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こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は日本のシンガーソングライターの
松任谷由実さんは68歳と後期高齢者なんです。
民放ラジオ局”スピーカーでラジオを聴こう”
の番組紹介をハスキーボイスで喋っている
松任谷由実が昔、今とスピーカから流れる
音楽やおしゃべりを紹介する。
今でも歌い続けて年齢を感じさせない歌手ですね。
変わらぬ人気を誇りってのシンガーソングの
松任谷由実さんは全国の皆さんにラジオの良さを
時代は歌いだし♪今はこんなに・・・
つい口ずさみたくなる曲です。
力強く説得力ある歌声は今も見ても
変わらない人気が有りました。
高齢者以上の方は懐かしいと思うでしょう。
松任谷由実さん高齢者で有りながら
歌い続けられる秘訣は幼い頃に
遊んでいた場所がどんな所だったのか
出身地が気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
松任谷由実の生い立ち!
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東京都西部の町、昔で言う甲州街道の町は
山梨の人々が往来する道沿いに
荒井呉服店(創業102年)が経って、お客さんを迎えていました。
実家は明治時代に創業して従業員は約80人
が働いていました。
そんな中で裕福な家庭に生まれて
お嬢様育ちだったと話しています。
八王子と言えば、八王子ラーメンです。
八王子は玉ねぎが取れる事から
醬油ラーメンの中に生のきざみ玉ねぎが
入っています。玉ねぎ好きな人は
最高においしいと思いますが生の玉ねぎ
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松任谷由実のプロフィール
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- 本名:荒井 由美(あらい ゆみ)
- 別名:ユーミン(Yuming)
呉田軽穂(くれだ かおる) - 生年月日:1954年1月19日
- 出身地:東京都八王子市
- 身長:164cm
- 体重:56.5kg(理想体重)
- 血液型:O型
- 星座:山羊座
- 学歴:東京都八王子市立第一小学校卒
東京都立教女学院中学校・高等学校卒
私立多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業 - 趣味:バービー人形収集・格闘技観戦・スキー・スノーボード
- 特技:英語
ジャンル:ポップ・ロック、ポップ・ジャズ・ジャズロック・ニューミュージック・ワールド・ラテン・シティポップ - 職業:シンガーソングライター、作詞家、作曲家
- 担当楽器:ボーカル、ピアノ
- 活動時期:1971年-
- レーベル:EMIミュージック・ジャパン、ユニバーサル/EMI Records
- 事務所:雲母社
実家家族
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- 父親:荒井末男
- 母親:芳枝
- 長男:荒井邦彦
- 長女:情報は見つかりませんでした
- 次女:松任谷由実本人
- 次男:弟(医者のようです)
幼い頃は八王子の生まれ!
幼い頃から松任谷由実は個性的と自覚して
6歳の時にピアノを習い始め、
11歳の時は日本の伝統楽器三味線を
習っていました。
誰に言われて、習い始めたかは分かりませんが
母親?父親?自分自身で興味を持って
習い始めたかは本人がよく知っている事です。
八王子の宿場街道でもあった事で
甲州街道を通りを過ぎると高尾山が有ります。
東京の西部地区で緑豊かな場所に人口が多く
住みよい街になっているのでしょう。
八王子市内でピアノ・三味線を習いながら
塾にはほとんど通わず、音楽に打ち込んでいました。
幼い頃から、頭が良く勉強は努力しなくても
成績は抜群で母親は将来医者の道へと
考えていたそうです。
学校では代表委員会の議長を務めていたそうです。
中学校は私立の中学校を選択して
お嬢様学校の中高一貫校へ入学しました。
自宅の八王子から中学校のある立教中学校までは
中央線と井の頭線を使って1時間弱の通学を
過ごして、部活には入部せず帰宅部でした。
小学校から続けていたピアノは中学生に
なっても時間を見つけてはピアノ練習を
弾きていました。
中学生から作詞家!
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中学生の時に聖歌隊に在籍してピアノを弾いて
いたと思われます。
礼拝堂で聴いたバッハの「トッカータとフーガ
ニ短調BWV五六五」に衝撃を受けて
パイプオルガンが教会全体を楽器にする
ことで、聴いている人々を音楽が包んでしまう程の
迫力のある楽器です。
中学二年の時に楽器ベースを弾き始め
そのころには既にバンドを組んで活動していた。
帰宅部だったから都心麻布台のイタリアレストラン「キャンティ」に
出入りしていたと言います。
さて、八王子から立教中学校までの通学時間1時間20分
立教女学院から麻布台までの所要時間は50分
帰りの麻布台から八王子まで1時間20分
松任谷由実は中学時代から立教女学院高校時代に進学して
お茶の水美術学院に通い作曲作りをしていた。
二人の詩人、アルチュール・ランボー、ジャック・プレヴェールを
愛唱、影響力を受けていた。
当時したしかったシー・ユー・チェンさんが荒井を「ユーミン」と
呼び始めたことで愛称として定着していったそうです。
中学時代から六本木のディスコに頻繁に通って
高校時代になってもディスコ通いは続いた。
中学時代から高校生にかけてすぐに作曲を作り
その中にデビューアルバムも収録されている
曲も組まれていた。
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小学校で同級生だった子が筋ジストロフィーで
亡くなったと高校一年生の時に聴いて悲しく
ショックを受けて出来た曲が「ひこうき雲」でした。
高校2年生の17歳の時に松任谷由実のレコード化が
決定して1971年「加橋かつみさんのアルバム「愛は突然に」で
作曲家としてデビューしました。
当時としては学生だったことで、作曲の仕事は本館的ではなかった。
中学時代から絵画が好きで、美大の塾に通っていたことで
東京芸大の日本画専攻を目指しました。
高校2年生から本格的に受験勉強をし始めると
以前から通っていたディスコを辞めて
絵の家庭教師を付けて美大で出題される
絵画の基本を習っていた。
松任谷由実の生い立ち!幼い頃は八王子の生まれ!中学生から作詞家!のまとめ
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東京都の西の都の八王子で生まれ
都内とは打って変わって新緑の山々が
眼に優しく空気も澄んで、幼い頃育っていました。
今はミシュランにも登録された高尾山は
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大勢の都民の人達が、押し寄せて、頂上から見える
富士山の雪景色を見ると、心が和みます。
松任谷由実さんは、小学校の時には既に
ピアノを習っていて、自分で作曲して
音符に描いて残していたと思います。
母親から習い事をするようにと言われてかは
定かでは有りませんが、5年生の11歳の時に
三味線を習っています。
その後、音楽ら目覚め、中学校の時には
通学に1時間ほどかかる学校へ
学びの場で、圧倒されるパイプオルガンを
聴き、感動したようです。
世間にはもっと音楽の場所が有ると思い
麻布台のイタリアンレストランに通い
更には六本木のディスコにも通い詰めて
音楽というものを若さが肌で感じでいと思います。
ますます、これからも色々な音楽との出会いを
見つけて欲しいと思います。
あと2年で70歳です。
これからも健康で作曲を続けてください。
わたしは♪中央フリーウェイ♪をよく走っています。
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新宿を抜けて、高井戸は混んでる、
その先からは少しアクセルを踏める
徐々に山が近づいてきます。
八王子はまものなくです。
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今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。