こんにちは、自由 まなぶです。
「わくわくウキウキブログ」に
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西郷輝彦さん前立腺がん闘病の末、昨年オーストラリアで
手術は成功して帰国し、2022年2月20日に死去しました。
75歳になったばかりだったのです。
西郷輝彦さんの病気の症状や原因と死亡した
現在までを記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
最後までお付き合いの程、よろしくお願いいたします。
西郷輝彦のプロフィール
- 本名:今川盛揮(いまがわ せいき)
別名:三井礼二
我修院建吾
銀川晶子(作詞作曲のペンネーム)
五代けん(作詞作曲のペンネーム)
生年月日:1947年2月5日
年齢:75歳
出身地:鹿児島県鹿児島郡谷山町(現・鹿児島市)
身長:176cm
体重:66kg
血液型:A型
星座:みずがめ座
学歴:鹿児島市立谷山小学校
鹿児島市立谷山中学校
鹿児島市立鹿児島商業高等学校(中退)
趣味:読書・パソコン・美術品鑑賞・陶芸・絵画・写真・ゴルフ
ジャンル:映画・テレビドラマ
職業:歌手・俳優
活動時期:1964年-
配偶者:辺見マリ(元歌手)(1972年-1981年)
今川明子一般女性(1990年-)
著名な家族:辺見鑑孝(のりたか)(長男)
辺見えみり(長女)
今川宇宙(三女)
ジャンル:歌謡曲
職業:歌手・俳優
レーベル:クラウンレコード
活動期間:1964年-
芸能事務所:誠和プロ(クラウン・レコード宣伝部に事務所を置き社長業を兼務。 - 実家・家族構成
父親と母親は駆け落ち(フサ子を鹿児島に連れて逃げてきた)
父親:今川盛智(いまがわ せいち)一般の方です。90歳妻の後を追って49日法要も終わらないまま死亡
母親:フサ子一般の方です。82歳(5年前)死亡。
姉:一般の人です。
兄:勝晶(かつあき)20歳(小児麻痺の後遺症で海で帰らぬ人となった。)
兄:雅博(まさひろ)日射病(熱中症)突然他界した。
本人 - 西郷輝彦の結婚歴
- 結婚:辺見マリ(1981年離婚)
再婚:川澄信介さんと再婚(14歳年下の宝石デザイナー) - 西郷輝彦歳の差17歳差での再婚
現在の配偶者:今川明子(いまがわ あきこ)60歳
長女:貴恵さん
次女:朝祐衣(あゆき)さん
三女:雅梨乃(まりの)さん芸名天川宇宙で活躍中
父親は鹿児島県鹿児島市谷山町で西郷輝彦を育て
一家の父親は酒におぼれ、母親に苦ってかかっていた。
家族は長男、長女、次男、三男(西郷輝彦)6人家族でした。
長男は音楽好きでジャズドラマーとして活躍していた。
お兄さんの事を思って、西郷輝彦さんは
自分自身を歌手になる夢を高校一年生の時に
音楽で生きることを決意したのです。
お兄さんの分まで頑張って歌手になる事を
夢見て、高校生になって最初は鹿児島から600km
離れた大阪を目指してヒッチハイクで出かけたのです。
西郷輝彦は家出迄したのは、もう実家のある鹿児島に
帰ることなく、両親とも別れて、気持は歌手になるだけ
と決めていたからです。
大阪の有名ジャズ喫茶のオーディションを受けますが
落選します。がっかりした西郷輝彦を審査員の口利きで
カントリー・ウェスタンやハワイアン・ミュージックを
演奏するゲーリー石黒とサンズ・オブ・ウエストの
バンドボーイ活動中(京都・名古屋)に龍美プロに誘われ入社します。
1964年2月の誕生日17歳でクラウンレコードから
「君だけを」を発売デビューします。
この年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得します。
次の年では念願の鹿児島県立体育館でチャリティーショー(帰郷ショー)に1万2千人が会場に詰め掛け、入場口に殺到して警察官1人が死亡し、観客13名が負傷する惨事となった。
その後も、きっと曲が生まれ「星のフラメンコ」、「真夏のあらし」などジャズではないが
ロックポップ色を前面に出してヒットを続けた。
その後、テレビドラマにも出演するなど特に時代劇の水戸黄門6作目でゲストとして招かれ
ことがきっかけで、「江戸を斬る」の遠山金四郎役に抜擢された。
俳優として名を馳せ、タレントとしてバラエティー番組に出演して
活動の場を広げている。
西郷輝彦のがん闘病について2011年に前立腺がん報道が話題に
西郷輝彦、前立腺がんを患い、手術を受けて
患部を摘出。
この時は、すでに自覚症状が現れている
頻尿、残尿感、排尿困難などの排尿障害
が起きていたと思われます。
健康な男性の1日の排尿回数は7~8回ですが
前立腺がんになった場合は
これ以上頻尿があるそうです。
前立腺がんが進行すると、背骨・腰痛や骨盤骨などに
転移しやすくなって強烈な痛みを生じます。
背骨に転移した場合、脚が動かしにくくなり
運動障害やしびれがおきる事もあります。
前立腺がんが転移する事部位による平均寿命は
海外の研究結果ではリンパ節移動のみで
生存期間の中央値が最も長く32ヶ月。
最も短い結果は肝転移で14ヶ月。
西郷輝彦さんは前立腺がん肝移動ではなかったかと思われます。
前立腺がんの罹患数(男性)がん・統計白書より引用
1999年約1万8千人
2020年約10万5千人
西郷輝彦が2022年2月20日に死去…死因は前立腺がん
歌手で俳優の西郷輝彦が、2022年2月20日午前9時41分に都内の病院で前立腺がんのため亡くなったことが報道されました。
75歳になったばかりでした。
2月5日が誕生日だったのです。
2011年に前立腺がんが見つかり治療を続け
一旦はガンも無くなっていました。
しかし、20年秋に前立腺がんが再発して
診断の結果ステージ4と告げられた。
昨年4月にオーストラリアに最先端治療を
受けるために渡り、日本ではまだ
未承認の治療を受けてました。
西郷輝彦さん本人からも「ガンが消えた」と
動画サイトで話していました。
帰国後は自宅療養して自分の好きな事を
まだまだ、やるべき事が残っていると言って
ました。
御三家の一人、橋幸夫さんは
西郷輝彦と一度も飲みに行ったことが無かったと
インタビューに答えています。
御三家の橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦は
ステージで歌った後はバラバラだったんですね。
一度も飲みに行ったことが無かったと橋幸夫が
言葉に出して、おしゃべりしては、飲みに行っておけば
良かったと悔やんでいます。
もう、三人で逢うことも、歌うこともできなくなりました。
ご冥福をお祈りいたします。
今日も私のブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。