思えばこの旅、ずっと前のめりだった
振り返ってみれば——確かに、そうだったかもしれない。
朝、誰よりも早く目が覚めた。宿の窓から外を眺めて、今日はどんな景色が待っているだろうと胸が高鳴った。朝食のお膳が運ばれてくれば、見たことのない料理に目を輝かせた。
あの絶景の海を前にして、声も出ずに涙が出た。城下町の石畳を歩きながら、娘と昔話に花を咲かせた。土産物屋の店先で、妻でも娘でもなく、自分のために小さな置物をひとつ買った。

「欲しい」と思ったら、素直に欲しいと思えた。
日常では、そんなことはない。
家にいるとき、私はいつも少し遠慮している。もう歳だから、今さら新しいことを始めても、後期高齢者が出しゃばっても——そんな言葉が、無意識のうちに自分にブレーキをかけている。
でも旅先では、そのブレーキが外れていた。
少年の頃、旅が好きだった理由を思い出した
子どもの頃、私は地図を眺めるのが好きだった。
見たこともない地名に指を当てて、ここにはどんな景色があるだろう、どんな人が住んでいるだろうと、ひとりで想像を膨らませていた。
お金も自由もなかったあの頃、旅は「いつか行く場所」の集まりだった。地図の中にしか存在しない、夢の地平線だった。
それが——いつからだろう。
「いつか」が「もういい」に変わっていったのは。
仕事が忙しくなった頃か。子どもが生まれた頃か。それとも気づかないうちに、少しずつ少しずつ、少年の心に蓋をしていったのか。
でも、蓋をしていただけで——消えてはいなかった。
旅先に来たら、あの頃の自分がまだ、ちゃんとそこにいた。

娘の言葉が、鏡になった
「子どもみたい」という娘の言葉は、批判でも苦笑いでもなかった。
それは——鏡だった。
後期高齢者になった父親の中に、まだ少年がいることを、娘の目がちゃんと映し出してくれていたのだ。
私は廊下の窓の外に視線を戻した。
庭園の池に、月が映っていた。
風が吹くたびに、月の形が揺れた。壊れそうで、でも消えなかった。
ああ、これだと思った。
歳を取るということは、少年心が消えていくことではない。ただ、揺れているだけだ。日常という風が吹くたびに形が変わって、見えにくくなるだけで——水の底には、ずっと月がある。
旅が教えてくれたこと
この旅で、私はいくつのことを「初めて」経験しただろう。
人生で初めて見た絶景に涙した。娘と二人きりで城下町を歩いた。旅館の朝、誰より早く目が覚めて、縁側でひとり朝の空気を吸った。土産物屋で、値段も見ずに「これが好き」と思ったものを買った。
どれも、日常ではなかなかできないことだった。
旅とは、日常に押し込められた自分を、一時だけ解放してくれる場所なのかもしれない。
後期高齢者になっても、少年心は生きている。ただ、普段は出番がないだけだ。旅先という非日常の舞台に立ったとき——その少年は、静かに目を覚ます。
廊下で、娘に初めて言えた言葉
しばらく黙って庭を眺めていた私は、娘に向き直って言った。
「旅に連れてきてくれてありがとう」
照れくさくて、普段なら絶対に言えない言葉だ。でもなぜか、その夜の廊下では、すんなりと口から出た。
娘は少し驚いたような顔をして——それから、柔らかく笑った。
「来年も行こうね」
「ああ、行こう」
たった四文字の返事が、こんなに嬉しいとは思わなかった。
後期高齢者の胸の中で、少年がひとつ、大きく頷いた気がした。
夜の庭園に、虫の声がしていた。
池の月は、まだ静かに揺れていた。
消えることなく、ずっとそこにあった。
次回・最終話・第10話「娘よ、ありがとう。来年もまた、笑いながら旅に出よう。後期高齢者・父からの手紙。」につづく……🌙
📝 読者の皆さんへ
「もう歳だから」「今さら楽しんでも」——そう思って、自分の中の少年心に蓋をしていませんか? その心は、消えてなどいません。 ただ、出番を待っているだけです。 どこか遠くへ行かなくてもいい。大切な人と、いつもと違う場所に一歩踏み出すだけで——きっと、あの頃の自分に会えます。🌙✨

