第9話 趣味の道具、コレクション、思い出の品——誰に渡すか決めていますか?モノに「行き先」をつけてあげる、やさしい生前贈与の話。

これからの時代におすすめ
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モノには「記憶」が宿っている

生前整理のとき、押し入れのモノを「残す」「譲る」「手放す」の三つに分けた。

そのとき気づいたことがある。

モノには、ただの「物体」以上の何かが宿っている。

長年使い込んだ釣り竿には、川の匂いと朝靄の記憶がある。若い頃に買った腕時計には、仕事に燃えていた頃の自分がいる。旅先で買い集めた置物の一つひとつには、その場所の空気と、一緒に旅した人の笑顔がある。

モノは、記憶の器だ。

だから——捨てることが難しい。だから——誰かに渡すとき、無造作には渡せない。

愛したモノを、愛してくれる人の手に渡す。

その「橋渡し」をするのが——生前贈与という行為の、本当の意味なのだと思う。


「生前贈与」という言葉の、二つの意味

「生前贈与」という言葉を聞くと、多くの人が「税金対策」を思い浮かべるかもしれない。

確かに——財産の生前贈与には、相続税対策としての側面がある。毎年一定額までは贈与税がかからない非課税枠があり、計画的に行うことで、相続税の負担を軽減できる場合がある。お金や不動産の生前贈与については、税理士や専門家に相談することを強くお勧めする。

でも——私が今日話したいのは、もう一つの生前贈与だ。

「モノの生前贈与」——釣り竿や時計や、思い出の品々を、生きているうちに大切な人へ手渡すことだ。

これには税金も法律も関係ない。

必要なのは——「誰に渡したいか」という気持ちと、「渡す勇気」だけだ。


まず、「渡したいモノリスト」を作ってみた

エンディングノートの「大切な人へのメッセージ」のページの隣に、私は自分でページを作った。

タイトルは「渡したいモノリスト」だ。

趣味の道具、コレクション、思い出の品——一つひとつを書き出して、渡したい相手の名前を横に書いていく。

書き出してみると、思いのほか時間がかかった。

一つのモノについて考え始めると、そのモノにまつわる記憶が次々と蘇って——気づけば手が止まって、遠い目をしている。

釣り竿は——息子に渡したい。あいつが初めて魚を釣った日のことを思えば、この竿は息子のところへ行くのが一番自然だ。

若い頃から集めてきた古銭のコレクションは——孫に渡したい。まだ小学生の孫が歴史に興味を持ち始めたと聞いた。古銭を眺めながら、歴史に興味を深めてくれたら、こちらは本望だ。

亡き父から受け継いだ懐中時計は——第4話でも書いたが、息子に渡すと決めた。父から私へ、私から息子へ——時間が繋がっていく。

長年愛用してきた万年筆は——娘に渡したい。娘は昔から文章を書くのが好きだった。この万年筆で何かを書いてくれたら、父として最上の喜びだ。

旅先で買い集めた置物たちは——まだ悩んでいる。あの一つひとつに、どこへ行ったときの記憶が宿っているか——渡す相手を決める前に、まず妻と一緒に眺めながら思い出話をしたいと思っている。

リストを作りながら——これは「モノを整理する作業」ではなく「人生を振り返る旅」だと気づいた。


息子に釣り竿を渡した日のこと

「渡したいモノリスト」を作り終えて——私はすぐに行動することにした。

「死んだ後に渡す」より「生きているうちに渡す」方がいい。それは、感謝の手紙を書いたときに学んだことだ。

まず息子に電話をかけた。

「久しぶりだな。今度、少し時間はあるか」

「どうした、急に」と息子が少し驚いた様子で言った。

「渡したいものがあってな」


週末、息子が家に来た。

物置から釣り竿を取り出して、息子の前に置いた。

息子は一瞬、目を細めた。

「これ——昔、一緒に釣りに行ったときの竿じゃないか」

「そうだ。お前が初めて魚を釣った日に使った竿だ」

息子は竿を手に取って、継ぎ目のところをそっと指でなぞった。

私がさっきやったのと、まったく同じ動作だった。

血というのは、不思議なものだ。

しばらく沈黙が続いた。

「俺に、くれるのか」と息子が言った。

「お前のところへ行くのが、一番いいと思った」

息子はまだ竿を眺めていた。やがて顔を上げて——普段は滅多に見せない、柔らかい表情で言った。

「大切にする」

たった四文字だった。

でも——それ以上の言葉は、何も要らなかった。

父と息子の間に、ずっと架かっていなかった橋が——釣り竿一本で、静かに繋がった気がした。


孫に古銭を渡した日のこと

次の週末、孫が遊びに来た。

小学校五年生の孫は、最近歴史が好きになったと娘から聞いていた。

「じいちゃんから、プレゼントがあるぞ」と言うと、孫が目を輝かせた。

箱を開けると——古銭が並んでいた。

「これ、なに?」

「昔のお金だ。江戸時代のものもあれば、明治のものもある」

孫は一枚一枚、恐る恐る手に取りながら眺めた。

「これ、本物?」

「本物だ。じいちゃんが長い年月をかけて集めたんだ」

孫の目が、どんどん大きくなっていった。

「この四角い穴のやつ——社会の教科書で見た!」

その瞬間の孫の顔を、私は一生忘れない。

教科書の中に閉じ込められていた歴史が、手のひらの上で突然リアルになった——そんな表情だった。

「大切にしてくれるか」と私が言うと、孫は真剣な顔で「うん、絶対」と頷いた。

愛したコレクションが、次の世代の好奇心に火をつけた。

これ以上の「行き先」が、あるだろうか。


「誰に渡すか」を決めるための、三つの問い

「渡したいモノリスト」を作るとき——何を基準に相手を決めればいいか、迷う方もいると思う。

私が自分に問いかけた、三つの問いをお伝えしよう。

問い①「このモノと一番縁が深い人は誰か」

そのモノにまつわる記憶の中に、誰かの顔が浮かんだなら——その人に渡すのが一番自然だ。息子との釣りの記憶が竿に宿っているなら、竿は息子のもとへ。亡き父の形見の時計を継いだ私が息子に渡すなら、それは時間の連鎖だ。モノの記憶と、受け取る人の縁が重なる場所に——正しい「行き先」がある。

問い②「このモノを一番喜んでくれる人は誰か」

喜びの顔が目に浮かぶ人に渡すのが、贈る側にとっても一番嬉しい。古銭を孫に渡したとき、あの輝いた目を見て——私は「この子でよかった」と心の底から思った。受け取った人の笑顔が、贈り物の本当の価値を決める。

問い③「このモノを通じて、何を伝えたいか」

モノを渡すことは、記憶を渡すことだ。釣り竿と一緒に、あの朝靄の川べりの記憶を渡した。懐中時計と一緒に、父から受け継いだ時間の重さを渡した。万年筆と一緒に、言葉を大切にしてきた父の生き方を渡したい。モノは「メッセージの器」にもなれる。何を伝えたいかを決めれば、誰に渡すべきかが自ずと見えてくる。


渡すとき、「なぜこれをあなたに」を伝えることが大切

生前贈与で一番大切なことを、最後にお伝えしよう。

モノを渡すとき——「なぜこれをあなたに渡したいか」を、必ず言葉にして伝えてほしい。

黙って手渡すだけでは、受け取った人はその重みを半分しか受け取れない。

「これはお前が初めて魚を釣った日の竿だ。大切にしてくれ」 「お祖父さんから受け継いだ時計だ。次はお前が時間を刻んでくれ」 「この万年筆で、お前に手紙を書いた。今度はお前が誰かに手紙を書いてくれ」

その言葉があって初めて——モノは「ただの物体」から「記憶の贈り物」になる。

受け取った人は、そのモノを手にするたびに——贈ってくれた人のことを思い出す。

それが、生きているうちに渡す最大の意味だ。

死んだ後に遺品として受け取るより、今日この手から受け取る方が——温もりがある。重さがある。言葉がある。


まだ渡せていないモノが、ある

万年筆は——まだ渡していない。

娘に渡すと決めているが、もう少し手元に置いておきたい気持ちがある。

この万年筆で、まだ書きたいことがあるからだ。

エンディングノートの続きを書きたい。友人への手紙をもう一通書きたい。妻への手紙を、もう一枚書き足したい。

モノを渡す前に——そのモノでできることを、もう少しやり尽くしたい。

それも、生きているうちにしかできないことだから。

万年筆を手に取って、インクの残りを確認した。

まだ、たっぷりある。

よかった。まだ、書ける。

後期高齢者には、まだやることが山ほど残っている。

愛したモノたちに行き先をつけながら——私自身の「行き先」も、少しずつ見えてきた気がする。

それは怖いものではなかった。

むしろ——整えられた旅支度のような、清々しさがあった。


次回・最終話・第10話「終活を終えたら、人生が軽くなった。後期高齢者の父が気づいた『終活の本当の意味』と、残りの日々の生き方。」につづく……🎣


📝 読者の皆さんへ

今、頭の中に「あれは誰かに渡したいな」と思うモノが、浮かんでいませんか?

釣り道具でも、コレクションでも、古い腕時計でも—— 一つだけでいいので、「渡したい人」の顔を思い浮かべてみてください。

その顔が浮かんだなら——もう答えは出ています。

今週末、そのモノを手に取って、大切な人に電話してみてください。 「渡したいものがある」——その一言だけで、きっと会いに来てくれます。

生前贈与は、財産の話だけではありません。 あなたが愛したモノを、あなたの言葉と一緒に手渡すこと——それが、最も温かい贈り物です。🎣🌸