![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/201208160015_ex1-199x300.jpg)
こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は日本の演歌歌手の
川中美幸さんがデビュー45周年
デビューコンサートを開催されたのを
聞き、生まれ育った出身地が気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
川中美幸さんの出身地は鳥取県米子市で
生まれています。
現在、米子市は鳥取県の西部に位置し人口は
鳥取市に次いで第2位の77,543人です。
人口集中地区人口が比較的多い市町村です。
鳥取県の中でも鳥取市47.55に次いで2位36.6%
倉吉市8.1%、その他の人口です。
米子市が如何に人々が集まるか分かります。
水木しげるさんも鳥取県出身です。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/3830591-300x200.jpg)
米子空港も通称名鬼太郎空港になっています。
川中美幸は小学校に入学する前まで
6歳又は7歳前まで住んでいたと思われます。
川中美幸のプロフィール
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/1_b1-1-201x300.jpg)
- 本名:山田岐味子(やまだ きみこ)
- 生年月日:1955年12月5日
- 出身地:鳥取県米子市
- 身長:158cm
- 体重:56.1kg(標準体重)
- 血液型:B型
- 星座:おとめ座
- 学歴:大阪府吹田市に小学校20校有ります。
大阪府吹田市に中学校が19校有ります。
東京都立小松川高等学校定時制
東京都小松川高等学校 - 趣味:音楽鑑賞・観劇・ドライブ
- 特技:小物集め・ミシンを使っての小物づくり
- ジャンル:演歌
- 職業:演歌歌手
- 担当楽器:歌
- 活動時期:1973年-
- レーベル:テイチクエンタテインメント
実家家族
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/011-300x169.jpg)
父親:川中武雄(2011年亡くなっています)
母親:川中久子(2017年亡くなっています)
本人
弟:川中良晃
川中美幸の幼い日の生い立ち!
実家の米子市で食料店を経営していました
美幸さんの名前は、お店の常連さんが
姓名判断の先生に頼んでつけたそうです。
幼い頃に父親が自家用車で酒気帯び運転して
人身事故を起こして、自動車の保険に
入っていなかったことで、補償金支払いに
借金をしてしまいました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/top_image1-1-300x169.jpeg)
父親は酒に溺れ、病気がちで食料店も
続けられずに、母親が給食のアルバイトをして
少しでも稼ぎをして返済に充てていたと思われます。
アルバイトのお金で少しでも家計を助けていましたが
日々苦しい生活が続きました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/header_021.jpg)
そんな中でも、父親が三波春夫の曲、母親が美空ひばりの曲が
好きでいつもお店のスピーカから音楽が流れて、
自然と川中美幸は口ずさみ歌っていたのです。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/sub4_large1-300x169.jpg)
2歳になった時に、母親の実家であった
大阪吹田市に引っ越す事になったのです。
吹田市の小学校としか情報は有りませんが
小学校で歌をうたわせると上手だったことが
結果に出たのです。
幼い頃から歌が好きでカラオケから!
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/g_ChIJm8e5Gcfo9F8R1xcnzv-Ylgw_720_5401-300x225.jpg)
小学校3年生の時に家族で温泉旅行でたまたまカラオケ大会に
飛び入りして出場した、なんと自宅で口ずさんでいた
効果が発揮できて優勝してしまいました。
優秀賞品は勉強机をもらった。
その後両親はカラオケ大会や「ちびっこのど自慢大会」の
話を聞くと娘の川中美幸を出場させるようにしました。
小学校時代から大阪に引っ越してきてから
大阪では、エントリーするだけで優勝候補といわれ
「のど自慢あらし」とまで言われる川中美幸と
なっていったのです。
その後も歌が川中美幸にとっては、音楽の道に
進むために、中学2年生の時に作曲家のもず唱平さんの
もとで歌のレッスンを受けていた。
もず唱平さんの薦めで、中学校を卒業して
実家を離れ上京します。
もず唱平さんの紹介で芸能プロダクションに
入りました。
中学校を卒業して芸能プロダクションと高校へ
進学する為に、高校は夜間(定時制高校)に
通える高校を選んだと思います。
高校は江戸川区の荒川側にある都立小松川高等学校へ
両立しながら歌と勉学に励んで、定時制は3年間ではなく
4年間授業を受けて卒業するのです。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/20211024-00000055-chuspo-000-4-view1-300x241.jpg)
今は、小松川高等学校には定時制課程は
2009年に廃止されました。
ワーナー・パイオニアに所属し、
18歳の時「春日はるみ」という名前でデビューしました。
当時はポップスが大流行(山口百恵・桜田淳子・南沙織)と重なって、
いつも、カラオケ大会で優勝し続けていた雰囲気と違って
歌う曲がヒットせず、心境に強い挫折感をいだいたのでした。
父親の身体の体調が悪化して、結局大阪吹田に帰って
父親の看病で歌手から離れてしまいました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/18332161-300x225.jpg)
母親が開店したお好み焼きを手伝居ながら
入院先で寝泊まりしていたそうです。
再びもず師匠から度々連絡がきて
演歌とは!年齢を重ねた人に心に伝わるように歌えない。
と言われ、これからだ!再び上京して
21歳の時大阪毎日放送主催の「ネオン街音楽祭」で
見事グランプリを獲得しました。
そして、25歳の時1980年に発売された「ふたり酒」が
ミリオンヒットの曲となりました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/41XzIcg9ZL._AC_1-300x298.jpg)
翌年、1981年、紅白歌合戦初出場を果たしました。
その後、うなぎ登りの人気となり、カラオケ時代から
当たり前のように優秀と言う文字が、
今度は演歌には無くてはならない人になったのです。
川中美幸の幼い日の生い立ち!幼い頃から歌が好きでカラオケから!のまとめ
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/0e35d1f033267716100f5bbf849f1c271-300x300.jpg)
鳥取県米子市に生まれた、川中美幸さん
幼い頃の思い出は、食料店で流れていた
音楽を口にして歌っていた頃の思い出が
今も頭の片隅に残っているのでしょう。
これからも、演歌の大御所として
わたしに聞かせてください。
こぶしがきいた演歌節を!
既に60歳を超えた高齢者です。
これからも元気で歌い続けて、
私たちを元気づけてください。
身体に気を付けて、歌い続けてください。
身体は資本です。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/misawa-270x3001-1-270x180.jpg)
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。