![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/b0033699_94448991.jpg)
こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は音楽シンガー
ソングライターの吉田拓郎さんの
ジーンズとサングラスが
どこか似合ってギターを
弾きながら歌っている
姿がふるさとを感じて
歌っている気がして
気になっていました。
生まれ育った出身地の
ふるさとが気になった。
吉田拓郎さん76歳が
7月21日のフジテレビ系列
タイトル「LOVELOVEあいしてる」が
最後のテレビ出演になります。
今までに歌い続けられた
幼い頃のふるさとが気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
最初に吉田拓郎の歌を覚えたのが
下駄を鳴らした奴が来る♪の
我がよき友よの歌詞の始まりで
歌いだすの幼い頃
住んでいた、出身地を
ひも解いてみます。
鹿児島県の北部に位置し、県境
熊本県、宮崎県が接しています。
鹿児島県の最北に有り、盆地でもあります。
昔は大口町として金の鉱山が有りました。
大口町は北の山に向かう熊本県人吉市に走る道路、
西の不知火海に向かう水俣市に走る道路
鹿児島県の海に続く出水市し南にはさつま市が走り
東には宮崎県のえびの市への道が走っています。
南の方角には、霧島連峰が町を覆いかぶさる
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/effd48eff4a913556ce85b43f8cade6d_t1-300x225.jpeg)
雄大さを見せてくれます。
そんな、緑豊かで水源にも恵まれた
大口町(現伊佐市)で生まれたのです。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/T3W70u3mlNQlqtUZiLWA8FPOTJ5gcKpIeqn3O5eT__599_4491-300x225.jpeg)
父親の実家があった伊佐郡羽月村で
幼い頃を過ごしていたのです。
吉田拓郎のプロフィール
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/2080943_201611030435076001478116820c1-200x300.jpg)
- 本名:吉田拓郎(よしだ たくろう)
- 別名:よしだ たくろう
入江 剣 - 生年月日:1946年4月5日
- 生誕:鹿児島県伊佐郡大口町(現在伊佐市)
- 出身地:広島県広島市
- 身長:176cm
- 体重:68.1kg(標準体重)
- 血液型:A型
- 星座:牡羊座
- 学歴:鹿児島市立谷山小学校入学
広島市立皆実小学校卒
広島市立翠町中学校卒
広島県立皆実高等学校卒
広島商科大学(商学部商学科)卒(現広島修道大学) - 趣味:読書・パソコン・将棋・
ジャンル:フォークソングライター・ニューミュージック・カントリー・ミュ-ジック・ロック・R&B - 職業:シンガーソングライター、作詩家・作曲家・編曲家、音楽プロデューサー
- 楽器:ボーカル・コーラス・ギター・ハーモニカ・ベース・パーカッション
- 活動時期:1970年-
レーベル:エレックレコード、CBS SONY/ODYSSEY、FORLIFE、ImperialRecords、avex trax - 事務所:竹田企画
実家家族
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/202002060639301-300x225.jpg)
- 父親:堂前姓:吉田正廣
- 母親:吉田朝子(英語教師・ラサール高校の舎監、栄養士)
- 兄:一般の方です。立教大学の時ジャズ研究会に所属
- 長女:松尾宏子6歳年上
- 吉田拓郎
小学校に入学するまでは、伊佐郡羽月村
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/caption1-4-300x169.jpg)
山と川の自然豊かな地域でしたでしょうから
吉田少年はすくすくと育ったのでしょう。
町から離れた場所には、温泉もあり
また、金脈が有り鉱山としても
栄えてる町です。
父親の出身地である鹿児島県伊佐郡
羽月村出身の堂前家から
吉田家に養子に入って、吉田拓郎となりました。
鹿児島県鹿児島郡谷山町に移転しました。
6歳の時には既に谷山町に転居しています。
鹿児島市内より南の地域になります。
南北に走る鹿児島中央から指宿枕崎線が
国道線と並行して並んで走っています。
錦江湾を奥には桜島が毎日の様に
噴煙が空高く噴き出しています。
そんな場所に吉田拓郎は小学校2年生8歳まで
過ごしていました。
昔の谷山町は、直ぐそばまで海水が流れ込んで
真水と海水がまじりあった場所が多くあったとみられます。
父親の吉田正廣さんは鹿児島県の郷土史家として
勤務されていたそうです。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/WS0000101.jpg)
吉田拓郎さんには兄弟がいて姉の部屋で
生活していて、姉は歌謡曲が大好きで
歌ったり聴いたりしているを目にして
拓郎少年は徐々に影響を受けたのです。
拓郎少年は両親が別居して、母親の祖母が
広島の出身で広島に呼び寄せたのです。
小学3年生からは広島県広島市南区西霞町に
移り住み、転校生として、4月から
広島市立皆実小学校に転校しています。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/image1-9.jpg)
広島市は山からの川が何本も分れ流れていて
地理で習った三角州の代表される都市です。
そんな中で、小学時代を送る事になった
拓郎少年は、きっと毎日、小学生割引の
広島のお好み焼きを食べていたと思われます。
紙屋町は広島でも繫華街で、東西のアーケイド街は
昔も今も変わらないと思います。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/cebc928700c3d63d6d5017c7e564b92f1-300x210.jpg)
昔の広島駅南口には、飲食店が並び、
広島を訪れる人たちが、駅前でおでん、お好み焼きを
食べて電車で帰宅したと思います。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/106850048221-300x200.jpg)
今の広島駅は、高層ビルが立ち並び
旧貨物ターミナルには、マツダスタジアム、コストコと
観戦者や若者の買い物客が、コストコの屋上から
マツダスタジアムを見下ろし応援しています。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/66330400_480x2081-300x130.jpeg)
また、マツダスタジアムには3塁側奥には
入場しなくても観客席から観ることができます。
こんな球場は、セリーグ・パリーグの球場を
観ても有りません。
以前の広島球場は、市電の駅原爆ドーム前に
有りましたが2009年4月1日開場されました。
拓郎少年は小学時代、身体が弱く小児喘息持ちで
学校へは半分程度しか出席しておらず、
自宅での生活で、母からは本を与えられて
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/7782cf60b40e70138d02d01fc760ae6c_t1-300x200.jpeg)
いたものの、ウクレレを買ってもらい
ウクレレもHIGーLOGどっちを
買ってもらったかは分かりませんが
小学5年生の高学年から中学校に
入ってから音楽を始めたそうです。
高校も広島市小学校中学校の学内の
広島県立皆実高等学校に
入学しました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/takuro_yoshida_art_80271-233x300.jpg)
友人の通う広島商業の文化祭に誘われて
そこで見た高校生バンドこそが
吉田拓郎が描いてた「エレキバンド」演奏こそが
決め手となった。
吉田拓郎の出身地、幼い頃の生い立ち!思い出はふるさと鹿児島!のまとめ
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/4db9a83900ea4ba2a0dc31157b8954011-300x147.png)
幼い頃の思い出に残る場所は
ハッキリと分かり始めるのは
幼稚園5歳の頃からだと思います。
拓郎少年も記憶に残る思い出は
鹿児島の山奥の川の水が集まり
町のいたるところには火山が噴火した
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/article_art003012_31-300x200.jpg)
爪痕のごつごつした岩が川の流れに
削り取られている場所が伊佐市(旧大口町)です
既に記憶は鹿児島市の南地区の谷山市は
右に錦江湾・桜島が噴煙を上げて
対岸の町に灰を降り注ぎ、町内の人は
灰のかたずけに、毎日大変な思いをしています。
そんな場所から、学校の転校が3年生には
広島で母親と姉と拓郎の三人は叔母の家に
住むことになって行ったのです。
小学校・中学校・高校・大学を卒業するまで
身体か弱かった少年に、音楽という薬を
与えてくれました。
そのおかげで、拓郎少年は今年で75歳
後期高齢者の仲間入りです。
わたしも高齢者ですが
健康が一番です。
これからも元気に作詞作曲と歌い続けて
健康で体をきたえて、わたしに音楽の
魅力を伝えてくださいました。
長い間お疲れさまでした。
これからは体を少しでも
楽にさせて体を動かして
適度な散歩をお続けください。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。