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松任谷由実の生い立ち!幼い頃は八王子の生まれ!中学生から作詞家!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は日本のシンガーソングライターの

松任谷由実さんは68歳と後期高齢者なんです。

民放ラジオ局”スピーカーでラジオを聴こう”

の番組紹介をハスキーボイスで喋っている

松任谷由実が昔、今とスピーカから流れる

音楽やおしゃべりを紹介する。

今でも歌い続けて年齢を感じさせない歌手ですね。

変わらぬ人気を誇りってのシンガーソングの

松任谷由実さんは全国の皆さんにラジオの良さを

時代は歌いだし♪今はこんなに・・・

つい口ずさみたくなる曲です。

力強く説得力ある歌声は今も見ても

変わらない人気が有りました。

高齢者以上の方は懐かしいと思うでしょう。

松任谷由実さん高齢者で有りながら

歌い続けられる秘訣は幼い頃に

遊んでいた場所がどんな所だったのか

出身地が気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

松任谷由実の生い立ち!

東京都西部の町、昔で言う甲州街道の町は

山梨の人々が往来する道沿いに
荒井呉服店(創業102年)が経って、お客さんを迎えていました。

実家は明治時代に創業して従業員は約80人

が働いていました。

そんな中で裕福な家庭に生まれて

お嬢様育ちだったと話しています。

八王子と言えば、八王子ラーメンです。

八王子は玉ねぎが取れる事から

醬油ラーメンの中に生のきざみ玉ねぎが

入っています。玉ねぎ好きな人は

最高においしいと思いますが生の玉ねぎ

松任谷由実のプロフィール

実家家族

幼い頃は八王子の生まれ!

幼い頃から松任谷由実は個性的と自覚して

6歳の時にピアノを習い始め、

11歳の時は日本の伝統楽器三味線を

習っていました。

誰に言われて、習い始めたかは分かりませんが

母親?父親?自分自身で興味を持って

習い始めたかは本人がよく知っている事です。

八王子の宿場街道でもあった事で

甲州街道を通りを過ぎると高尾山が有ります。

東京の西部地区で緑豊かな場所に人口が多く

住みよい街になっているのでしょう。

八王子市内でピアノ・三味線を習いながら

塾にはほとんど通わず、音楽に打ち込んでいました。

幼い頃から、頭が良く勉強は努力しなくても

成績は抜群で母親は将来医者の道へと

考えていたそうです。

学校では代表委員会の議長を務めていたそうです。

中学校は私立の中学校を選択して

お嬢様学校の中高一貫校へ入学しました。

自宅の八王子から中学校のある立教中学校までは

中央線と井の頭線を使って1時間弱の通学を

過ごして、部活には入部せず帰宅部でした。
小学校から続けていたピアノは中学生に

なっても時間を見つけてはピアノ練習を

弾きていました。

 

30日でマスターするピアノ教本

中学生から作詞家!

中学生の時に聖歌隊に在籍してピアノを弾いて

いたと思われます。

礼拝堂で聴いたバッハの「トッカータとフーガ

ニ短調BWV五六五」に衝撃を受けて

パイプオルガンが教会全体を楽器にする

ことで、聴いている人々を音楽が包んでしまう程の

迫力のある楽器です。

中学二年の時に楽器ベースを弾き始め

そのころには既にバンドを組んで活動していた。

帰宅部だったから都心麻布台のイタリアレストラン「キャンティ」に

出入りしていたと言います。

さて、八王子から立教中学校までの通学時間1時間20分

立教女学院から麻布台までの所要時間は50分

帰りの麻布台から八王子まで1時間20分

松任谷由実は中学時代から立教女学院高校時代に進学して

お茶の水美術学院に通い作曲作りをしていた。

二人の詩人、アルチュール・ランボー、ジャック・プレヴェールを

愛唱、影響力を受けていた。

当時したしかったシー・ユー・チェンさんが荒井を「ユーミン」と

呼び始めたことで愛称として定着していったそうです。

中学時代から六本木のディスコに頻繁に通って

高校時代になってもディスコ通いは続いた。

中学時代から高校生にかけてすぐに作曲を作り

その中にデビューアルバムも収録されている

曲も組まれていた。

小学校で同級生だった子が筋ジストロフィーで

亡くなったと高校一年生の時に聴いて悲しく

ショックを受けて出来た曲が「ひこうき雲」でした。

高校2年生の17歳の時に松任谷由実のレコード化が

決定して1971年「加橋かつみさんのアルバム「愛は突然に」で

作曲家としてデビューしました。

当時としては学生だったことで、作曲の仕事は本館的ではなかった。

中学時代から絵画が好きで、美大の塾に通っていたことで

東京芸大の日本画専攻を目指しました。

高校2年生から本格的に受験勉強をし始めると

以前から通っていたディスコを辞めて

絵の家庭教師を付けて美大で出題される

絵画の基本を習っていた。

松任谷由実の生い立ち!幼い頃は八王子の生まれ!中学生から作詞家!のまとめ

東京都の西の都の八王子で生まれ

都内とは打って変わって新緑の山々が

眼に優しく空気も澄んで、幼い頃育っていました。

今はミシュランにも登録された高尾山は

大勢の都民の人達が、押し寄せて、頂上から見える

富士山の雪景色を見ると、心が和みます。

松任谷由実さんは、小学校の時には既に

ピアノを習っていて、自分で作曲して

音符に描いて残していたと思います。

母親から習い事をするようにと言われてかは

定かでは有りませんが、5年生の11歳の時に

三味線を習っています。

その後、音楽ら目覚め、中学校の時には

通学に1時間ほどかかる学校へ

学びの場で、圧倒されるパイプオルガンを

聴き、感動したようです。

世間にはもっと音楽の場所が有ると思い

麻布台のイタリアンレストランに通い

更には六本木のディスコにも通い詰めて

音楽というものを若さが肌で感じでいと思います。

ますます、これからも色々な音楽との出会いを

見つけて欲しいと思います。

あと2年で70歳です。

これからも健康で作曲を続けてください。

わたしは♪中央フリーウェイ♪をよく走っています。

新宿を抜けて、高井戸は混んでる、

その先からは少しアクセルを踏める

徐々に山が近づいてきます。

八王子はまものなくです。

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今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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