こんにちは、
自由まなぶです。
「わくわくウキウキブログ」
にお越しいただきありがとうございます。
今回の記事は歌手で女優のいしだあゆみさんが旭日小綬章を受章しました。
これからも一作、一作ていねいにこころを込めて仕事に取り組むことを話してくれた事が
気になったので記事にまとめていきます。
いしだあゆみのプロフィール
本名:石田良子(いしだ よしこ)
生年月日:1948年3月26日
- 年齢:76歳
- 出身地:長崎県佐世保市生まれ
大阪府池田市育ち - 身長:163cm
- 体重:45kg(推定体重です)
- 血液型:B型
- 星座:牡羊座
- 学歴:大阪学芸大学附属池田小学校卒業(現在は大阪教育大附属)
大阪学芸大学附属池田中学校卒業( 〃 )
私立上野学園高校 - 趣味:水泳
- 特技:フィギュアスケート
- 職業:女優・歌手
- ジャンル:テレビドラマ・映画・歌謡曲・アイドル
- 活動時期:1960年-
- 配偶者:萩原健一(1980年-1984年)
- 事務所:イザワオフィース
主な作品
- 阿修羅のごとく
- 北の国から
- 金曜日の妻たちへ
- 青春家族
- 涙をふいて
- 芋たこなんきん
映画
- 駅 STATION
- 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋
- 夜叉
- 火宅の人「日本アカデミー最優秀女優賞授与」
- 時計 Adieu l’Hiver
- エクレール・お菓子放浪記
歌手としての代表作は1968年12月ブルーライトヨコハマが大ヒットしました。
いしだあゆみの家族構成
- 父親:一般の方です
- 母親:福岡県大牟田市の出身
- 姉:石田治子(フィギュアスケート選手1968年グルノーブルオリンピック代表
- 本人
- 妹:石田ゆり(歌手)夫はなかにし礼
- 義理の弟:なかにし礼(本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)小説家・作曲家2020.12.23死去
母親の出身地が福岡県大牟田市と聞き
父親はもしかすると、炭鉱で働いていたのではと推測します。
母親の大牟田市は石炭採掘で昭和時代は盛んな場所で
石炭労働者が大勢いました。
九州では福岡県飯塚・田川・筑豊地方と福岡県南端の大牟田市が石炭採掘場所でした。戦後は、長崎県佐世保・長崎軍艦島等の東シナ海までが石炭採掘場所でした。
いまは、各々が世界遺産の場所に指定されています。
当時の炭鉱夫は、一生懸命に仕事をして、稼いだものでした。
そんな中、いしだあゆみの両親は、巡り合う事になったのでしょう。
そして、一旦は炭鉱の仕事も辞めて、大阪で再び
仕事を見つけ出して、大阪の池田町に住まいを移したのでしょう。
昭和38年の三池炭鉱の落盤事故で坑内に取り残された1400人の内458人の方が亡くなっています。
炭鉱事故最大のであった事で、石炭の採掘が下火になりました。
それと同時に、車社会が徐々に普及して、炭鉱で働いていた人々は
広島、大阪、名古屋、静岡、横浜、関東の自動車関連の会社へ
移動していったのです。
いしだあゆみのお父さんは、わたしの感ですが、池田市には
車メーカーは「ミゼット」の製造をしていた「ダイハツ工業」です。
大阪は40年ごろから自動車の製造の部品工場が多く点在してました。
そんな中で、「テレビのまんぷく」でインスタントラーメンの制作をしている
会社が有ったのも池田町だったと思います。
実家は喫茶店「フジヤ」です。
池田市の隣には、女性が一度は憧れる場所、宝塚市があります。
その環境下の中で、いしだあゆみは育ったのです。
いしだあゆみの女優・歌手あゆみ
1960年に梅田コマ劇場で初舞台を踏むのです。
1962年中学生の時に上京していずみたくに師事されて
レコードではなくソノシートで「夢見る恋」を発売しました。
本名で石田良子(いしだ よしこ)最初のシングルでした。
その後、芸名:いしだあゆみとして、歌手として活動始めます。
芸名のつけの親は、永六輔と自身の自著で紹介している。
1968年に日本コロンビアへ移籍して12月に「ブルーライトヨコハマ」のシングルを発表します。
翌年の2月にオリコンチャート週間1位にランキングされレコード150万枚以上の売り上げを記録します。
その次に「あなたならどうする」「砂漠のような東京で」と数々のヒット曲を歌ってくれました。
歌唱力は勿論、女優としての作品もテレビドラマ「祭ばやしが聞こえる」「阿修羅のごとく「北の国から」等多彩に出演しています。
映画は「日本沈没」「青春の門自立偏」「駅 STATION」「野獣刑事」「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」「火宅の人」「時計 Adieu I’Hiver」の作品では
幼い頃にフィギュアスケートの経験を活かしコーチ役を果たした。
1968年にわたしは、上京して自動車部品メーカーに就職して
まだ、1年未満でしたが、当時の同期と忘年会の時に歌った曲が、
ブルーライトヨコハマでした。
わたしは、寮に住んでいたので、日曜日に横浜に友人と中華街で昼食を食べた思い出が有ります。
国鉄の電車で横浜から桜木町まで乗り、港公園で潮の香りが体にしみました。
少し遊んだ後、歩いて中華街へ足を延ばし、中華料理店街を歩きました。
値段の安そうで美味しいにおいの店を探し乍ら入店しました。
品数が多く、迷いましたがお店のおすすめを頂いてきました。
当時のことはもう忘れましたが、二年前にはふ頭から船に乗って
満喫してきました。
横浜に来ると、外国に来たみたいで、こころがウキウキします。
いしだあゆみさんも街の明かりがとてもきれいだと歌ってます。
いしだあゆみのプロフィール!歌手・女優として長年経験が受賞に!のまとめ
いしだあゆみさんの姉妹は芸能一家と言えるのでしょうね。
石田治子さんはオリンピックフィギュアスケートの選手でした。
石田ゆりさんは歌手として活躍していましたし、
その旦那さんがなかにし礼さんだとは知りませんでした。
いしだあゆみからすれば、義理の弟にあたるんですね。
その義理の弟さんは2020年12月23日に亡くなっています。
なかにし礼さんの小説には家族とは波乱万丈な人生だったと記しています。
いしだあゆみさんも、歌手ボーカル・俳優の萩原健一(本名:萩原敬三)さんと結婚して
2019年に69歳で亡くなっています。
萩原さんはザ・テンプターズのボーカルとしてデビューしています。
また、俳優として「傷だらけの天使」「太陽にほえろ」でテレビの中で活躍しました。
最近のいしだあゆみさんをテレビで見ていると痩せているのが少し気になります。
これからも、女優として歌手として、わたしたちに元気を与えてください。
これからも益々、演技に歌に活躍していただきたいと思います。
健康で毎日を継続しながらお過ごしください。
今日も私のブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。