こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただきありがとうございます。
今回の記事は朝ドラに出演中の
目黒祐樹さんが高齢者の叔父さん役で
演技を披露していたのが気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
目黒祐樹さんと言えば、兄の松方弘樹さん
父親の近衛十四郎さんの家族は
東映の時代劇スターでした。
目黒祐樹さんは幼い頃に子役として
東映のテレビ時代劇「風小僧」の
第一作目に主演しました。
目黒祐樹のプロフィール
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/meguro111.jpg)
- 本名:目黒祐樹(めぐろ ゆうき)
- 別名:目黒ユウキ・目黒裕樹
- 生年月日:1947年8月15日
- 出身地:東京都
- 身長:172cm
- 体重:65kg(標準体重)
- 血液型:A型
- 星座:しし座
- 学歴:小学校は京都府南丹市(父親の住所)
同志社中学校
同志社高等学校(中退)
留学は米国ハワイ・Saint Louis School 男子校
ボストン大学演劇学科・南カリフォルニア大学で学び中退。 - 趣味:水泳・ゴルフ
- 特技:英会話は堪能・殺陣・関西弁(京都育ち)
- 職業:俳優・歌手・司会者
- 活動時期:1952年-1960年、1968年-
- 配偶者:江夏夕子
- 著名な家族:目黒優佳子 近衛はな(娘)旧芸名:目黒ゆかこ
近衛十四郎(父)
水川八重子(母)
松方弘樹(兄)
事務所:青年座映画放送
目黒祐樹は5歳の時に子役として
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/71bzuxSBKoL._UR300300_BL99_UR987555_CLa_987555_71bzuxSBKoL_0098755500987555_SX329_1-300x169.jpg)
既に東映の映画に出演していたのです。
主に時代劇の子役として出演し
1959年は中学1年生でテレビ時代が
徐々に普及し始め、まだまだ一般の
家庭ではテレビを持っている家庭は
地域の地主さん、農家の村長さんの
自宅の床の間、大広間に当時のブラウン管
方式のテレビの大きさは14インチ程の
画面に現れる映像は白黒でした。
子供達や大人までが集まって
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/tv021.png)
当時のテレビの価格は175,000円で
当時のお金としては10万円は今のお金に換算すると
120万円ですから、204万円のテレビを
購入した事になります。
ビックリですね。
1959年の映画館の入場料は子供65円大人170円でした。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/1701281w1-300x225.gif)
子供の頃は、小学校から下校して夕方の
番組を、お金持ちの自宅にお邪魔して、
その子の実家で、正座してして、
テレビを観ていたと思います。
番組の放送中は黙って見ていたことを思い出します。
目黒祐樹が子供役でタイトル「風小僧」
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/DSZS10026_031-300x210.jpg)
1959年にテレビが開局し、時代劇を
ブラウン管方式のテレビで白黒画面に釘付けで
観ていました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/o14931156144606754041-300x232.jpg)
風小僧を観ては、町内の子供達と一緒に
竹を小刀で切って、刀の長さ1m程の物を作り
チャンバラごっこをして楽しんだものでした。
風小僧になった気分で遊んでました。
中学校の途中で子役を辞めています。
学業に専念すると言って中学校・高校は
中高一貫校の同志社の中学校に進学します。
京都市内の北側に学校が有ります。
もし、実家の京都府南丹市しから通学していたら
片道1時間40分の道のりを往復2時間20分
掛けて通っていた事になります。
考えられることは学校の寮、下宿をして
通学していた可能性はあると思います。
目黒祐樹の事ですから、学校帰りに
東映京都撮影所に通った可能性は
あるかもしれませんね?
父親近衛十四郎は映画
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/image_15541_i608b58c3dfc1f1-300x128.webp)
出演料はかなりもらっていたと思われ
子供目黒祐樹さんの教育には、兄の
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/matukata01.jpg)
松方弘樹さんよりも出資してたと思われます。
同志社高等学校を中退して、外国の学校へ
学びの場を替えて、将来の仕事に生かせる
学校を選んでいたのだと思います。
高校を中退して、アメリカ合衆国のハワイの
Saint Louis School 男子校へ進学します。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/Saint-Andrews-School-11-300x225.jpg)
ここで、英語を話せるように習得して
行ったのです。
Saint Louis School 男子校は8月末から新年度
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/Sacred-Heats-scaled1-300x199.jpg)
学費年間は$17,000、
日本円(1ドル120円)にして2,040,000円です。(現在の価格です)
当時の日本のドル建ては360円でしたから
6,120,000円の授業料が必要でした。
当然、学費は父親からの仕送りだったと思います。
その他に、ホームステイ・学生寮の滞在費として
年間$15000日本円にして5,400,000円が
必要になっていたはずです。
今のドル建てで1,800,000円の費用が掛かります。
目黒少年は、ハワイでアルバイトをしていたかは
分かりませんが、趣味に水泳・ゴルフと有り
アルバイトにゴルフのキャディーもしくは
海岸沿いで旅行客の海水浴監視でもしていたのでしょうかね?
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/721f94a845684f954242006b86c76556_t1-300x200.jpeg)
ハワイのSaint Louisハイスクールを卒業して
次に向かったのが私立大学の映画芸術の研究で
知られ南カリフォルニア大学に入学します。
現在の費用として学費と生活費を
合わせて年間850万円かかります。
目黒少年は、中退して帰国します。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/e50696671.png)
再び映画俳優として復帰して
活動を始めました。
目黒祐樹の幼い頃の生い立ち!若い頃の青春の思い出は留学したこと!のまとめ
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/20190530b1-300x300.jpg)
目黒裕樹さんの歴史を振り返って見ました。
父親が俳優で有った事で、裕福な家庭に育ち
アメリカに留学する事は当時としては
珍しいと思いました。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/73b6398a1-300x226.png)
終戦後、アメリカの学校へ留学して、語学力を
身に着けようとハワイへ留学します。
ハワイでは色々な事を学び、アメリカ本土の
大学に入学します。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/mac1-300x202.jpg)
日本とアメリカとの流行の差は10年違うと言われています。
マクドナルド・スタバコーヒー・ケンタッキーの
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/photo0jpg1-300x225.jpg)
品物を当時としては、目黒祐樹は目にして
日本で流行する事柄を焼き付けて帰国したのだと思います。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/74896_201004010783393001270121323c1-207x300.jpg)
映画時代からテレビ時代へと移り変わる事を
目にして俳優を時代劇から現代テレビドラマへと
切り替えていったと思います。
それが今日の目黒祐樹さんだと思います。
これからも、テレビドラマに活躍されることを
見守っていきたいと思います。
健康に気を付けて続けて頂きたいと思います。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。