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後期高齢者の里見浩太朗さん!幼い頃から青春の思い出場所に富士宮焼きそば!

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こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただきありがとうございます。

今回の記事は水戸黄門役で人気ナンバー1に

選ばれた里見浩太朗さんが気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

里見浩太朗は東京都渋谷区道玄坂の地域

 

生まれ、父親が軍人で有った事から

軍人の住宅に住んでいたのではないでしょうか?

渋谷は東西南北と坂道のすり鉢のような

所に渋谷駅が有って、駅から坂道を上って

行く途中に、色々なお店が立ち並んでいますが

当時としては、坂道を上り下りを歩いていたと

思われます。

今のように夜のネオンが赤々と照らされて

活気のある町だったかは、定かでは有りませんが

渋谷のハチ公前に集まる若者はいたのかも知れません。

パルコや109、東急ハンズ・ロフトと言った

若者中心に動いている町は他には見当たりませんね。

そんな場所に生まれた里見浩太朗は、第二次世界大戦で

渋谷付近が空襲を受けた事で、母親の実家へ疎開することに

静岡県富士宮市に小学生から住むようになった。

この時、疎開した時は、父親は中国で戦没。

幼い頃に父親を亡くした事で、母親は母子家庭として

里見浩太朗を育てて父親の恩給だけでは生活が

苦しく、縫い物の内職をして家計を支えていたのです。

 

小学校の頃は疎開先で村の祭りでチャンバラの

舞台を観て時代劇に興味を持ったのです。

中学生になってからは、少しづつ反抗期が

訪れて段々、グレてケンカばかりやっていたと

話をしています。

当時は何処で仕入れたかわかりませんが

タバコを吸っている事がばれて、家出をしたこともあったのです。

部活はソフトテニスに興味を持って、入部していたみたいです。

スポーツは好きだったみたいです。

里見浩太朗のプロフィール

  • 本名:佐野 邦俊(さの くにとし)
  • 別名義:鏡 小五郎・富士川 一夫・里見 浩太朗・風間 太郎
  • 生年月日:1936年11月28日
  • 出生地:東京市渋谷区道玄坂
  • 出身地:静岡県富士宮市
  • 身長:173cm
  • 体重:65.8kg(標準体重参考)
  • 血液型:A型
  • 星座:射手座
  • 学歴:渋谷区立大向小学校(道玄坂周辺には無く小学校はない)
    小学3・4年生の時に静岡県富士宮市に疎開しています。
    中学校は富士宮市に15校有りました。
    どの学校かは分かりませんでした。がテニス部に所属
    静岡県立富士宮北高等学校商業科(ソフトテニス部・陸上部・ブラスバンド部
  • 趣味:ピアノ・水彩画
  • 職業:俳優・歌手
  • ジャンル:映画・テレビドラマ
  • 活動時期:1957年-
  • 配偶者:一般人女性(離婚歴在り)
  • 著名な家族:佐野 圭亮(最初の妻との長男)
    佐野 淺男(又従兄)

実家の家族

  • 父親:佐野 亀一さん陸軍軍人(近衛隊・憲兵隊に転属)戦争で戦没
  • 母親:木伏エツさん(静岡県松野村出身)
  • 兄:要
  • 本人

里見浩太朗の家族

  • 本人
  • 妻:一般人です。(離婚)
     :元航空会社勤務の女性と結婚
  • 長男:佐野 佐野 圭亮(最初の妻との長男)
       おおたにまいこさんと結婚
  •    佐野 淺男(又従兄)

高校時代は部活が盛んで、中学時代からやっていた

ソフトテニス部や陸上部に入部して、陸上部は全国大会の

常連校だったそうです。

高校2年生の時はブラスバンド部に入部して

どの楽器を担当したかは分かりませんが

興味を持ったのはギターで、独学でマスターした。

また、高校時代、静岡県富士宮市は製紙工場が

多く点在し、製紙工場でアルバイトをして家計を

助けてくれたと思います。

製紙工場のアルバイトを終えて

里見浩太朗は製紙工場で働いていた

女性工員さんと一緒に、富士宮焼きそば

食べていたのでしょう。

戦後の経済復興で製紙工場が盛んな

静岡県富士宮市の市街地には今は

150軒以上、専門店だけではなく

駄菓子屋、定食屋、中華料理屋、居酒屋

料亭、旅館など業態は様々で市民に定着

富士宮市の焼きそばは麺が最大の特徴で

ゆで麺ではなく、表面が油でコーティングした蒸し麺です。

そんな富士宮焼きそばを食べて喉を鍛えていたのでしょう。

学校は商業科に在籍してそろばん2級の資格を取得しています。

そして、高校三年生の時に、里見浩太朗の将来が

始まって行くのです。

NHKののど自慢に出演して「やまのけむり」を

高校生ながら熱唱して見事、合格しました。

里見浩太朗は合格した事で、歌手になる決意をします。

もう一つ、外国の映画が好きで、よく鑑賞していたそうです。

高校を卒業して上京し、叔父さんの築地で魚市場の仲卸の会社

就職して、働きながら歌手を目指しました。

その後、レコードデビューが内定していたのですが

知り合いの女性にいたずらで里見浩太朗

東映ニューフェイスに応募した結果

第3期東映ニューフェイスに見事合格しました。

後期高齢者の里見浩太朗さん!幼い頃から青春の思い出場所に富士宮焼きそば!のまとめ

歌手から映画俳優に、自分の思いが

叶った、役者の一人ではないでしょうか。

幼い頃に町の祭りでチャンバラを見た光景が

印象的で、本人は祭の主人公になるつもりで

見ていたのでしょう。

そして、願いが叶って

1979年の「長七郎天下御免」から

2002年「水戸黄門」から始まり

2015年6月29日水戸黄門スペシャルに
水戸光圀役で出演しました。

数えきれないほどのテレビ・映画・舞台に
出演している里見浩太朗さんは

時代劇が似合う方なんですね。

これからも視聴者を楽しませる

演技を披露していただきたいです。

すでに、水戸光圀よりすでに長生きされています。

いまは100歳時代です。

大いに張り切って健康に気を付けて

演技を見せてください。

富士宮焼きそばは、東京から京都へ

向かう途中下車して富士宮焼きそば

食べて再び列車に乗って西へ向かうのでしょう。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました

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