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こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事はデビュー58年演歌の大御所
小林幸子が先日BSで歌謡曲、演歌を
マイクを持って熱唱する歌い手は
高齢者で有りながら歌い続けられる
秘訣は幼い頃の出身地が夢を咲かせて
くれたおかげで、今がある。高齢者じゃないよね!
衛星放送で歌謡曲の歌手の方々の中で歌っている
小林幸子さんの原点は生まれ育った
出身地が気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
小林幸子の生い立ち!
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小林幸子の生まれた新潟市を少し振り返ってみます。
今は、上越新幹線東京から新潟まで1時間36分で
早い「とき」で到着します。
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遅い新幹線でも2時間18分で着きます。
新幹線が無かった時代、上越線出発駅は
東北上越の玄関口は上野駅でした。
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当時の新潟行きは夜行列車で約6時間
寝台列車付列車に乗って新潟まで行くのに
半日かかっていました。
新潟から上野駅までお昼に着く為には
新潟を朝の6時53分に乗って上野着11時53分と
列車での長旅でした。
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新潟の精肉店から、東京で歌手を目指して
幼い子供が夢を形に、希望をもって
スタートしたのです。
小林幸子のプロフィール
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- 本名:林幸子(はやし さちこ)
- 別名:林 幸子(本名)
小林幸子(ビクター時代の芸名)
岡 真由美(テイチク時代)
バーチャルグランドマザー小林幸子)youtuberとしての芸名 - 愛称:さっちゃん
- 生年月日:1953年12月5日
- 出身地:新潟県新潟市(新潟市中央区)
- 身長:165cm
- 体重:611.2kg(標準体重)
- 血液型:A型
- 星座:射手座
- 学歴:新潟市の小学校は12校有ります。どこの小学校だったのでしょう?
1963年小学校4年生の9歳の時に上京します。
四谷三丁目のアパートに一人暮らし(この付近にある小学校は3校見つかりました)
(古賀政男のプロダクションに住み込み) 東京都港区青南小学校が近くに有ります。 - 趣味:陶芸・三味線・和太鼓・殺陣
- 職業:歌手
小林幸子の実家家族
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- 父親:小林 喜代照(次男)歌手希望だった。
- 母親:旧姓)宮崎イツ(2001年7月17日死去)
- 本人
幼い頃の食卓には新潟の牛肉が!
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小林幸子さんの実家精肉店に並ぶ肉は
村上牛、佐渡牛、くびき牛のブランド和牛が
ガラス越しに並んでいた事でしょう。
新潟県は日本海に接していている事から
魚介類だと思いがちです。
肉が意外とブランド牛がある県なんです。
ところで、精肉店の歌手と言えば
秋田県角館町の実家が精肉店だった
演歌歌手の藤あや子さん。
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秋田の名物比内地鶏の肉を
販売し家族で食べていたのでしょう。
小林幸子も幼い頃は佐渡牛と新潟米を
新潟はコメどころでも有名で、豪農が
新潟平野のど真ん中でコメ作りで
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全国から米の作付け田植えから稲刈り迄の
働き手が大勢の人々が集まって作業を
手伝ってくれました。
出身地は新潟!
コメも、肉も、空気もおいしい新潟で
育った、小林幸子は、小学4年生の時に
出会った、歌謡バラエティー番組の「歌まね読本」に
出演して、父親が教えてくれた浪曲や隣のお寺の
御経でリズムそれに映画館から流れる
音楽が小林幸子の環境下で育ったことで
小林幸子の持っている歌声が、当時の歌手の
美空ひばり・畠山みどり・松山恵子の
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3人の特徴をつかんだモノマネを披露しました。
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出演した大人達を圧倒しモノマネがうまい歌唱力が有った。
モノマネ出演で5人勝ち抜いて見事グランドチャンピョンに
なったのです。
審査員長の古賀政男さんが小林幸子の歌を聴き
歌手に仕様と思い、両親に声を掛け合います。
当然、父親は大賛成しましたが、
小林幸子はまだ小学4年生で子供だと
母親は猛反対し両親は大喧嘩。
当の本人は、幼く世間知らずですが
歌手になりたいと宣言します。
両親は古賀政男さんに説得されて
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古賀政男が用意してくれた
アパートで一人暮らしでした。
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小林幸子の世話役として古賀プロダクションの
女性マネージャー(中澤さん当時22歳)が
レッスン先までの送り迎えや食事のまかない準備
いろいろと身の回りの世話をしてあげたそうです。
今も中澤さんとはお付き合いがあるそうです。
レッスンを受けるごとに上達が早く
1964年小学5年生10歳の時にレコーディングして
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「ウソツキ鴎(かもめ)」古賀作曲で
演歌歌手としてデビューしました。
トクトクの歌い方が、大衆に響いたのでしょう。
いきなり、20万枚を売り上げるヒット曲になりました。
小林幸子は見る見るうちに歌唱力を上げて
当時の美空ひばりの再来、天才少女歌手とまで
言われて、たちまち脚光をあびたのです。
10歳だった少女はたちまち大人の中で
仕事をしていた、同期に都はるみ(高校1年生)と
仲良く仕事をしていたそうですが、
互いは若く、楽屋でふたりが騒いでいて
怒られたそうです。
そのふたりを注意したのが島倉千代子さんだった。
芸能界に入って初めて怒られたそうです。
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それ以来、島倉千代子の事を「母さん」と呼んで慕い
島倉さんも小林幸子の事を「さち」と呼んで
新潟に居る母親以上に母と娘のような関係だったそうです。
島倉さんが亡くなるまで、約50年間母と子のように
続いていたそうです。
小林幸子の生い立ち!幼い頃の食卓には新潟の牛肉が!出身地は新潟!のまとめ
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父親は農家生まれの次男として歌手になりたいと
夢をいだいていたものの、
昭和15年に陸軍に入隊します。
軍隊に入営する際に、自分の歌声をレコードに
録音して残したいと希望していたそうです。
陸軍に入隊し、2年後に憲兵に合格して
朝鮮半島に渡り福渓里で任務してました。
その後、終戦になって新潟に帰還して
小林精肉店を開店させます。
母親はこれからは肉食時代がやってくると
予感していたそうです。
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父親は子供の頃から、東海林太郎の歌に
憧れて、小林幸子に歌って聞かせていたそうです。
その歌こそが、小林幸子にとって
歌の先生だったのです。
もうすぐ70歳の高齢者に近づいている
小林幸子さん、喉に気を付けて、身体が資本ですから
これからもわたしに歌を歌って、
独特の歌の持ち主でいて欲しいです。
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今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。