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最近、寝床に入るり
目を閉じて、一生懸命、夢を見ようとする
何故だかわかりますか?
目を閉じたまま、もうこの世にはいなくなるのではないかと
思うような後期高齢者になってしまった。
死んでしまった、叔父さんや親戚のおばさんが
口にしたのは、まだ生きて、あれをやりたかった。と
しかし、そのあれもできず亡くなって
本人は残念だと思っているのでしょう。
誰もが直面する「三つの現実」
後期高齢者になると——避けて通れない「三つの現実」がある。
ひとつ目は「突然倒れる可能性」だ。
脳卒中、心筋梗塞、重篤な肺炎——これらは予告なく訪れる。昨日まで元気だった人が、今日の朝に意識を失うことは、珍しくない。そのとき、本人が自分の意思を伝えられる状態であることは、ほとんどない。
ふたつ目は「認知症になる可能性」だ。
厚生労働省の調査によれば、八十五歳以上の約四割が認知症を発症するという。自分の名前がわからなくなる前に——自分の希望を、言葉として残しておく必要がある。
みっつ目は「家族が決断を迫られる現実」だ。
本人が意思を伝えられない状態になったとき、医師は家族に問う。「延命治療を続けますか」「胃ろうを作りますか」「人工呼吸器をつけますか」——悲しみの中にいる家族が、その重大な決断を短時間で下さなければならない。
本人の希望がわからないまま、家族は答えを出す。
その重さを、想像したことがあるだろうか。
「延命治療」とは何か、正直に向き合う
「延命治療」という言葉を、正確に理解している人は意外と少ない。
延命治療とは——病気や怪我の根本的な治療ではなく、生命を維持することを目的とした医療行為のことだ。
具体的には、次のようなものがある。
【心肺蘇生術(CPR)】 心臓が止まったとき、胸を圧迫したり電気ショックを与えたりして心臓を動かし直す処置だ。テレビドラマでよく見る場面だが——後期高齢者の場合、肋骨が折れることも珍しくなく、蘇生できたとしても意識が戻らないケースも多い。
【人工呼吸器】 自力で呼吸できなくなったとき、機械で呼吸を維持する処置だ。一度装着すると、外すことが非常に難しくなる場合がある。
【胃ろう・経管栄養】 口から食事が取れなくなったとき、胃に穴を開けてチューブで栄養を送り込む処置だ。体は生きていても、意識が戻らないまま何年も過ごすケースもある。
【透析】 腎臓の機能が失われたとき、機械で血液をろ過する処置だ。週に三回、一回数時間の治療が必要になる。
これらの処置を「どこまで望むか」——それが、延命治療の問題だ。
正解はない。人によって価値観が違う。だからこそ——自分の答えを、自分で決めておく必要がある。
私が主治医と向き合った日
診察室での一言が頭に残ったまま、数日後——私は改めて主治医のもとを訪ねた。
「先日おっしゃっていた、もしものときの話を、もう少し詳しく聞かせてください」
先生は少し驚いた様子だったが、すぐに真剣な顔になって向き合ってくれた。
「率直に聞きます」と私は言った。「延命治療を望む人と望まない人で、実際にどう違いますか」
先生は丁寧に話してくれた。
望む場合は——たとえ意識が戻らなくても、機械が体を生かし続ける。家族は毎日面会に来て、動かない体に語りかける日々が続く。それが数ヶ月になることも、数年になることもある。
望まない場合は——自然な経過に任せて、苦痛を和らげることだけに専念する。本人が穏やかに最期を迎えられる可能性が高まる。
どちらが正しいということはない、と先生は言った。
「ただ——何も決めていない場合、家族が一番つらい思いをします」
その言葉が、胸に深く刺さった。
「尊厳死」と「安楽死」の違いを整理しておく
終活の文脈でよく出てくる言葉に「尊厳死」と「安楽死」がある。混同されがちだが——意味が違う。
尊厳死とは—— 延命治療を中止または差し控えて、自然な死を迎えること。「これ以上の延命措置は望まない」という本人の意思のもと、苦痛を和らげながら自然な経過に任せることを指す。日本でも広く議論されており、多くの医療現場で本人の意思が尊重されるようになってきている。
安楽死とは—— 医師が積極的に死を早める行為のことを指す。日本では現在、法的に認められていない。
終活で私たちが考えるべきは「尊厳死」の問題だ。どこまでの延命治療を望み、どこから先は自然に任せたいか——その線引きを、今のうちに決めておくことが大切だ。
「ACP」という考え方を知っていますか
近年、医療の現場で「ACP」という概念が広まっている。
ACPとは「アドバンス・ケア・プランニング」の略で、日本語では「人生会議」とも呼ばれる。
自分の価値観や希望を、医師や家族と事前に話し合って共有しておくプロセスのことだ。
一度決めたら変えられないものではない。体の状態や気持ちの変化に合わせて、何度でも話し合い直すことができる。
大切なのは——「決めること」ではなく「話し合うこと」だ。
医師と話す。家族と話す。信頼できる人と話す。その積み重ねが、「もしものとき」に本人の意思を守る力になる。
私は主治医との話し合いの後、その内容をエンディングノートに書き留めた。そして——妻と娘を呼んで、改めて話し合いの場を持った。
介護の希望も、今のうちに伝えておく
延命治療と並んで、決めておくべきことがある。
介護が必要になったとき、どこでどう過ごしたいか——だ。
選択肢は大きく三つだ。
【自宅での介護】 家族のそばで、慣れ親しんだ家で過ごすことができる。ただし——介護する家族への負担は、非常に大きい。訪問介護や訪問看護などのサービスを組み合わせながら、家族が無理なく続けられる体制を事前に考えておく必要がある。
【有料老人ホーム・サービス付き高齢者向け住宅】 専門のスタッフがいる施設での生活だ。費用はかかるが、家族への身体的な介護負担は軽減される。どんな施設があるか、費用はどのくらいかかるか——元気なうちに調べておくことが大切だ。
【特別養護老人ホーム(特養)】 公的な介護施設で、費用が比較的抑えられるのが特徴だ。ただし——入居待ちが長期間になることも多く、早めに情報収集しておく必要がある。
私が妻と話し合って決めたのは——**「できる限り自宅で過ごしたい。ただし、家族に過度な負担をかけるようになったら、施設への移行を考える」**という方針だ。
どちらかが一方的に決めるのではなく、二人で話し合って決めた。
その過程が——大切だったと思う。
認知症になったとき、自分を守る「備え」
認知症について——もう一つ、決めておきたいことがある。
「成年後見制度」と「任意後見制度」だ。
認知症が進んで判断能力が失われると、銀行の手続きや不動産の売買、施設への入居契約など——本人が自分でできなくなる場面が出てくる。
そのとき、本人に代わって法的に手続きを行う人が必要になる。
成年後見制度は、判断能力が失われた後に、家庭裁判所が後見人を選任する制度だ。
任意後見制度は、判断能力があるうちに、自分で信頼できる人を後見人として指定しておく制度だ。
元気なうちに選択できるのは、任意後見制度だ。
「もし認知症になったら、誰に自分のことを任せるか」——これも、家族と話し合って決めておきたい重要な問題だ。
詳しくは、地域の法務局や司法書士、社会福祉士に相談することをお勧めする。
家族と話し合った夜のこと
妻と娘を呼んで、「医療と介護の希望」を話し合った夜のことを書いておきたい。
テーブルの上に、エンディングノートを置いた。
「今日は、少し重い話をしたい」と切り出した。
娘が「うん」と頷いた。妻は静かに、お茶を一口飲んだ。
延命治療についての私の希望を話した。介護についての考えを話した。認知症になったときのことも話した。
途中で娘が「お父さんはそう思うんだね」と言った。反対するわけでも、賛成するわけでもなく——ただ、受け取ってくれた。
妻は聞きながら、時々小さく頷いた。そして最後に言った。
「私も同じ気持ちよ。苦しい思いをしてまで、長く生きなくていい。穏やかに、自然に——それがいい」
夫婦五十年以上。こんな話をしたのは、初めてだった。
重い話のはずだった。
でも——話し終えたとき、不思議と部屋の空気が軽くなっていた。
言葉にすることで、霧が晴れるような感覚があった。
「話してよかった」と娘が言った。「私も、何かあったときに迷わずに済む」
その言葉が——一番の答えだった。
「もしも」を話し合うことは、「今」を大切にすること
延命治療や介護の希望を決めることは——死に近づくことではない。
「もしものとき」を整えることで、「今この瞬間」をもっと自由に生きられるようになることだ。
備えがあるから、安心できる。安心があるから、今日を楽しめる。今日を楽しめるから——また明日も、元気でいようと思える。
娘と旅に出たい。妻とお茶を飲みたい。孫の笑顔を見たい。友人にまだ言えていない「ありがとう」がある。
そのために——「もしものとき」を、今のうちに整えておく。
後期高齢者には、まだやることが山ほど残っている。
元気でいるうちにしかできないことが、まだこんなにある。
主治医の「元気なうちに決めておいてください」という言葉は——「死の準備をしなさい」ではなく「今を精一杯生きなさい」という意味だったのだと、今ならわかる。
窓の外に、夕焼けが広がっていた。
妻が隣に座って、お茶を一杯入れてくれた。
それだけで——十分だと思った。
次回・第9話「趣味の道具、コレクション、思い出の品——誰に渡すか決めていますか?モノに『行き先』をつけてあげる、やさしい生前贈与の話。」につづく……🏥
📝 読者の皆さんへ
「延命治療」という言葉に、ドキッとしましたか? それは——あなたの心が、真剣に向き合い始めているサインです。
今日、まず一つだけやってみてください。
かかりつけの先生に「もしものときのことを相談したい」と伝えること。
たった一言で、大きな扉が開きます。
そして——大切な家族に、「もしものときの話をしよう」と声をかけてみてください。 重い話ではありません。
「今を大切に生きるための話」です。
あなたの希望が言葉になったとき——家族は、どれほど安心するでしょうか。 その顔を、想像してみてください。🏥🌸
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