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おすぎとピーコの兄ピーコさん亡くなった!生い立ちは!後期高齢者だった!

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こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は双子の兄弟

軽妙な掛け合いで人気者だった

おすぎとピーコさん、最近は

関東での顔出しではなく

九州は福岡でラジオに出演して

いたが後期高齢者になった今

認知使用の疑いが有って兄弟で

横浜の実家で住むようになった。

しかし、兄のピーコさんは9月に敗血症で亡くなった。

おすぎは介護老人ホームに入居し

ピーコは実家で過ごしていました。

そんな二人が幼い頃に過ごした

場所がどんな所で育ったのか

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

おすぎとピーコの実家家族!

終戦の年に生まれた一卵性双生児の

兄弟は、父親の営む鉄工場は硬い製品

作る場所として、男の職場として

汗をかき、油を使った仕事場だったと

思います。

その中で、兄弟は13歳年上の姉と

9歳年上の姉と一緒に、女の子言葉で

話をしていた。

男の子の遊びだったチャンバラやベーゴマは

子供の遊びとしてはあぶないからと言って

近寄らないように母親から注意されていた。

また、料理好きな母親がお菓子を作って

食べさせてくれた。

だから駄菓子屋のお菓子は食べなかった。

兄弟は両親が芸事が好きで自宅には

本、音楽、映画、歌舞伎、落語、新内(浄瑠璃)など

色々な文化が自宅にはあふれていた。

父親は洋画、母親は日本の映画を観に

映画館に連れて行ってくれた。

おすぎとピーコのプロフィール

  • 本名:杉浦 孝昭(すぎうら たかあき)おすぎ
  •    杉浦克昭(すぎうら かつあき)ピーコ
  • 生年月日:1945年1月18日
  • 出身地:神奈川県横浜市保土ヶ谷区
  • 身長:約165cm
  • 体重:59.9kg(標準体重)
  • 血液型:A型
  • 星座:山羊座
  • 学歴:横浜市立宮谷小学校卒
    横浜市立軽井沢中学校・冨田中学校・岡野中学校の3校がリストアップされました。
    横浜都立桜丘高等学校
    阿佐ヶ谷美術専門学校卒(おすぎ)
    文化服装学院研究専門部卒(ピーコ)
  • 趣味:音楽鑑賞・観劇・バレエ鑑賞・読書・シャンソン
  • 職業:タレント、映画評論家(おすぎ)
    タレント。ファッション評論家、シャンソン歌手(ピーコ)
  • 活動時期:1975年-
  • 著名な家族:兄弟(おすぎ(弟)とピーコ(兄)

実家家族

  • 父親:鉄工場経営者(1981年死去)
  • 母親:鰻職人の娘(1981年死去)
  • 長女:13歳年上
  • 次女:9歳年上
  • 長男:杉浦克昭(すぎうら かつあき)ピーコ
  • 次男:杉浦 孝昭(すぎうら たかあき)おすぎ

生い立ちは!

兄弟は裕福な家庭に生まれて、

父親は仕出し弁当やの息子、母親は鰻職人の娘

両親は料理が得意で、子供達に魚の三枚おろしや

魚の煮つけ、魚の天ぷら、刺身等を

見せては覚えさせていた。

大人になってから、魚のおろしかたを

両親の魚のおろしかたを観ていたことで

うまく料理をすることができる。

また、両親が小学生の頃洋画、

日本映画を観に連れて行った

お陰で、字幕スーパーが読めていた。

仲良くなった友達の自宅に遊びに

行った家がお金持ちで本や玩具が沢山あって

好きな本を読んだり、好きなおもちゃで

遊んでいたそうです。

中学時代は女子生徒のあこがれの的の

男子生徒に初恋をした。

このころから、異性を感じていたのでしょう。

 

高校生になってからは、程ヶ谷カントリークラブ

2年間キャディーのアルバイトをしていました。

自宅から約1時間の道のりをバス電車を

乗り継いで早朝からプレイオフ時間まで

土曜日、日曜日、休日を利用して

アルバイト代を稼いでいた。

高校生時代は生徒会の副会長に任命され

売店側がパンの値上げ申請をしたのに対し

猛反対を率先して旗振り役をやった。

勉強はおすぎの方が成績は良かった。

ピーコは大学に進学して新聞記者を

目指していたが、父親が病気で

進学を断念した。

1981年ピーコ36歳の時に両親とも死去。

高校卒業して、横浜トヨペットに就職しましたが

倉庫でコンテナの荷物をリフトを操作して

自動車部品を背中に担いで力仕事で

身体を壊して半年で退社した。

まだ、見習い期間中でピーコは身体が

弱かったんですかね?

その後、19歳から24歳までアパレル会社

(三陽商会)のサラリーマンとして営業活動を

都内の百貨店で好成績を挙げて当時の月給30,000円

支給されたのです。

三陽商会はバーバリーコート等の製品を

国内販売代理店として販売していました。

今は、三陽商会からバーバリーは撤退しています。

また、文化服装学院卒業後に嘱託として三陽商会に

復帰して週1回出社して月20万円が渡されていた。

オーダーイブニングドレス制作をピーコは担当していた。

後期高齢者になった今!

活躍していた時期から、急に姿を見せなくなった

おすぎとピーコさん、既に後期高齢者という

レッテルを張られて、仕事をこなすには

よほどの体力の持ち主でなければ、

横浜、九州福岡を往復する身体は持っていません。

わたしは、テレビでおすぎさんが活躍されている

姿を見て高齢者には見えなかった。

兄弟で後期高齢者になった今、おすぎさんは

昨年の夏ごろから集中力の継続や番組の

進行中に本人が軽度の認知症の兆しが見られ

番組を降板し、福岡から再び横浜のピーコ兄と

一緒に同居しました。

やはり兄弟の仲の悪さが悪化して、おすぎも認知症

ピーコも認知症と思われる妄想癖の症状が現れ

兄弟ゲンカが絶えず、互いの感情の起伏が激しく

二人は同居生活を解消し、

おすぎさんは介護認定を受け横浜近隣に

ある高齢者施設に入居している。

高齢者施設に入居したら健康になって

自宅に帰る事はあまり聞いたことが有りません。

施設に入って自慢話を入居者の方に

話しているかもしれません。

ひっとしたら料理を作ってあげているかもしれません。

ピーコは認知症の疑いの症状が見うけられ

自宅で過ごしている。

おすぎとピーコの兄ピーコさん亡くなった!生い立ちは!後期高齢者だった!のまとめ

横浜保土ヶ谷区の鉄工場で

一卵性双生児として生まれた

兄弟は幼い頃の考え方は、違った道を

歩み始めました。

しかし、二人はおすぎはゴルフ場でキャディー

両親の影響で映画に興味を示し

映画の評論家に、一方ピーコは服装学園で

デザインを学ぶと同時にシャンソン歌手としても

活躍してきた。

兄弟はオネエキャラを前面に出して

芸能界で活躍してきました。

しかし、高齢者・後期高齢者になった二人は

認知症の疑いが有って、おすぎはラジオを降板して

おしゃべり大好きだった、ピーコも最近は

認知症の疑いが有って、弟のおすぎに対して

激しく感情をむき出しにして、いじめて

おすぎは徘徊する事がしばしば、警察沙汰に

なって保護されることもあったそうです。

ピーコは一人自宅で暮らしていますが

軽度の認知症の具合を行政の方が

週に何度か見廻りをして健康観察を

している。

昭和、平成、令和の時代を二人の兄弟は

同性愛者として世の中の人に自分たちを

さらけ出して、私たちをビックリさせました。

そんな二人も、後期高齢者になった今

若さは戻ることなく、後期高齢者は

介護施設で兄弟はおしゃべりをしますかね。

これからも健康で、鋭い話を聞かせて欲しいです。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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