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小林幸子さん年齢は残り29歳で100歳に!幼い頃は新潟の牛肉が!出身地は新潟!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事はデビュー60年演歌の大御所

小林幸子が先日BSで歌謡曲、演歌を

マイクを持って熱唱する歌い手は

高齢者で有りながら歌い続けられる

秘訣は幼い頃の出身地が夢を咲かせて

くれたおかげで、今がある。高齢者じゃないよね!

衛星放送で歌謡曲の歌手の方々の中で歌っている

小林幸子さんの原点は生まれ育った

出身地が気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

小林幸子の生い立ち!

小林幸子の生まれた新潟市を少し振り返ってみます。

今は、上越新幹線東京から新潟まで1時間36分で

早い「とき」で到着します。

遅い新幹線でも2時間18分で着きます。

新幹線が無かった時代、上越線出発駅は

東北上越の玄関口は上野駅でした。

当時の新潟行きは夜行列車で約6時間
寝台列車付列車に乗って新潟まで行くのに

半日かかっていました。

新潟から上野駅までお昼に着く為には

新潟を朝の6時53分に乗って上野着11時53分と

列車での長旅でした。

新潟の精肉店から、東京で歌手を目指して

幼い子供が夢を形に、希望をもって

スタートしたのです。

小林幸子のプロフィール

小林幸子の実家家族

幼い頃の食卓には新潟の牛肉が!

小林幸子さんの実家精肉店に並ぶ肉は

村上牛、佐渡牛、くびき牛のブランド和牛が

ガラス越しに並んでいた事でしょう。

新潟県は日本海に接していている事から

魚介類だと思いがちです。

肉が意外とブランド牛がある県なんです。

ところで、精肉店の歌手と言えば

秋田県角館町の実家が精肉店だった

演歌歌手の藤あや子さん。

秋田の名物比内地鶏の肉

販売し家族で食べていたのでしょう。

小林幸子も幼い頃は佐渡牛と新潟米

新潟はコメどころでも有名で、豪農が

新潟平野のど真ん中でコメ作りで

全国から米の作付け田植えから稲刈り迄の

働き手が大勢の人々が集まって作業を

手伝ってくれました。

出身地は新潟!

コメも、肉も、空気もおいしい新潟で

育った、小林幸子は、小学4年生の時に

出会った、歌謡バラエティー番組の「歌まね読本」に

出演して、父親が教えてくれた浪曲や隣のお寺の

御経でリズムそれに映画館から流れる

音楽が小林幸子の環境下で育ったことで

小林幸子の持っている歌声が、当時の歌手の

美空ひばり・畠山みどり・松山恵子の

3人の特徴をつかんだモノマネを披露しました。

出演した大人達を圧倒しモノマネがうまい歌唱力が有った。

モノマネ出演で5人勝ち抜いて見事グランドチャンピョンに

なったのです。

審査員長の古賀政男さんが小林幸子の歌を聴き

歌手に仕様と思い、両親に声を掛け合います。

当然、父親は大賛成しましたが、

小林幸子はまだ小学4年生で子供だと

母親は猛反対し両親は大喧嘩。

当の本人は、幼く世間知らずですが

歌手になりたいと宣言します。

両親は古賀政男さんに説得されて

古賀政男が用意してくれた

アパートで一人暮らしでした。

小林幸子の世話役として古賀プロダクションの

女性マネージャー(中澤さん当時22歳)が

レッスン先までの送り迎えや食事のまかない準備

いろいろと身の回りの世話をしてあげたそうです。

今も中澤さんとはお付き合いがあるそうです。

レッスンを受けるごとに上達が早く

1964年小学5年生10歳の時にレコーディングして

「ウソツキ鴎(かもめ)」古賀作曲で

演歌歌手としてデビューしました。

トクトクの歌い方が、大衆に響いたのでしょう。

いきなり、20万枚を売り上げるヒット曲になりました。

小林幸子は見る見るうちに歌唱力を上げて

当時の美空ひばりの再来、天才少女歌手とまで

言われて、たちまち脚光をあびたのです。

10歳だった少女はたちまち大人の中で

仕事をしていた、同期に都はるみ(高校1年生)

仲良く仕事をしていたそうですが、

互いは若く、楽屋でふたりが騒いでいて

怒られたそうです。

そのふたりを注意したのが島倉千代子さんだった。

芸能界に入って初めて怒られたそうです。

それ以来、島倉千代子の事を「母さん」と呼んで慕い

島倉さんも小林幸子の事を「さち」と呼んで

新潟に居る母親以上に母と娘のような関係だったそうです。

島倉さんが亡くなるまで、約50年間母と子のように

続いていたそうです。

小林幸子さん年齢は残り29歳で100歳に!幼い頃は新潟の牛肉が!出身地は新潟!のまとめ

父親は農家生まれの次男として歌手になりたいと

夢をいだいていたものの、

昭和15年に陸軍に入隊します。

軍隊に入営する際に、自分の歌声をレコードに

録音して残したいと希望していたそうです。

陸軍に入隊し、2年後に憲兵に合格して

朝鮮半島に渡り福渓里で任務してました。

その後、終戦になって新潟に帰還して

小林精肉店を開店させます。

母親はこれからは肉食時代がやってくると

予感していたそうです。

父親は子供の頃から、東海林太郎の歌

憧れて、小林幸子に歌って聞かせていたそうです。

その歌こそが、小林幸子にとって

歌の先生だったのです。

もうすぐ70歳の高齢者に近づいている

小林幸子さん、喉に気を付けて、身体が資本ですから

これからもわたしに歌を歌って、

独特の歌の持ち主でいて欲しいです。

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