でご活躍される
事を期待しています。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。