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エンディングノートと買ったけど
中々筆を執る気持ちになれない。
一文字も、書いていなかった。
なぜ、人はエンディングノートを書けないのか
書店に行けば、エンディングノートは何種類も並んでいる。終活関連の本も、雑誌の特集も、テレビの情報番組も——「エンディングノートを書きましょう」と口を揃えて言う。
なのに——書いている人は、驚くほど少ない。
買ってはいる。でも書いていない。
私のように、本棚の奥で眠らせている人が、全国にどれほどいることだろう。
なぜ書けないのか。
向き合ってみて、理由がわかった気がする。
「死」を意識することへの、漠然とした恐怖があるからだ。
エンディングノートを開くことは、自分の死を現実として認めることのような気がして——無意識のうちに、手が止まる。見なかったことにしたくなる。本棚の奥に戻したくなる。
それは弱さではない。
人間として、ごく自然な感情だと思う。
でも——だからこそ、気づいてほしいことがある。
エンディングノートは「死ぬための本」ではない。「生きてきた証を残す本」なのだということを。
最初のページを開いて、止まった
意を決して、ノートの最初のページを開いた。
「氏名・生年月日・住所・血液型」
——なんだ、これだけか。
拍子抜けするほど、簡単だった。
名前を書いた。生年月日を書いた。住所を書いた。血液型を書いた。
たったそれだけで——不思議なことに、胸の中に小さな達成感が生まれた。
「書き始めた」という事実が、思いのほか気持ちを前に向けてくれた。山の頂上は遠くても、一合目に足を踏み入れた安堵感とでも言えばいいだろうか。
次のページをめくった。
「家族・親族について」
妻の名前を書いた。娘の名前を書いた。ここで少し手が止まった。娘の電話番号を、私はいくつ知っているだろう。職場の番号は?緊急連絡先は?
知っているつもりで、知らないことが、こんなにあるのか。
ノートは、私に静かに問いかけてきた。
エンディングノートの中身、何を書けばいいのか
エンディングノートによって構成は異なるが、多くのものには大きく分けて次のような項目がある。
【自分のこと】 氏名・生年月日・本籍地・血液型・健康保険証の番号・かかりつけ医の連絡先・持病やアレルギー——これらは「もしものとき」に、家族が真っ先に必要とする情報だ。救急車を呼ぶような緊急事態のとき、家族が慌てず動けるかどうかは、この情報があるかどうかにかかっている。
【お金のこと】 預貯金の銀行名・口座番号・通帳の保管場所。加入している保険の会社名・証書番号・保管場所。年金の種類と受け取り方法。不動産の権利書の保管場所——これが最も「家族が後で困る」項目だ。
【デジタルのこと】 スマートフォンの暗証番号。よく使うアプリのIDとパスワード。ネット銀行のログイン情報。SNSアカウントをどうしてほしいか——デジタル終活については第6話で詳しく書くが、現代の終活において欠かせない項目だ。
【もしものときのこと】 延命治療についての希望。介護が必要になったとき、施設か自宅かの希望。臓器提供の意思。葬儀の希望(家族葬か、盛大にやってほしいか)。お墓はどうするか——これらは第8話で詳しく書く。
【大切な人へのメッセージ】 妻へ。娘へ。息子へ。友人へ——照れくさくて言えなかった言葉を、ここに書けばいい。これがエンディングノートの中で、一番書くのに時間がかかり、一番書いてよかったと思える項目だ。
書いていて、思わず手が止まった瞬間
淡々と書き進めていた私の手が、ある項目で止まった。
「これまでの人生で、一番嬉しかったことは何ですか」
エンディングノートによっては、こういう「人生の振り返り」の項目がある。
しばらく、ペンを持ったまま考えた。
仕事で大きな契約が取れた日か。子どもが生まれた日か。病気から回復した日か。
いくつか浮かんだが——最終的に私が書いたのは、娘と旅に出た日のことだった。
あの海を見て泣いた日。石畳を娘と歩いた午後。旅館の廊下で「ありがとう」と言えた夜。
後期高齢者になって経験した、あの旅が——人生で一番嬉しかったことのひとつになっていた。
気づいたら、目が潤んでいた。
エンディングノートとは、こういうものなのかと思った。書きながら、自分の人生を改めて見つめ直す。忘れていた大切なものを、もう一度抱き直す。そういう時間を、静かに作ってくれるものなのだと。
続けるための、たった一つのコツ
「書き方」と同じくらい大切なのが「続け方」だ。
エンディングノートは、一日で完成させなくていい。むしろ、一日で完成させようとすると必ず挫折する。
私が実際にやってみて、うまくいった方法をお伝えしよう。
「一日一項目」だけ書く、と決めること。
今日は名前と生年月日だけ。明日は家族の連絡先だけ。明後日は通帳の情報だけ——それくらいのペースで、焦らず書き進める。
そして——書く時間を決める。
私は朝のお茶を飲んだ後、15分だけと決めた。習慣の力は偉大で、「お茶を飲んだらノートを開く」と決めてしまえば、自然と手が動くようになった。
もう一つ大切なことがある。
「完璧に書こうとしない」こと。
わからない項目は空欄でいい。後で思い出したら書き足せばいい。エンディングノートに「正解」はない。あなたが書いたことが、そのままあなたの「正解」になる。
エンディングノートは「誰かへの贈り物」だ
書き終えた後——とまでは言えない。まだ書き途中だ。
でも、半分ほど書き進めたとき、ふと気づいたことがある。
これは、自分のために書いているのではない。
妻のために書いている。娘のために書いている。いつかこのノートを開く、大切な人たちのために書いている。
私がいなくなった後、家族が途方に暮れないように。私が愛した人たちが、少しでも楽に、悲しみの中を歩いていけるように。
エンディングノートとは——未来の家族への、最後の贈り物だ。
そう思ったら、ペンを持つ手に、不思議と力が入った。
暗い気持ちは、どこかへ消えていた。
本棚の奥で眠っていたノートが、今は机の上に置いてある。
毎朝、お茶を飲んだ後に開く。少しずつ、埋まっていく。
白いページが一枚埋まるたびに、心が少しだけ軽くなる。
後期高齢者には、まだやることが山ほど残っている。
エンディングノートを書くことは——そのやることリストの中で、一番自分に正直になれる時間かもしれない。
次回・第3話「『うちの財産なんて大したことない』は大間違い。預貯金・保険・年金、家族が困らないための”お金の整理”を今すぐやっておくべき理由。」につづく……📖
📝 読者の皆さんへ
本棚の奥に、眠っているエンディングノートはありませんか? あるいは「買おうと思っていたけど、まだ買っていない」という方も。
今日、一ページだけ開いてみてください。 名前を書くだけでいい。生年月日を書くだけでいい。
その一ページが、あなたと大切な人を守る、最初の一歩になります。
エンディングノートは、書店でも100円ショップでも手に入ります。 まだ持っていない方は、今日中に一冊、手に取ってみてください。📖🌸

