こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は歌手、女優の
三沢あけみさんが病気の事を
告白したのを知って
生まれ育った出身地が気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
三沢あけみの幼い日の生い立ち!
三沢あけみさんは長野県伊那市は南部に位置し
山間の自然豊かな町で戦前に生まれました。
現在は中央高速道路とJR飯田線が
並行して走っています。
西側15km先には中山道の宿場
奈良井宿、江戸時代の道、中山道が走っています。
三沢あけみさん戦前生まれと言っても
生まれた年に終戦を迎え、
日本の国が敗戦からの立ち上がりの年
既に75歳を迎えた三沢あけみさんの
幼い生い立ちをひもといてみました。
三沢あけみのフロフィール
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- 本名:宮下 登志子
- 生年月日:1945年6月2日
- 出身地:長野県伊那市
- 身長:158cm
- 体重:54.9kg(標準体重)
- 血液型:A型
- 星座:ふたご座
- 学歴:長野県伊那市立小学校は15校あります。
- 長野県伊那市立中学校は5校有ります。
小野学園女子高等学校卒(現品川翔英中学校・高等学校) - 趣味:ウォーキング・スキューバダイビング・ヨガ・水墨画
- 足サイズ:23.5cm
- ジャンル:演歌・歌謡曲
- 職業:歌手・女優
- 担当楽器:歌
- 活動時期:1959年-
- 事務所:三沢あけみオフィース
生まれて、小学校の入学式で桜の花の見学は
高遠城跡公園の桜が見頃で、今年も咲き誇っている事でしょう。
高遠城は戦国時代に諏訪氏一門の高遠頼継が居城として
納めていた。
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現在は日本100名城の一つとして30番に選定されている。
三峰川が流、盆地としての伊那市は南アルプスに御嶽山と
活火山と聳え立つ残雪の山々が青空に映えて
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澄みきった空気の中で育った、三沢あけみさんは
小学校では、級長をやっていたそうです。
どんな女の子だったかは、披露していません。
しかし、中学校に入学すると、
三沢さんの家族の兄弟、長男、姉、姉、末っ子(三沢あけみ)は
かなり年齢の差が有って、長男の兄さんとはお父さんという感じ
また、姉とも歳の差があって、母親のような感じだったそうです。
子供の頃から、歌手に憧れ、中学校2年生14歳の時に
東映に応募しました。
幼い頃から歌が好きで最初は女優!
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当時の応募年齢は16歳以上だったそうですが
三沢あけみさんは、2歳年をごまかして応募し
見事、合格の通知を貰います。
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当時としては、プロマイドではなく写真を
応募用紙に貼り付けて、写真を貼りますが
写真は、今のように写真ボックスではなく
写真屋さんに行って、スタジオの中で
白黒の写真を撮るのに、大げさなスクリーンが
スタジオの中で、垂れ下がり、バックをイメージして
三沢あけみさんは、中央の椅子に腰かけて
カメラのレンズを見て、1枚、2枚、3枚と
シャッターを押して、笑顔を絶やさないで
カメラに向かっていたのでしょう。
写真屋さんでどの程度、修正がかかったかは
分かりませんが、よく撮れた一枚を
封書に入れて郵送したのでしょう。
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何処で、2歳年上を偽ったのでしょう?
それは、推測ですが、西暦と昭和の
どちらかの数字を間違って、記入したのでは
ないでしょうか。
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東映では採用した担当者は、14歳の女の子を
2歳も年下の子を特例として合格したのは
写真屋さんのお陰だったのかも知れませんね。
可愛く撮れた写真を見て特例にするほどの
女の子だったのでしょう。採用決定!
三沢あけみさんは歌手志望だったのですが
当時、歌手にしては若すぎるという事で
最初は女優としてのデビューでした。
デビュー作はテレビドラマ化された
1960年「笛吹童子」の15歳の時でした。
主役の北大路欣也さんが笛吹童子役を演じた。
三沢あけみとして芸能界デビューしたのです。
当時は、学校と東映撮影上に通って
時代劇の演技の指導を受けて、
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東映の時代劇は、明治維新以前の時代を
侍を題材にした作品が多く上映された。
1961年までは時代劇に出演して活躍していた。
1963年17歳の時にビクターレコードから
「タイトル:ふられ上手にほれ上手」で歌手デビューします。
デビュー曲は余りにも色気が有り過ぎて、放送中止になった。
その年の4月に発売された「島のブルース」が大ヒットします。
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この年の第5回紅白歌合戦に初出場を果たしました。
テレビはまだ普及していませんでした。
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次の1964年には東京オリンピックが開催される年に
カラーテレビが、やっと普及し始める年として
まだ一般家庭で見る事は少なく、公会堂や市役所のロビーで
東京オリンピックをカラーで観て応援したものでした。
そんな時代に三沢あけみさんは歌手として
羽ばたき始めたのでした。
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三沢あけみの幼い日の生い立ち!幼い頃から歌が好きで最初は女優!のまとめ
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長野県伊那市の生まれで、5人家族の末っ子として
盆地の中で、空気が奇麗な町で過ごしていた
一人の眼がくりっとして、丸顔のどことなく
憎めない可愛い女の子が、突然、2歳の年の差をだまし
当時は東映と言えば、エリートコースの映画会社へ
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人事担当他、書類採用で、特徴ある眼が
東映のスタッフに訴えかけて、特別に
採用してもらったのでしょうかね?
いまだに、その理由は明かされていません?
父親、母親に関する情報は得られませんでした。
三沢あけみが10年前に見つかった乳がん、
3年前に肺腺がんが見つかって闘った過去を
話されていました。
早期発見がガンには効き目が有るのだと思います。
そのことをわたしに伝えてくれたと思います。
76年間生きてきて、何もない身体は人間にとって
無いと思います。
これからも検査を欠かさずに、検査を受けて
長生きをして歌い続けてもらいたいです。
こころから応援したいと思います。
14歳の三沢あけみが心に思うことを
やり遂げてください。
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今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。