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こんにちは、
自由まなぶです。
「わくわくウキウキブログ」
にお越しいただきありがとうございます。
今回の記事は歌手・作曲家・俳優の五木ひろしさんが
数々の芸名を使ってヒット曲を放すが日の目を
見るのが無かった。
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当時、テレビで「全日本歌謡選手権」の番組に出たのを
キッカケに審査委員の山口洋子、平尾昌晃に酷評され
生み出された芸名で、数々のヒット曲が歌われ特に
2000年の山河という曲が
気になったので記事にまとめていきます。
五木ひろしのプロフィール
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- 本名:松山数夫(まつやま かずお)
- 別名:松山 まさる・・先輩に舟木一夫さんがいて数夫を「まさる」になった
一条英一(2回目に名乗った)
三谷謙(三度目の正直という事で)
中川淳(五木ひろしに改名する直前の1日だけの名前で活躍)
松山 かずお(作曲時のペンネーム)
松園 明(特別講演、歌謡ショー、構成・演出) - 生年月日:1948年3月14日
- 年齢:73歳
- 出身地:福井県三方郡美浜町
- 身長:173cm
- 体重:65.1kg(標準体重
- 血液型:A型
- 星座:うお座
- 学歴:幼稚園から小学校2年まで三重県鳥羽市立加茂小学校
美浜町立美浜中央小学校・西小学校のどちらかの小学校卒業 - 美浜町立中学校卒業
関西音楽学院に入学(京都の姉を頼り)
明治大学付属中野高校に編入
- 趣味:ゴルフ・パソコン
- ジャンル:演歌・歌謡曲
- 職業:歌手
作曲家
俳優 - 担当楽器:ボーカル
ギター
ピアノ - 活動時期:1964年-
- 事務所:株式会社五木プロモーション
実家・家族構成
- 父親:李和夫(帰化して松山)鉱山技師を辞めた後は建築用石材会社立ち上げ
- 母親:松山キクノ(李和夫と離婚、5年生の時)2002年5月31日亡くなっています83歳でした。
- 兄:松山弘志(グラビアアイドルを多数輩出イエローキャブの代表取締役を務めていた。
- 姉:一般の方です
- 姉:一般の方です
- 本人
- 弟:一般の方です
五木ひろしの家族
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- 結婚:和由布子(女優)と1989年本名:松山早知子(旧姓富山)
- 長男:マスコミには出ません。結婚して子供が出来ました。(孫)
- 次男:松山和真(一般の方です)
- 長女:松山華菜子(一般の方です)
五木ひろしのプロフィールを調べていると
天性が有ったのでしょう。
小学校時代から歌手を目指して自分の声が
歌手として自分の人生を生きて行く為にも
実家の家族との連携は並大抵のものではなかったと思います。
わたしには、幼いころから歌手になるという
テーマは全くになく、小学校・中学校では
友達と遊ぶことで精一杯でした。
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五木ひろしさんには、目標になる歌手という
テーマをもって、色々な苦難に満ちて、
立ち上がって、芸名を変えてまで
立ち上がった事には、表します。
わたしと五木さんとは一つ互いです。
先輩にあたります。
わたしにも会社の先輩がいます。
一つ年上の先輩です。
彼は高校時代柔道をして、黒帯迄上級しましたが
目標の上位までは行けませんでした。
五木ひろしさんは、持って生まれた声の質が
歌手として演歌も歌えるし俳優としても活躍
そんな、五木ひろしさんの実家は
父親・母親・2人の姉・兄・弟さんがいた。
余り大げさに家族を紹介する事は有りません。
2000年の山河について
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この年わたしは50歳した。
ラジオから流れてきた曲はどことなく中国の雄大な大地から聞こえてくる歌詞の歌でした。
歌っている歌手が分りませんでした。
中国の楽器を使って歌う人は想像もつきませんでした。
よくよく調べてみると、歌は五木ひろし、作詞作曲は小椋佳・堀内孝雄の両名が作った曲だったんです。
曲の名前も「山河」という曲名を知りました。
改めて聞くと、「山河」は力強く、歌いこなす、大地に響き、雄大さを思います。
この曲が発売されたときに、友人がこの曲を歌ってくれた時は、鳥肌形ました。
この「山河」は人々に与える、気持ち、人としての暖かさが詩に込められています。
第51回紅白歌合戦で五木ひろしは白組のトリを務めた曲でした。
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わたしも、練習を重ね、やっと歌えるようになりました。
しかし、2019年年末からコロナ感染症がカラオケ店から感染と聞き、
まだカラオケ店では歌えませんが自宅で、耳を澄まして
「山河」を繰り返し聞いています。
再び、テレビの画面で「山河」を聞かせて欲しいものです。
五木ひろしのプロフィール!実家の家族構成・家族に歌は山河!のまとめ
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松山まさるの芸名から三谷謙と
芸名を3回も変えた芸能人は、
五木ひろしの他にいたでしょうか?
五木ひろしの名付け親は山口洋子さんが小説家の五木寛之からの一文「いいツキをひろおう」から拾ってきたそうです。
実家の家族は5人家族で、五木ひろしは自分が歌手になって家族を応援しようと思ったのでしょう。
歌手を目指し福井から京都で歌手・俳優から東京へ歌手としての道へ
歌手として芽吹き始め、1971年「よこはま たそがれ」が発売されその後ヒット曲が生まれました。
29年後の2000年に出来た曲が「山河」でした。
この曲はわたしにとって、思い出深い曲です。
五木ひろしさんも高齢者です。
後2年後には後期高齢者の仲間入りです。
これからも、もっともっと新曲を歌って欲しいものです。
体に気を付けて頑張って欲しいです。
今日も私のブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。