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「デジタル終活」という言葉を、初めて聞いた
娘に教えてもらって、初めて「デジタル終活」という言葉を知った。
スマートフォン、パソコン、インターネットバンキング、SNS、サブスクリプションサービス——現代人の生活は、気づけば無数のデジタルサービスと結びついている。
そしてそれらは——本人が亡くなった後も、デジタルの世界に存在し続ける。
ログインできなければ、家族は中身を確認できない。ネット銀行の存在を知らなければ、お金を引き出すことができない。サブスクリプションの解約方法がわからなければ、毎月料金が引き落とされ続ける。SNSのアカウントは、誰も管理できないまま放置される。
「見えない遺産」が、家族を静かに困らせていく。
娘の電話を切った後、私はスマートフォンを手に取って、しばらく眺めた。
この小さな機械の中に——いったい何が入っているのだろう。
まず、自分のデジタル資産を「棚卸し」してみた
娘のアドバイス通り、まず自分がどんなデジタルサービスを使っているか、書き出してみることにした。
紙とペンを用意して、スマートフォンを開いた。
アプリを一つひとつ確認しながら、書き出していく。
——思っていたより、はるかに多かった。
銀行のアプリが二つ。証券会社のアプリが一つ。クレジットカードの管理アプリ。ネットショッピングのアカウント。動画配信サービス。音楽配信サービス。ニュースアプリの有料会員。健康管理アプリ。そして——家族との写真や動画が大量に保存されているクラウドストレージ。
数えてみると、パスワードが必要なサービスだけで二十以上あった。
二十以上のパスワードを、家族は誰も知らない。
改めてそう気づいたとき、背筋が少しだけ冷たくなった。
スマートフォンの「入り口」から始めよう
デジタル終活で最初にすべきことは——スマートフォン本体のロック解除方法を、家族に伝えておくことだ。
これが「入り口」だからだ。
スマートフォンが開けなければ、中に入っているアプリも、写真も、連絡先も、何も確認できない。
暗証番号(PIN)、指紋認証、顔認証——どれで設定しているかによって、伝え方が変わる。
暗証番号であれば、エンディングノートに書いておく。指紋認証や顔認証の場合は、バックアップとして設定してある暗証番号も必ずあるはずなので、それを記録しておく。
私は暗証番号をエンディングノートに記録して、保管場所を妻に伝えた。
「開けようと思えば、いつでも開けられる」——その事実があるだけで、家族は安心できる。
ネット銀行は「存在を知らせる」だけで十分
インターネットバンキングやネット銀行について、多くの後期高齢者が直面する問題がある。
「そんなもの、自分には関係ない」と思っているうちに、気づけば使っているケースだ。
たとえば——ATMの手数料が無料になるからと、ネットバンクの口座を作った。ポイントが貯まるからと、クレジットカードの支払いをネットで管理している。配当金の受け取りのために、証券会社のオンライン口座を使っている。
これらは通帳が存在しない。カードはあっても、ウェブ上でしか明細を確認できない。
家族が「そんな口座があったとは知らなかった」という事態が、実際に非常に多く起きているという。
ネット銀行や証券口座については、まず「存在と金融機関名」を家族に知らせること。次に「ログインIDとパスワード」をエンディングノートに記録すること。この二つだけで、家族が途方に暮れる事態を防ぐことができる。
パスワードの管理、どうするか
二十以上のパスワードを、どうやって家族に伝えるか。
これが、デジタル終活で多くの人が頭を抱える問題だ。
いくつかの方法があるので、自分に合ったものを選んでほしい。
【方法① ノートに書き出す】 アナログだが、最もシンプルで確実な方法だ。専用のノートを一冊用意して、サービス名・ログインID・パスワードを書き出す。エンディングノートとは別に管理して、保管場所を家族に伝えておく。
注意点が一つある。このノートは「絶対に他人の目に触れない場所」に保管することだ。デジタルの全情報が一冊に集まっているため、万が一紛失したり盗まれたりした場合のリスクが大きい。
【方法② パスワード管理アプリを使う】 スマートフォンやパソコンで使える「パスワード管理アプリ」というものがある。一つのマスターパスワードだけ覚えれば、他のすべてのパスワードを管理できる便利なツールだ。ただし——このアプリ自体のマスターパスワードを家族に伝えておかなければ、本末転倒になる。
【方法③ 必要最低限に絞る】 使っていないサービスのアカウントを、この機会にすべて解約してしまう方法だ。アカウントの数が減れば、管理するパスワードも減る。不要なサブスクリプションの解約にもなり、毎月の支出を見直す良い機会にもなる。
私は方法①と③を組み合わせることにした。
まず使っていないアカウントをすべて解約して、数を十以下に絞った。そして残ったアカウントのIDとパスワードを、専用のノートに書き出した。そのノートをエンディングノートと一緒に保管して、妻に場所を伝えた。
シンプルにすることが、一番の親切だと、ここでも思った。
SNSアカウントを「どうするか」問題
意外と悩むのが、SNSアカウントの扱いだ。
FacebookやLINE、インスタグラムなどのSNSは——本人が亡くなった後も、アカウントが残り続ける。
友人から「元気ですか」とメッセージが届いても、誰も返信できない。誕生日になれば「おめでとう」の通知が届き続ける。投稿した写真や文章が、インターネットの世界に残り続ける。
これについては、自分の希望をはっきり決めておく必要がある。
選択肢は大きく三つだ。
「亡くなったら速やかに削除してほしい」——デジタルの痕跡を残したくない場合。
「しばらくそのままにしておいてほしい」——友人への告知の場として使う場合。
「追悼アカウントとして残してほしい」——Facebookなどには、故人のアカウントを追悼用に設定できる機能がある。
私はLINEのアカウントについては「削除してほしい」と書いた。娘や妻との会話履歴が残っているが——それは家族の記憶の中にあれば十分だと思ったからだ。
家族の写真と動画だけは、特別に扱う
デジタルの整理をしていて——一つだけ、悩んだことがある。
スマートフォンの中に、大量の写真と動画が保存されていた。
娘との旅行の写真。妻との何気ない日常の動画。孫の成長を撮った動画。
これらは——消えてほしくない。
クラウドストレージに保存されているものは、アカウントが削除されれば一緒に消えてしまう。
そこで私は、大切な写真と動画だけを選んで、外付けのハードディスクに保存することにした。デジタルのデータを「物理的な形」にして残しておけば、アカウントが消えても写真は残る。
娘がやり方を教えてくれた。休日に二人で並んで、スマートフォンの中の写真を一枚ずつ確認しながら作業した。
あの旅の写真が出てくるたびに、娘と「これ覚えてる?」「覚えてる覚えてる!」と笑いながら——気づけば作業より思い出話の方が長くなっていた。
デジタル終活が、思わぬ親子の時間を生んでくれた。
サブスクリプションの「隠れた引き落とし」に要注意
最後に、見落としがちな問題をお伝えしよう。
サブスクリプション——毎月自動で引き落とされる定額サービスだ。
動画配信サービス、音楽配信サービス、ニュースサイトの有料会員、クラウドストレージの有料プラン、スマートフォンのアプリの有料版——これらは本人が亡くなった後も、解約されない限り引き落とされ続ける。
家族がクレジットカードの明細を確認したとき「これは何の引き落としだろう」と首をかしげるケースが、非常に多いという。
この機会に——毎月何のサービスにいくら払っているか、書き出してみよう。
書き出してみて、私は少し驚いた。使っていないのに、ずっと払い続けているサービスがあったからだ。
終活をきっかけに、無駄な出費も整理できた。
思わぬところで、毎月の支出が減った。
デジタルの向こうに、人がいる
デジタル終活を終えて——ひとつ、気づいたことがある。
スマートフォンの中を整理していると、そこには無数の「人との繋がり」が詰まっていた。
連絡先に登録された名前の一つひとつに、顔がある。思い出がある。「元気にしているだろうか」と思う人がいる。
デジタルはツールだが——その向こうには、必ず人がいる。
整理しながら、疎遠になっていた友人に連絡を取りたくなった。エンディングノートに「感謝を伝えたい人」として名前を書き加えた。
デジタル終活は、画面の中の整理だけではなかった。
画面の向こうにいる、大切な人たちのことを——改めて思い出す時間だった。
後期高齢者には、まだやることが山ほど残っている。
スマートフォンを閉じて、窓の外を見た。
夕暮れの空が、静かに橙色に染まっていた。
この景色を、誰かに見せたい。
そう思いながら——久しぶりに、古い友人に電話をかけた。
次回・第7話「『ありがとう』をまだ言えていない人が、きっといる。後期高齢者が書いた『感謝の手紙』が、家族を変えた話。」につづく……📱
📝 読者の皆さんへ
スマートフォンを今すぐ開いて、アプリの数を数えてみてください。 いくつありましたか? その中で、家族が知っているパスワードは、いくつありますか?
怖くなりましたか? 大丈夫です。今日気づいたなら、今日から始められます。
まず一つだけ——スマートフォンの暗証番号を、大切な人に伝えてみてください。
それがデジタル終活の、最初の一歩です。
見えない遺産を、見える形に。 家族への最後のプレゼントは、パスワードひとつかもしれません。📱🌸

