![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/3d3cb82172dc31d97f826ca1d6c5a8161-300x169.jpg)
こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただきありがとうございます。
今回の記事は水戸黄門役で人気ナンバー1に
選ばれた里見浩太朗さんが気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/17af190ec178b36f363fd5c597991b3e1.jpg)
里見浩太朗は東京都渋谷区道玄坂の地域
生まれ、父親が軍人で有った事から
軍人の住宅に住んでいたのではないでしょうか?
渋谷は東西南北と坂道のすり鉢のような
所に渋谷駅が有って、駅から坂道を上って
行く途中に、色々なお店が立ち並んでいますが
当時としては、坂道を上り下りを歩いていたと
思われます。
今のように夜のネオンが赤々と照らされて
活気のある町だったかは、定かでは有りませんが
渋谷のハチ公前に集まる若者はいたのかも知れません。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/1436871579_header1-300x185.jpg)
パルコや109、東急ハンズ・ロフトと言った
若者中心に動いている町は他には見当たりませんね。
そんな場所に生まれた里見浩太朗は、第二次世界大戦で
渋谷付近が空襲を受けた事で、母親の実家へ疎開することに
静岡県富士宮市に小学生から住むようになった。
この時、疎開した時は、父親は中国で戦没。
幼い頃に父親を亡くした事で、母親は母子家庭として
里見浩太朗を育てて父親の恩給だけでは生活が
苦しく、縫い物の内職をして家計を支えていたのです。
小学校の頃は疎開先で村の祭りでチャンバラの
舞台を観て時代劇に興味を持ったのです。
中学生になってからは、少しづつ反抗期が
訪れて段々、グレてケンカばかりやっていたと
話をしています。
当時は何処で仕入れたかわかりませんが
タバコを吸っている事がばれて、家出をしたこともあったのです。
部活はソフトテニスに興味を持って、入部していたみたいです。
スポーツは好きだったみたいです。
里見浩太朗のプロフィール
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/main1-4-300x218.jpg)
- 本名:佐野 邦俊(さの くにとし)
- 別名義:鏡 小五郎・富士川 一夫・里見 浩太朗・風間 太郎
- 生年月日:1936年11月28日
- 出生地:東京市渋谷区道玄坂
- 出身地:静岡県富士宮市
- 身長:173cm
- 体重:65.8kg(標準体重参考)
- 血液型:A型
- 星座:射手座
- 学歴:渋谷区立大向小学校(道玄坂周辺には無く小学校はない)
小学3・4年生の時に静岡県富士宮市に疎開しています。
中学校は富士宮市に15校有りました。
どの学校かは分かりませんでした。がテニス部に所属
静岡県立富士宮北高等学校商業科(ソフトテニス部・陸上部・ブラスバンド部 - 趣味:ピアノ・水彩画
- 職業:俳優・歌手
- ジャンル:映画・テレビドラマ
- 活動時期:1957年-
- 配偶者:一般人女性(離婚歴在り)
- 著名な家族:佐野 圭亮(最初の妻との長男)
佐野 淺男(又従兄)
実家の家族
- 父親:佐野 亀一さん陸軍軍人(近衛隊・憲兵隊に転属)戦争で戦没
- 母親:木伏エツさん(静岡県松野村出身)
- 兄:要
- 本人
里見浩太朗の家族
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/image1-8.jpg)
- 本人
- 妻:一般人です。(離婚)
:元航空会社勤務の女性と結婚 - 長男:佐野 佐野 圭亮(最初の妻との長男)
おおたにまいこさんと結婚 - 佐野 淺男(又従兄)
高校時代は部活が盛んで、中学時代からやっていた
ソフトテニス部や陸上部に入部して、陸上部は全国大会の
常連校だったそうです。
高校2年生の時はブラスバンド部に入部して
どの楽器を担当したかは分かりませんが
興味を持ったのはギターで、独学でマスターした。
また、高校時代、静岡県富士宮市は製紙工場が
多く点在し、製紙工場でアルバイトをして家計を
助けてくれたと思います。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/6d091676423c3fa3f6b41727df4e63bc_t1-300x200.jpeg)
製紙工場のアルバイトを終えて
里見浩太朗は製紙工場で働いていた
女性工員さんと一緒に、富士宮焼きそばを
食べていたのでしょう。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/360_F_54188732_u1pKwuHlU5aE1OiJwVKg64yckweE74pr1-300x200.jpg)
戦後の経済復興で製紙工場が盛んな
静岡県富士宮市の市街地には今は
150軒以上、専門店だけではなく
駄菓子屋、定食屋、中華料理屋、居酒屋
料亭、旅館など業態は様々で市民に定着
富士宮市の焼きそばは麺が最大の特徴で
ゆで麺ではなく、表面が油でコーティングした蒸し麺です。
そんな富士宮焼きそばを食べて喉を鍛えていたのでしょう。
学校は商業科に在籍してそろばん2級の資格を取得しています。
そして、高校三年生の時に、里見浩太朗の将来が
始まって行くのです。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/satomikoutarou_koukousei1.jpg)
NHKののど自慢に出演して「やまのけむり」を
高校生ながら熱唱して見事、合格しました。
里見浩太朗は合格した事で、歌手になる決意をします。
もう一つ、外国の映画が好きで、よく鑑賞していたそうです。
高校を卒業して上京し、叔父さんの築地で魚市場の仲卸の会社に
就職して、働きながら歌手を目指しました。
その後、レコードデビューが内定していたのですが
知り合いの女性にいたずらで里見浩太朗を
東映ニューフェイスに応募した結果
第3期東映ニューフェイスに見事合格しました。
里見浩太朗の実家家族は!幼い頃から青春の思い出の場所に富士宮焼きそば!のまとめ
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/cff4e10ef47a26539574cb92bb8de58f1-300x171.jpg)
歌手から映画俳優に、自分の思いが
叶った、役者の一人ではないでしょうか。
幼い頃に町の祭りでチャンバラを見た光景が
印象的で、本人は祭の主人公になるつもりで
見ていたのでしょう。
そして、願いが叶って
1979年の「長七郎天下御免」から
2002年「水戸黄門」から始まり
2015年6月29日水戸黄門スペシャルに
水戸光圀役で出演しました。
数えきれないほどのテレビ・映画・舞台に
出演している里見浩太朗さんは
時代劇が似合う方なんですね。
これからも視聴者を楽しませる
演技を披露していただきたいです。
![](https://ukiukiburogu.com/wp-content/uploads/2016998_201209230992802001348363574c1-225x300.jpg)
すでに、水戸光圀よりすでに長生きされています。
いまは100歳時代です。
大いに張り切って健康に気を付けて
演技を見せてください。
富士宮焼きそばは、東京から京都へ
向かう途中下車して富士宮焼きそばを
食べて再び列車に乗って西へ向かうのでしょう。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました