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野口五郎の生い立ちは!健康診断で見つかった病気、病状は食道がん

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こんにちは、

自由まなぶです。

「わくわくウキウキブログ」

にお越しいただきありがとうございます。

今回の記事は歌手・俳優・タレント・情報技術者の野口五郎さんが

病気だったことを明かしたことが気になったので記事にまとめていきます。

野口五郎のプロフィール

  • 本名:佐藤 靖(さとうやすし)
  • 生年月日:1956年2月23日
  • 年齢:65歳
  • 出身地:岐阜県美濃市
  • 身長:174cm
  • 体重:66.6kg(適正体重の標準)
  • 血液型:A型
  • 星座:うお座
  • 学歴:岐阜県美濃市立美濃小学校
       岐阜県美濃市立美濃中学校
       東京都台東区台東中学校に転校二・三年生卒業
       東京都私立堀越高校卒業
  • 趣味:アプリの開発・ゴルフ・
  • 職業:歌手・俳優・タレント・情報技術・実業家
  • 担当楽器:ボーカル・ギター・ベース
  • 活動時期:1971年-
  • レ-ベル:ポリドール
         トーラスレコード
         BMGファンハウス
         avex io
  • 事務所:NPミュージック・プロモーション(デビュー~1986年6月)
        オフィス・ジー(1986年7月~現在)
  • デビュー曲:演歌歌手として「博多みれん」キャッチフレーズは青い木の芽の、はだざわりで売り出したが、セールスが振るわなかった。
    二曲目の「青いリンゴを演歌ではなく、ポップス歌手として心機一転、若い女の子たちが
    野口五郎に夢中になった。  

実家の家族

 

  • 父親:佐藤進(公務員(保健所勤務)のち喫茶店)と母親のなれそめは美濃市のアマチュア楽団で「青空楽団」で知り合いました。(がんで亡くなっている)
  • 母親:佐藤伊代子(和紙製造道具を造る家に生まれる)とても歌が上手な方。
  • 兄:佐藤寛 7歳年上、作曲家・代表作は「私鉄沿線」が大ブレークして一躍野口五郎は歌  手として成功しました。

美濃での生い立ちについて


両親は結婚する前、アマチュア楽団「青空楽団」に所属して2人とも、歌手としてプロを目指して歌っていました。

特に母親伊代子(美容院経営)さんは、歌が上手いと評判の歌手でした。

父親も公務員の仕事を定時に終えて、青空楽団が待つ、練習場へ通っていました。

お互いは意気投合して、結婚しました。

岐阜県美濃市は日本の中心部に位置し、岐阜県の中心部に位置します。

美濃和紙の産地として有名です。

この山々に囲まれた盆地に次男として佐藤家で生まれたのです。

空気の綺麗な街の中で、両親の歌声はきっと澄み切っていたのでしょう。

靖少年は両親の歌を聞き、育ったのだと思います。

 

小学校1年生の時に父親に買ってもらったギターの練習を重ねます。

そして、小学校5年生10歳の時に、フジテレビ系(東海テレビ)の

「日清ちびっこのど自慢」にギターを抱えて出場し

歌った曲は「今夜は踊ろう・荒木一郎」を歌い見事優勝。

テレビに出た事が、きっかけで5年生の時に同級生とバントを結成します。

練習場所は同級生の農家の牛小屋の2階で練習を重ねた。

靖少年はこの頃から歌手を目指す事を本気で考えていました。

小学校5・6年から中学校1年生までオーディションを受け

美濃市の中学校に通いながら作曲家の米山正夫の門下生になり

米山が係わるオーディションに幾度となく出場しました。

ついに、中学校2年生の時に声がかかり、プロを目指すために

母親と上京し、東京浅草の伯父さん(父親の兄さん)の経営する

印刷工場の一室を借りて下宿します。

 

美濃市立美濃中学校から台東区立台東中学校に転校しました。

 

中学校を卒業して、ポリドールの児玉英毅が設立した

アルカートプロダクション(のちのNPミュージック・プロモーション)

第一号のタレントとして所属します。

と同時に堀越高等学校に進学します。

 

16歳になった佐藤靖あらため野口五郎

演歌歌手としてファーストシングルレコード曲「博多みれん」を発売しました。

この曲は全くと言っていいほど、ヒットしませんでした。

演歌歌手としてデビューしましたが、この年の8月に

ポップス歌手に転向して、発売したレコード曲

青いリンゴ」がオリコン週刊チャート、

最高14位、20万枚近い販売を記録するスマッシュヒットしました。

特に、若い女性ファンの人気を集めました。

 

1972年の第23回NHK紅白歌合戦に

高校1年生当時の最少年はまだ16歳10ヶ月

出場を果たしたのです。

その後も1973年4月に「オレンジの雨」、

「君が美しすぎて」のヒット曲が続き

第24回NHK紅白歌合戦に出場しました。

 

この時に西城秀樹・郷ひろみと共に野口五郎

新御三家と呼ばれて、一躍TOPアイドルとして仲間入りしました。

食道がんが見つかって処置について

長年うたい続け、漸く精神的にも落ち着いたと思い、

身体の健診を歳だと思い考え、西城秀樹の様に、

身体の不具合を感じたら即、健診だと思っていたのでは。

2年前の2019年2月自身のコンサートで

食道がんの手術をした事を公表した。

一年前の2018年11月に受けた健康診断で

二人に一人がんになる確率が野口五郎

身にも訪れていたのです。

野口五郎の食道がんのステージは初期段階でったみたいです。

 

食道がんは初期の症状がないことが多いそうです。

 

野口五郎の場合、内視鏡で偶然発見されて、摘出されたと思います。

 

ただ、食道がんは進行も早く早期発見、早期摘出が望ましいそうです。

 

私の父も喉頭がんでした。

タバコ好き、お酒、焼酎が大好きで、

毎日欠かさず、晩酌時に飲んでました。

しかし、60歳の時に歯茎が痛いと言って

歯医者に行ったのですが、歯医者では治らず、

総合病院へ行って、口の中を検査したところ、

喉頭がんという事が分かった。

既にステージ4でした。

 

放射線治療や投薬して、少しの間長生きしましたが

 

61歳で治療のかいもなく亡くなりました。

 

野口五郎の場合は、初期の段階で発見が早く

 

処置が良くて合併症にもならなくて良かったです。

歌手の方は、声が命です。

歌う声の影響がかすれたり、声が出ないなんてなったら

既に60歳を過ぎた高齢者ですよ。

歌い続けるという事は、大変な事だと思います。

野口五郎の生い立ちは!健康診断で見つかった病気、病状は食道がんのまとめ

 

病状は食道がんが新御三家の独り野口五郎さんは、

既に60歳を超えた高齢者です。

当然、歌手として若い頃の同じキーでの歌声は、

聞かれないと思います。

徐々に声もかすれて、声にも張りがなくなってきます。

そうしたら、キーを一段落として歌う事になってしまいます。

わたしも、とっくに高齢者の仲間入りしていますが

声が少しずつかすれてきています。

若い頃にカラオケで歌った曲は、

今は音程を落として口ずさんでいます。

ましてや、野口さんは食道がんの初期段階でのがんの摘出で

終り回復されて、声が出せて良かったと思います。

これからも、同じ年代の人達に歌を届けて欲してものです。

これからも明るく、健康で、歌い続けられることを願っています。

新御三家の一人として

身体に気を付けて活躍してもらいたいです。

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