こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は歌手、タレント、女優、ナレータ-の
由紀さおりさんが夜明けのスキャットを歌って
後期高齢者の仲間入りを迎えて、
最近は姉の安田 祥子(やすだ さちこ)と一緒に
童謡を衛星放送で歌謡曲の歌手の方々の中で歌っている
由紀さおりさんの原点は生まれ育った
出身地が気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
生まれた場所は群馬県桐生市内に住んでいて
父親の仕事(軍事工場)場所は
群馬県尾島町(現・太田市)の中島飛行機の
会社で工場長として働いていました。
由紀さおりの生い立ち!
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幼い由紀さおりは、桐生市の思い出は
多分記憶に残っていないと思います。
桐生市は足尾銅山から流れる渡良瀬川が
桐生の町を分断するかのように
栃木の足利市に流れて、渡良瀬遊水地で
利根川と合流するのです。
由紀さおりのプロフィール
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- 本名:安田章子(やすだ あきこ)
- 生年月日:1946年11月13日
- 出身地:群馬県桐生市
- 身長:156cm
- 体重:59kg
- 血液型:A型
- 星座:さそり座
- 学歴:横浜市立豊岡小学校
洗足学園第一中学校(閉校)
洗足学園第一高等学校(2008年に閉校)
洗足学園短期大学英文科卒(現・洗足こども短期大学) - 趣味:陶芸・テニス・ガーデニング
- 特技:日舞。ハープ(マイハープを持っている)
- 職業:歌手・タレント・女優・ナレーター
- 活動時期:1965年-
- 著名な家族:安田 祥子(やすだ さちこ)(実の姉)
- 事務所:田辺エージェンシー
安田音楽事務所
実家家族
- 父親:飛行機工場の工場長
- 母親:一般の方です
- 兄:7歳年上 一般の方です。(情報は見つかりませんでした)
- 姉:安田 祥子(やすだ さちこ)
- 本人
桐生の町に住んでいる頃、父親の仕事は
隣村の群馬県尾島町(現・太田市)の中島飛行機の
飛行機会社の工場長だったそうです。
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尾島町(現・太田市)出身の中島知久平という
方が、尾島町に飛行機工場を建てたのです。
1919年から飛行機の製造を始め終戦まで
飛行機を製造していました。
1945年終戦直後にアメリカのB29の
爆撃によって工場は破壊されました。
その為に、生産能力を失った父親は仕事場が無くなり、
終戦直後には富士産業株式会社が設立されました。
その翌年に由紀さおりさんは誕生しました。
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父親は工場の整理を約3年かけて行い
太田工場と三鷹工場で航空機の研究開発・
生産を禁じ。航空機以外の分野に進出を
余儀なくされたのです。
父親は、工場の整理が終わった事で
今まで太田工場で培ったことを生かす
職場を見つけるために、中島飛行場跡の三鷹工場で
次の新しい製品開発「スクーター」の生産ラインを
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手伝ったのではないかと思われます。
又は、転勤で太田工場から三鷹工場に移動したのでは
と考えられます。
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しかし、当時の国鉄で通勤したとしたら
2時間はかかっていたと思います。
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鶴見区は工業地帯でもありますから
別の仕事を選択したのかも知れません?
由紀さおりさんは、徐々に記憶が分る
年齢5歳頃から、姉の祥子さんと5歳違い
兄は7歳年上で家族5人で横浜市鶴見区に
住居を構えますが、何度か引っ越しを繰り返して
落ち着いた町が鶴見区豊岡町でした。
豊岡町はJR鶴見駅に隣接した街並みは
鶴見の商店街が賑やか町です。
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西口はの周りが繁華街になっていて
駅前ロータリーは少し狭い感じがしました。
鶴見区は西側には小高い丘になっていて
坂の多い街でもあります。
東口には私鉄の京急電車の鶴見駅が有ります。
立地条件には都内に出るのには35分で
東京駅にでることができます。
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そんな場所で過ごしていた由紀さおりさんは
姉の安田 祥子(やすだ さちこ)とは中が悪かった
と話しています。
小学校時代は勉強が苦手で算数は特に苦手だった。
7歳年上の兄さんから算数を教えてもらっている時に
算数の解き方はいいから答えを教えてと
文句を言って兄を困らせていたそうです。
姉妹は同じ部屋を使っていました。
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小学生の時に講堂から歌声が聞こえ
いつも「ひばり児童合唱団」が毎日の様に
練習をしているのを姉の祥子さんが見て
その声に惹かれて、稽古を見学していたそうです。
その様子を母親が見ていて、姉を合唱団に
入団させることにしました。
当時のお姉さんは小学校一年生で
由紀さおりさんは4歳にもかかわらず
お姉さんの稽古に付いて行き、稽古している曲を
由紀さおりの耳にして、徐々に歌を覚えて
自宅で歌って見せていたそうです。
日々、小学校から帰宅するとね稽古場に
姉と一緒に由紀さおりがついて行くようになって
ある日のこと、団員の方から由紀さおりさんも
入団しなさいと誘われて、一番下のクラスに
入団する事になったのです。
由紀さおりの音楽の原点
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由紀さおりさんの合唱団の一員になって
活躍するようになって1953年の
小学一年生の時にレコード会社のオーディションに
合格しました。
この時、姉は既に歌手デビューをして童謡歌手として
活動していました。
中学校は洗足学園第一中学校へは列車で
約40分ほどかけて通学していたみたいです。
音楽の勉強をして、高校進学後は
よく男性にナンパされたと語っています。
スキャットは川のせせらぎから出身地は群馬!
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高校時代はお姉さんと一緒のソプラノ歌手に
ならないで、童謡歌手を続けるか悩んでいたそうです。
高校時代1965年17歳の時に「ヒッチハイク娘」で
歌謡曲の歌手としてデビュー、本名「安田章子」でした。
その後もシングルレコードを出しましたが
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まったく売れずに終わってしまったのです。
高校卒業して、短大に進学すると、
大人の世界を歌えるようにと、キャバレー、
ナイトクラブで修業させられたのです。
そして、当時のCMソングにスキャットが流れ
ルルル♪で口ずさむ歌が視聴者の耳に届いたのです。
1996年3月に「夜明けのスキャット」として
リリースされるとたちまちレコードが150万枚を
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突破してミリオンセラーを記録したのです。
わたしは当時、大学一年生で、ステレオを買って
間もないところに、由紀さおりのル♪ルルルル♪を買いました。
由紀さおりの生い立ち!スキャットは川のせせらぎから出身地は群馬!のまとめ
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既に後期高齢者の年齢に達し、国民健康保険であれば
2割負担で診療が受けられます。
まずは、健康が一番です。
群馬県桐生市で生まれ、父親の仕事で
3歳の時に、まだ物事ははっきり覚えていない頃に
神奈川県鶴見区へ約5時間かかって到着です。
山と川に囲まれた空気が澄んだ町と別れて
工場地帯の神奈川県鶴見区は空気のうまさが違います。
その場所で幼い由紀さおりは育って行くのです。
歌はお姉さんのお陰で、マネをして
歌の覚え、その歌が将来の歌手へと
進んでいったのです。
今は、お姉さんとデュエットして童謡歌、朗読
自分に合った事をねこの先も続けて欲しいと思います。
スキャットは由紀さおりのトレードマークです。
これからも桐生の渡良瀬川やみどりを思い出しながら
歌い続けて欲しいです。
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わたしも、今も持っているスキャットの曲は
大事に眠っていますが、もう一度、ターンテーブルの
上で45回転に針を落としてルルル♪を聴きます。
これからも健康で歌い続けて、後期高齢者を
元気にしてください。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。