
生きている以上、
まだまだ食欲はあります。
高齢者になって、
美味しいものには糸目はつけませんよ。
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朝から娘の「本日のグルメ宣言」が始まった
旅行3日目の朝。
目が覚めると、娘はすでにスマートフォンを片手に何やら調べていた。
「お父さん、今日はね——食べる日だよ」
開口一番そう言って、娘はニヤリと笑った。
「食べる日?」
「そう。朝から晩まで、ひたすら美味しいものを食べる日」
妻が「それは素晴らしい計画ね」と即座に賛成した。後期高齢者の私も、異論などあるはずがない。こうして我が家の「ご当地グルメ旅」が、幕を開けた。
朝ごはん——市場の片隅で食べた、朝獲れの一杯
娘が最初に連れて行ってくれたのは、地元の朝市だった。
観光客向けのきらびやかな場所ではなく、地元の漁師や農家の人たちが集まる、昔ながらの市場。早朝の冷たい空気の中、威勢のいい掛け声が飛び交っていた。
その片隅にある、小さな食堂。
「ここ、地元の人しか知らないお店なんだって」と娘が言う。
出てきたのは、その朝に獲れたばかりの魚を使ったお味噌汁と、土鍋で炊いたご飯。たったそれだけなのに——口に入れた瞬間、思わず声が出た。
「うまい」
だしの香りが鼻に抜けて、魚の甘みが舌に広がる。炊きたてのご飯の一粒一粒が、口の中で輝いているようだった。
妻も目を細めた。娘は「でしょ?」と得意そうな顔をした。
昼ごはん——行列に並んだ、その価値があった名店
昼食は、娘が前日から目をつけていた郷土料理の名店だった。
店の前には、開店前からすでに行列ができていた。
「お父さん、並べる?」と娘が心配そうに聞く。
「後期高齢者をなめるな。これくらいの行列、何でもない」
強がりを言ったが、内心は少しだけ足腰が心配だった。しかし娘は、ちゃっかり折りたたみの携帯椅子を鞄から取り出した。
「はい、これ持ってきたよ」
——用意周到すぎる娘である。
30分ほど並んで、ようやく席についた。
運ばれてきたのは、この土地に昔から伝わる郷土料理の膳。地元の野菜を使ったおひたし、川魚の甘露煮、季節の山菜の天ぷら、そして地元産のお米で作った炊き込みご飯——どれもが、この土地の風土をそのまま皿の上に載せたような料理だった。
一口食べるたびに、この土地に生きてきた人々の暮らしが見えるような気がした。
料理というのは、その土地の歴史なのだと改めて思った。
三時のおやつ——老舗和菓子屋で、昔懐かしい味に出会った
食後に娘が「おやつも決めてあるよ」と言い出した。
連れて行かれたのは、創業100年を超えるという老舗の和菓子屋だった。
店内に入ると、上品な甘い香りが漂っていた。ショーケースには、職人が丁寧に作ったであろう和菓子が、宝石のように並んでいた。
「お父さん、何にする?」
私が選んだのは、この土地の名物だという、こし餡をやわらかな餅で包んだ一品。妻は栗の入った羊羹を選んだ。娘は迷いに迷って、結局三種類を注文した。
縁側のような小さなテラス席に座って、お抹茶と一緒に頂く。
餅の柔らかさと、甘さ控えめな餡の上品な味わいが、口の中でゆっくりと溶けていった。
「ああ、生きていてよかった」
思わずそう呟いたら、娘が大笑いした。妻も「大げさな」と言いながら微笑んだ。でも本当に、そう感じたのだから仕方がない。
夕ごはん——旬の幸と地酒で締めくくる、最高の夜
その夜の夕食は、旬の海の幸をふんだんに使った会席料理だった。
「お父さん、お酒飲んでいいよ、今日は特別ね」と娘が言う。妻も珍しく「少しくらいいいんじゃない」と許可を出した。
地元の小さな蔵元が作る、すっきりとした辛口の地酒を一杯だけ——。
刺身の甘み、焼き魚の香ばしさ、煮物のじんわりとした出汁の味わい。それらが地酒と寄り添って、この上ない夜の膳となった。
娘が「美味しい?」と聞く。
「これ以上のご馳走は、ちょっと思いつかないな」
そう答えると、娘は照れくさそうに笑って、お茶を一口飲んだ。
食べることは、生きることだと改めて思った
宿に戻り、布団に横になりながら、今日一日を振り返った。
朝市の味噌汁、行列の郷土料理、老舗の和菓子、夜の会席——どれひとつとして、忘れられない味だった。
でも、一番美味しかったのは——実は料理そのものではないかもしれない。
娘が何週間もかけて調べてくれた時間。妻と三人で並んで待った行列。縁側で笑いながら食べたおやつ。
その全部が合わさって、あの味になっていたのだと思う。
後期高齢者になっても、食欲だけは現役だ。いや——それだけではない。
大切な人と食卓を囲む幸せも、まだまだ現役である。
次回・第6話「人生で初めて見た、本物の絶景。娘のおかげで、80年生きてきてよかったと思えた瞬間。」につづく……🌸
📝 読者の皆さんへ
旅先で食べるご当地の味には、その土地の歴史と人の温もりが詰まっています。 そして——誰かが一生懸命選んでくれた料理は、どんな高級料理よりも美味しいものです。 皆さんにも、そんな「忘れられない一口」との出会いがありますように。🌸 次回も、ぜひお付き合いください。

