未来への手紙を書く前に——今の自分を記録しておく
23年後の自分に手紙を書く前に——今の自分のことを、正直に書き留めておこうと思った。
100歳の自分が、この手紙を読むとき——「そうだった、あの頃の自分はこうだったな」と思い出せるように。
今の私は、77歳だ。
白髪で、老眼鏡が手放せなくて、膝が雨の前に痛くなる。階段で息が切れて、朝の起き上がりに少し時間がかかる。でも——毎朝縁側でお茶を飲めるくらいには、元気だ。
妻は、今も隣にいる。
今年、金婚式を迎えた。娘に「何かするの?」と聞かれて、「二人でどこか行こうかと思っている」と答えた。まだ、行き先を決めていない。
娘は、もうすぐ50歳になる。旅行計画書を手に、得意顔でやってくる娘が——今の私には、何より嬉しい存在だ。
息子は、釣り竿を大切に持っている。先日電話したら、「最近、釣りに行ったよ」と教えてくれた。父の竿で釣れたかどうかは、聞かなかった。
孫は、古銭を大切にしてくれている。先日会ったとき、友達に自慢したと嬉しそうに話してくれた。
今の私は、幸せだ。
それだけは——23年後の自分に、まず伝えておきたかった。
手紙を、書いた
100歳の自分へ。
今日、77歳の私が手紙を書いている。
夜中に目が覚めて、眠れなくて—— 布団の中でお前のことを考えていた。
お前は今、どこにいるのか。 どんな顔をしているのか。 誰の隣にいるのか。
わからないことだらけだが—— それでも書かずにはいられなかった。 だから今日、ここに書く。
まず——生きていてくれて、ありがとう。
100歳まで生きるということが、 どれほど大変なことか—— 77歳の私には、まだ想像もできない。
23年の間に、どんなことがあったか。 体が思うように動かなくなる日が、 きっとたくさんあっただろう。 「もう限界だ」と思った夜が、 一度や二度ではなかったかもしれない。
それでも——生きていてくれた。
その事実だけで、今日の私は 胸がいっぱいになる。
ありがとう。 本当に——ありがとう。
次に、いくつか聞かせてほしいことがある。
妻は、隣にいるか?
今の私には、妻がいる。 金婚式を迎えたばかりの妻が、 今日も台所で夕飯の支度をしている。
100歳のお前の隣に、妻がいるかどうか—— それだけが、今の私の一番の心配だ。
もし隣にいるなら—— 今日、「ありがとう」と言ってくれ。 何度言っても、言い過ぎにはならない言葉だから。
もし隣にいないなら—— 寂しいだろうが、覚えているだろうか。 金婚式の夜、渡した手紙を読んで、 妻が泣きながら「大げさね」と笑ったことを。
あの笑顔を——忘れないでいてくれ。 あの笑顔は、お前の宝物の中で 一番輝いているものの一つだから。
娘は、まだ旅行計画書を作ってくるか?
今の娘は、もうすぐ50歳だ。 毎年、旅行計画書を手に得意顔でやってくる。 段差の少ない宿を選んで、 消化の良い食事を調べてくれる。
23年後の娘は、73歳になっている。
73歳の娘が——100歳の父親のために、 まだ計画書を作ってくれているだろうか。
「お父さん、今年はここに行こう」と—— まだ笑いながら言ってくれているだろうか。
もしそうなら—— お前は世界で一番幸せな100歳だ。
遠慮しないで、連れて行ってもらえ。 後期高齢者が年を取っても—— 娘に甘えていいんだということを、 77歳の私が、許可を出す。
息子は、元気にしているか?
先日、息子に釣り竿を渡した。 「大切にする」と言ってくれた。
23年後——その竿は、まだ息子の手元にあるだろうか。 それとも、孫の手に渡っているだろうか。
父の懐中時計が、祖父から父へ、 父から私へ、私から息子へと渡ったように—— あの釣り竿も、時間を繋ぎながら 誰かの手元にあってほしい。
不器用な父と、不器用な息子。 100歳になっても—— その関係は変わっていないかもしれないが。
それでいい。 不器用な繋がりでも——繋がっていることが、全てだから。
孫は、どんな大人になっているか?
今の孫は、まだ小学生だ。 古銭を見て目を輝かせてくれる。 膝の上で眠ってくれることもある。
23年後の孫は——30代になっている。
どんな仕事をしているだろう。 誰かを愛しているだろうか。 家族を持っているだろうか。
歴史好きの少年が、 どんな大人になったか—— 100歳のお前には、きっと見えているだろう。
私の代わりに——見届けてくれていたら、嬉しい。
そしてもし孫が「ひいじいちゃん」と呼んでくれているなら—— その言葉を、しっかり受け取ってくれ。 77歳の私が、一番聞きたかった言葉だから。
次に——お前に、頼みたいことがある。
毎朝、縁側に出てくれ。
今の私は、毎朝縁側に出てお茶を飲む。 それが、一日の始まりだ。
100歳になっても—— できるなら、縁側に出てほしい。
体が許さないなら、窓際でいい。 ベッドの上でも構わない。
ただ——朝の光を、感じてくれ。
あの光は、77歳の今日も美しかった。 きっと100歳になっても、変わらず美しいはずだから。
「ありがとう」を、言い続けてくれ。
77歳の私が、終活を通じて学んだことの中で—— 一番大切だったのは、これだった。
「ありがとう」は、言えば言うほど 自分の心も温かくなる言葉だ。
100歳になっても—— 毎日、誰かに「ありがとう」を言ってくれ。
お茶を持ってきてくれた人に。 話しかけてくれた人に。 隣にいてくれる人に。
その言葉が積み重なって—— お前の残りの時間を、温かくしてくれるから。
笑ってくれ。
娘に「後期高齢者でしょ!」と言われたとき、 私は笑った。
100歳になっても——笑えることがあるはずだ。
くだらない冗談でいい。 他愛もない話でいい。 孫の顔を見るだけでもいい。
笑っている顔は——何歳になっても美しい。 娘が「いい顔してるよ」と言ってくれた、 あの旅先での写真のように。
100歳の誕生日に——いい顔で笑ってくれ。
最後に——一番伝えたいことを書く。
100歳のお前へ。
お前は、十分すぎるほど生きた。
悔いがないとは言わない。 後悔もあっただろう。 言えなかった言葉もあっただろう。 行けなかった場所もあっただろう。 会えなかった人もいただろう。
でも——100年間、生きた。
故郷の川で走り回った少年が。 仕事に燃えた青年が。 家族を持った男が。 後期高齢者と笑われた父が。 終活をして、旅に出て、手紙を書いた老人が——
100年、生きた。
それは——どんな言葉より、雄弁な答えだ。
縁側のお茶が美味しかった。 娘の笑顔が嬉しかった。 妻の隣が温かかった。 息子の四文字が、胸に刺さった。 孫の目が、輝いていた。
その全部が——100年分、積み重なっている。
お前は今日も——生まれてきてよかったと、思えているか?
思えているなら、それでいい。 それだけで——77歳の私の願いは、全部叶ったことになる。
100歳の誕生日に、縁側でお茶を飲んでくれ。 朝の空気を、思いっきり吸ってくれ。 そして——空を見上げて、こう言ってくれ。
「長かったような、あっという間だったような—— でも、悪くなかった」と。
その言葉が聞けたなら—— 77歳の今夜、眠れなかった私も、 ようやく眠れる気がする。
23年後に、またここで会おう。
77歳の自分より
書き終えた。
何枚の便箋になっただろう——数えなかった。
窓の外が、白み始めていた。
眠れないまま、夜が明けていた。
でも——眠れなかった夜が、こんなに温かいとは思わなかった。
手紙を書き終えて、気づいたこと
未来の自分への手紙を書くことは——不思議な体験だった。
過去の自分への手紙とは、違う。
過去への手紙は——後悔と感謝が入り混じる。やり直したいことが出てくる。謝りたいことが溢れてくる。
でも——未来の自分への手紙は、違った。
願いだらけだった。
元気でいてほしい。笑っていてほしい。誰かの隣にいてほしい。お茶を美味しいと感じていてほしい。朝の光を美しいと思っていてほしい——。
書いているうちに気づいた。
これらの願いは——100歳の自分へのものだけではなかった。
今日の自分への願いでもあった。
元気でいよう。笑おう。誰かの隣にいよう。お茶を美味しいと感じよう。朝の光を美しいと思おう——。
未来の自分に願うことは——今日の自分がやるべきことだった。
23年後に100歳で笑っていたいなら——今日から笑おう。
23年後に誰かの隣にいたいなら——今日、隣の人を大切にしよう。
23年後もお茶を美味しいと感じたいなら——今日の一杯を、丁寧に飲もう。
未来の自分への手紙は——今日をどう生きるかの、羅針盤だった。
縁側で、手紙を読み返した
朝になって——縁側に出た。
書いたばかりの手紙を、もう一度読んだ。
朝の光の中で読むと——夜中に書いたときとは、少し違って見えた。
夜中の手紙は、どこか切なかった。
でも朝の光の中では——温かかった。
100歳の自分が、この手紙を読む日が来るかどうか、わからない。
でも——書いたことに、意味があった。
23年後の自分を思い浮かべることで——今日という日の尊さが、また少し鮮明になった。
お茶を一口飲んだ。
美味しかった。
庭の木が、朝の光を受けて揺れていた。
今日も——いい朝だ。
100歳の自分よ。
23年後も、こんな朝が続いていることを——77歳の今日、願っている。
次回・第9話「『あの選択は正しかったのか』と、今でも思う日がある。人生の岐路に立ったあの日——もし違う道を選んでいたら、と考えた夜の手紙。」につづく……🌅
📝 読者の皆さんへ
今夜——眠れなかったら。 あるいは今すぐ——
「23年後の自分へ」と、便箋に書いてみてください。
何歳になるかは、人それぞれです。 100歳でなくていい。 10年後でも、5年後でもいい。
未来の自分に——何を願いますか? 何を聞きたいですか? 何を頼みたいですか?
その答えを書き出したとき—— きっと気づきます。
未来の自分への願いは、今日をどう生きるかの答えだということに。
23年後の自分が——今日のあなたの手紙を読みながら、 こう呟いてくれることを願っています。
「あの頃の自分が書いた通りに、生きてこられた」と。🌅🌸

