![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/large_5c115b34b41-285x300.jpg)
こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は日本の演歌界のスーパースター
八代亜紀さんがちょっと病気になって
気になったので
ジャックして「八代レコード店(展)」を
設置してお客様へレコードの紹介を
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/box1-300x266.jpg)
開催された、コロナの中でコンサートも
ままならない時代の中で頑張っている姿を最近は
衛星放送で演歌歌手の方々の中で歌っている
亜紀節を聞き、生まれ育った出身地が
気になったので記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
八代亜紀という、地名から取った女性歌手としては
珍しいと思いました。
九州の中央部の県、熊本県南部に位置する
都市でもある八代市(やつしろし)は
熊本県で第2位の都市として栄えています。
推計人口は121,052人(2022年3月1日)です。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/IMG_20200103_0919561-300x225.jpg)
八代の玄関口は、八代駅(やつしろえき)でした。
この駅に着くと、駅の東側に製紙工場が有り
その煙突から白い煙を空高く吐き出しています。
パルプの腐った匂いが鼻を衝き、鼻をハンカチで
ふさがないと息ができないくらい、臭い街と
という印象です。
八代亜紀さんはもの心ついた頃には、
風向きによって、パルプの臭さを覚えていると思います。
いまは、匂いも減ってきていますが、匂いは有ります。
空気は奇麗ですし、果実も有名どころで
冬になると、オレンジ色が店先に並んでいます。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/imgrc00720074731-300x234.jpg)
そんな、町で幼い頃を過ごした場所を
尋ねてみたいと思います。
八代亜紀のプロフィール
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/image1-12.jpg)
- 本名:増田明代(ますだ あきよ)
- 出生名:橋本 明代(はしもと あきよ)
- 生年月日:1950年8月29日
- 出身地:熊本県八代郡金剛村(現・八代市)
- 身長:162cm
- 体重:57.7kg(標準体重)
- 血液型:B型
- 星座:乙女座
- 学歴:八代市立植柳小学校から八代市立金剛小学校卒
八代市立第六中学校 - 趣味:読書・漫画・スポーツ観戦・陶芸・ゴルフ・ショッピング
- 特技:絵画
- ジャンル:演歌・歌謡曲・ジャズ
- 職業:歌手・女優・画家
- 担当楽器:歌
- レーベル:テイチクレコード(1971年-1981年)
センチュリーレコード(1982年-1985年)
日本コロンビア(1986年-)
ユニバーサルミュージック(2017年-) - 事務所:ミリオン企画
実家家族
- 父親:会社員で後に自営業・陶芸・歌が上手かった。63歳で他界。
- 母親:93歳・沖縄出身(お母さんの情報は見つかりませんでした)
八代亜紀は八代中心部から球磨川を挟んだ
三角州の町で幼い頃を過ごしていたと思います。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/3_1810_1_sp7qdgrfsqsr8qsdcgmoapl61-300x136.jpg)
北東風が吹くと、製紙工場からパルプの腐った
嫌なにおいが鼻を衝きます。
鼻をつまんで遊んでいたと思います。
球磨川は下流で、不知火海に注ぐ川で
日本三大急流の一つとして有名な川ですが
一昨年の水害で、球磨川は濁流となって
川沿いの人や、橋梁をさらって海へと
攫って行きました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/440px-R3-1-4631-300x168.jpg)
一面、穏やかな球磨川も牙をむいた
濁流に変化する下流の町も、少しは水が影響が
あったと思います。
幼い日の生い立ち!
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/0000007406_r1-222x300.webp)
八代亜紀は父親が歌う浪曲を子守歌とし聴かせ
浪曲はどすの利いた声で歌うので、
歌の内容は分らなかったが、そのままマネをして
全ての歌を歌っていたそうです。
また、父親からは絵を教えてもらい、絵を描くようになった。
幼い頃から、女の子としてはハスキーな声で
歌っていて、自身はコンプレックスをひしひしと感じて
いたとみます。
この町は田園地帯で海岸が有り港町としても
栄えてる町です。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/caption1-6-300x200.jpg)
田園地帯にはいぐさの生産、商店街、歓楽街や
日奈久温泉でくつろぐ人々が汗を流しに
温泉につかって楽しんでいます。
子供の頃は、虚弱体質で栄養失調気味だったと言うが
町は港町で魚介類は豊富に取れて、食べられていたと思います。
八代亜紀は5歳の頃から料理を仕込まれていたそうです。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/640x640_rect_602045561-300x300.jpg)
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/caption1-7.jpg)
小学生時代、遠足や修学旅行へは、いつも両親と旅行していたので
家族と離れ離れが嫌で、担任の先生も困っていたと思われます。
街中で流れて来る歌謡曲の中でも、美空ひばりの歌が
小学生時代は大好きだったみたいです。
幼い頃から色々な歌が好きで志た!
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/sec1_021-300x205.png)
父親が会社を辞めて運送会社を興しました。
1961年小学校6年生の時にジュリー・ロンドンを聞いて
クラブ歌手を志しました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/tocj-66144_nul_extralarge1-300x300.png)
当時としては、ハイカラな曲をJAZZを父親は
聞いていたんですね。
その音楽を八代亜紀(娘)に聴かせては
歌に親しんで、地元の歌謡コンクールなどに
出演していた。
小学校の頃から、クラブ歌手になる事を意識して志ます。
通っていた小学校と中学校の位置関係は、余り
離れていなかったので、好きなスポーツの一つ
部活はバレーボール部に入部していたみたいです。
1965年に中学校を卒業(15歳)して、地元の
バス会社の九州産交バスに就職しました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/20150329214554b5d1-300x202.jpg)
バスガイドとして配属されましたが
思うように仕事ができず数ヶ月で退職しました。
退職後、友人の勧めで八代市内のキャバレー「キャバレーニュー白馬」の
オーディションに年齢をごまかして参加して、
見事合格して、店の専属歌手として採用されました。
しかし、バス会社を退職した事を告げないで
キャバレーのステージで歌っていたところを
3日目に父親の友人が店に来客して八代亜紀(娘)が
歌っている所を発見されて両親にばれた。
父親からは「いつからそんな不良になったんだ。出ていけ」
八代弁で「いつからそぎゃん!不良みたか娘になったつかい!
出ていけ!」と勘当されて、上京したのです。
キャバレーで歌ったのは3日間だけに終わってしまった。
八代亜紀は「歌手としての一歩を踏み出した場所、志の原点は
この場所だと大事にしまい込んで東京での再出発を
始めました。
東京では親戚の家に下宿させてもらい
音楽学院に通い、学費と生活費は新宿の歌える喫茶で
バイトを始めました。16歳の頃です。
1968年18歳の時に銀座のクラブで歌うようになり
八代亜紀の歌はハスキーで哀愁ある歌声は
聞いている人たちを引き付ける独特のある
歌が聴かれ、ホステスからは「レコード」を
出した方が良いよと後押ししてくれたのです。
その後、レコードデビューが叶い3年後の
1971年に歌手デビュー、曲は「愛は死んでも」の
シングルレコードを大切に抱いて眠ったそうです。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/DF181105-1401-300x300.jpg)
同曲はヒットしなかったが、これまで応援してくれていた
人達に気持ちを伝えたいと思って、何とか売りたいと思って
トランク一杯シングルレコードを詰め込んで
地方のキャバレー周りを毎日の様に歩いたそうです。
八代亜紀の幼い日の生い立ち!幼い頃から色々な歌が好きで志た!のまとめ
熊本県八代市から、歌が好きだったが
生まれ持ったハスキー声は、自分にとって
最初は嫌だった、しかし、父親が洋楽の素晴らしさを
教えてくれた歌手ジュリー・ロンドンの歌を聴き
八代亜紀はキャバレーでクラブ歌手になる志を
決めて、15歳の時に八代市内のキャバレーで
歌い、夢を形にする為に、歌い続けます。
高齢者になった八代亜紀は同世代に元気を
与えて欲しいものです。
わたしも八代亜紀のハスキーな歌声を
哀愁あるものとして、元気をもらいます。
これからも健康に気を付けて、喉に
優しく、無理をしないで、歌い続けて欲しいものです。
しかし、田舎へ帰るのは、いつの事でしょう。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/104299531-320x180.jpg)
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/01ba229a17a0552668d90d8b37de86a0202204081357039661-195x180.jpg)
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。