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こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は日本の音楽フォークシンガーの
南こうせつさんのめがねがトレードマークに
変わらないヘアースタイルが幼い頃の
思い出場所が川と山に囲まれた
空気が澄んだところで生まれ育った
出身地が気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
大分県の中でも大分市内から南へ16kmの
山と川に挟まれたのどかな町です。
周りにはゴルフ市場が点在して
大分市民の憩いの場所になっています。
実家は既にご存じの方もいますが
改めて生い立ちをたどってみました。
曽洞宗勝光寺の三男として生まれました。
お寺の息子さんですから、町内の人は
長男が跡を継ぎ、次男・三男は大分を出て
大分には戻ってこないとまで言われていた
時代です。
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勝光寺は大友氏の武将能直によって1196年に
建立されたとされています。
わたしは、おじいさんから聞いた話では
昔の武士は、出家して僧になっていた。
勝光寺には、多くの武士たちが眠っていると
思われます。
竹中地区は鏡城跡北西対岸の30m程の尾根に建っていたそうです。
鶴賀城跡は古戦場の南側にそびえる比高150m尾根に築かれ
利光城とも呼ばれ人名のような城名で大野川を挟んで
お城が建っていました。
勝光寺のお堂には、仏さまが竹中の地域の人達を
見守っているのでしょう。
そんな中で、お寺の中で、幼い頃は丸坊主で
半ズボンで遊んでいたと思われます。
南こうせつのプロフィール
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- 本名:南 高節(みなみ こうせつ)
- 生年月日:1949年2月13日
- 出身地:大分県大分市(旧大分郡竹中村)
- 身長:163cm
- 体重:58.5kg(標準体重)
- 血液型:AB型
- 星座:みずがめ座
- 学歴:大分市立竹中小学校卒
大分市立竹中中学校卒
大分県立舞鶴高等学校
明治学院大学社会学部中退 - 趣味:釣り・果物・野菜栽培・ガーデニング
- ジャンル:フォーク
- 職業:フォークシンガー
- 担当楽器:ボーカル・ハーモニカ・フォークギター
- 活動時期:1976年-
レベル:日本クラウン/PANAM(1976年-1979年、2001年-)
日本クラウン/ORPLID(1979年-1980年)
キャニオン・レコード→ポニーキャニオン/SOH(1981年-1999年) - 事務所:ベリーファーム
実家家族
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- 父親:僧侶
- 母親:チエさん一般の人で教育熱心(亡くなっています)
- 兄:長男慧昭(えしょう)(実家を継ぎ住職を務める)
- 兄:次男光洋(早世)
- 姉:長女(子供の頃、歌が上手かった)
- 本人:末っ子高節
- 妻:南いくよ(南育代。エッセイスト)
竹中地区は大分市から約16kmの場所に有って
鉄道も走っています。
鉄道は大分から豊肥本線(大分から竹田・阿蘇・水前寺・熊本)が
九州の真ん中を雄大な阿蘇と大自然の中を走っています。
鉄道ファンの人にはたまらない観光スポットです。
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高節少年は、小学校時代は自宅の畑の野菜作りを
手伝ってくれたそうです。
勝光寺は檀家さんが少なく、竹中地区だけで
収入では生活が困難であったことから
自給自足をして、山に行って、鳥や山菜を
取って、食べていたそうです。
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小学校の頃はお兄さんに連れられて、
山で木を使って、わなを仕掛け、野うさぎや
スズメ・ヒヨドリ・ツグミと言った野鳥を
獲って食べた事もあったと話してます。
わたしは野うさぎを捕らえる話を
先輩から聞いたことが有りました。
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田舎の中学校では、学校行事として
1年生、2年生、3年生の生徒達が小高い尾根に
立つ生徒、裾野で待ち受ける生徒に
別れて、一斉に尾根から一気に下り
下りながら、野うさぎを裾野の方へ
おびき寄せて捕まえる作戦を
田舎の中学校で実施されていたと話していました。
当然、高節少年も、中学校で野うさぎ狩りの
経験が有ると思います。
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夏は大野川で水遊びをして遊んでいたと思います。
母親が教育熱心で、高節少年は小学校の頃から
成績は良かったそうです。
法事の時、檀家さんに高節少年は歌が上手いと
言われていて、三橋美智也の「夕焼けとんび」
演歌調で甲高い声の持ち主だった三橋さんの
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歌は幼い小学生の変声前の歌にはぴったりして
上手く歌えて、おひねり(小遣い)を
もらったこともあったそうです。
中学時代は自宅から歩いて450mの所に有って
15分もあれば着きます。
遅刻はしなかったと思います。
そんなに離れていない山の中腹に有って、
坂道を歩いていたのでしょう。
中学時代からラジオから流れる洋楽が
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好きになって、ボブディランのカントリー曲が
高節少年に衝撃を受けたことでギターをやりたくなり
兄が持っていたウクレレを借りて、練習を始めています。
フォークギターを買うために、小遣いを貯めて、
念願のフォークギターを購入して独学でマスターしました。
当時はギターの弾き語りで有名だったエルビスプレスリー
にも影響を受けて、ロックンロールのまねをして
音楽の道へ進んでいったのです。
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高校は大分市内の舞鶴高等学校に入学します。
自宅から高校までは約1時間30分程通学に
かかっていたと思います。
高校は進学校として古くから知られている。
高節少年は音楽(コーラス)部に在籍し部長として
活躍していたそうです。
3年生の時に2学年の後輩とフォークバンド「ヤングフォークスリー」を結成して
音楽活動をしていました。
当時はエレキギターも流行っていて、
高節少年はエレキギターにも熱心だった。
洋楽にハマっていた高節少年はもっと洋楽を
知りたいという気持ちや歌手になりたい気持が
目の先は東京で音楽を知りたいと思って
東京の大学を受験しています。
南こうせつは高校卒業して大学受験をして
明治学院大学に進学します。
東京で大学に入学したのは口実で
大学に通わず音楽活動に没頭して
オーディションを受けて21歳の時に
合格して1970年4月に「最後の世界/むなしい歌」でソロデビューします。
デビュー曲は散々でわずかレコード300枚に終わっています。
実家はお寺で仕送りもままならないのに
1年に数回、コメや野菜が届くと「身に染みた」と話しています。
同じ年に森進一郎さん、大平三平さんと「南高節とかぐや姫」を結成します。
1年間の活動で解散します。
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1971年に山田パンダ、高校時代の
後輩だった伊勢正三さんと
フォークグループ「かぐや姫」を結成します。
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1973年にリリースした5枚目の「神田川」が大ヒットしたのです。
フォークグループの仲間入りが叶ったのです。
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しかし、2年後には解散して、南こうせつは
ソロシンガーとして現在も活動を続けています。
南こうせつの幼い日の生い立ち!実家のお寺で歌って出身地は大分!のまとめ
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大分の南に位置するお寺の三男として
法事の時に、三橋美智也の歌を歌い
変声前の高い音が、自分が歌手になれる
夢をいだいて、中学校・高校生として
ギターを片手に持って、大学進学ではなく
音楽の道を探しに上京して、
実家の貧しさから飛び出して
両親をホッとさせて上げられる事を
幸せな南家にしたい目的が有って
南こうせつは、今も歌い続けている。
これからも体力がある限り歌い続けて
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わたしにも、神田川は濁った川ですが、
大野川は済んでいる魚が見える川です。
環境にやさしい歌声を聴かせてください。
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今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。