
こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただきありがとうございます。
今回の記事は日本の音楽シンガーソングライターで
元オフコースのリードボーカル小田和正さんが
ドラマの主題歌を歌う事になった
記事が気になって幼い頃の生い立ちを
記事にまとめてしていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
小田和正の実家は金沢文庫駅東口目の前に
商店街の一角に薬局として有ります。
京浜急行品川駅から横浜経由、金沢文庫までの
所要時間は39分と特快に乗車して
40分かからないで到着します。
その訳は、鉄道の線路には二種類あって
新幹線用の線路幅は1,435mmです。
JR在来線用は1,067mmです。
368mmの差が有ります。
当然スピードを出せる線路幅は広い方が
車両が安定して車両のボデーも大きく造ることができます。
京急車両は線路幅が広く、スピードも在来線では
MAX120km/h出せる場所が有ります。

それは、品川から横浜間はスピードを出して走っています。
しかし、横浜から京急久里浜間は、迷路みたく、トンネルや
山と山の間を電車は蛇行しながら進むために
スピードを押さえて走っています。
金沢文庫駅はそんな中でも、京浜急行の
電車の操車場で、赤白色の電車がずらっと出番を
待っています。

金沢文庫駅近くには総合車両製作所(東急車両)の
JR東日本の完全子会社が車両を製造している。
わたしも、旧東急車両の社員の方と
研究開発製品を一緒に考案して、
車両搭載を検討した事が有った。
この会社の入口には0系新幹線が受付側を
ヘッドを向けて見張っています。
鉄道ファンにはたまらない場所でもあります。
線路も3本線になっています。

新幹線幅と在来線幅が一緒になっているのが
この場所で見ることができます。
小田和正のプロフィール

- 本名:小田和正(おだ かずまさ)
- 生年月日:1947年9月20日
- 出身地:神奈川県横浜市金沢区
- 身長:172cm
- 体重:58kg
- 血液型:A型
- 星座:乙女座
- 学歴:関東学院六浦小学校・横浜市立八景小学校卒
聖光学院中高一貫校卒(高校生の時、文化祭で演奏を披露)
東北大学建築学学科卒業
早稲田大学大学院理工学研究科修了 - 職業:シンガーソングライター・音楽プロデューサー・会社役員
- 担当楽器:ボーカル・キーボード・ピアノ・シンセサイザー・ギター
- 活動時期:1970年-
- レーベル:BMGファンハウス・アリオラジャパン/Little tokyo
- 趣味:映画鑑賞・ゴルフ
- 特技:絵画
- 資格免許:1級建築士
- 家族:新井恵子さん
\ あの透き通る歌声の原点を、もう一度。 /
横浜の名門校から東北大、早稲田の大学院へと進み、一級建築士の資格を持ちながらも音楽の道を選んだ小田和正さん。オフコース時代の伝説の名曲から、今なお心に響くソロのベストアルバムまで、懐かしい名盤をお手元に揃えてみませんか?今すぐ透明感あふれる歌声の世界に浸ることができます。
実家家族

- 父親:小田信次(2008年老衰で亡くなっています94歳でした)
- 母親:きのゑさんは歌が上手かったそうです。今は天国で歌ってます。
- 兄:小田兵馬
- 本人
小田和正の幼い頃
金沢文庫駅と聞くと、金沢市と頭がよぎります。
しかし、ここは神奈川県横浜市金沢区です。
名前の由来は、鎌倉時代の中頃に、北条氏の一族(金沢北条氏)の
北条実時が今の金沢区の邸宅内に造った武家の文庫の場所だそうです。
その名が今の金沢文庫として現在も使用されている地域だそうです。
わたしは、県立金沢文庫資料館に入ったことは有りません。
周りの場所は、仕事で訪れた事が有り
小田和正さんが少年時代遊んだ場所を
巡ってみたいと思います。

金沢文庫周辺は、鉄道の工場、車両基地が有って
鉄道には興味を示していたと思われます。
自宅の商店街は駅側に有った事から、
きっと、電車で横浜まで遊びに行っていたと
思われます。
中華街の元町までは、京急金沢文庫から
横浜駅で乗り換えてJRの元町下車
約52分で元町まで行くことができます。

夏になれば、1.3kmにある海の公園へは
歩いて、または自転車で20分程度の場所に
自然豊かな砂浜で遊ぶことができたのでしょう。
現在は八景島パラダイスが隣接して、夏になると
大勢の人が訪れる場所になっています。

実家は小田薬局言う名前のお店を開いています。
小田和正は小学生時代からスタンダードジャズと
日本の流行歌を口ずさみながらよく聞いていたそうです。
\ 小田和正さんが育ったお洒落な街・横浜を味わう /
ハイカラなご実家の薬局があり、海の公園や八景島など美しい海岸線に囲まれた横浜市金沢区。小田さんの洗練された感性を育んだ古き良き横浜の伝統グルメをお取り寄せしたり、小田さんの音楽の面影を感じる「聖地巡礼・横浜旅」に今週末、出かけてみませんか?
中学・高校は京急で通学して野球部に所属して
ポジションの位置は不明です。
電車通学で疲れて帰ってきていたと思われます。
電車も余り乗り越しは無かったと思います。
各駅停車には金沢文庫止まりが有ったからです。
当時の高校生で流行っていたのはギターでした
フォークソングが徐々に流行していた時期でもあったので
ギターを買ってもらい弾いていたそうです。

大学受験は父親の薦めで医者になるようにと勧められたが
本人は暗記が苦手で医学部受験をあきらめたそうです。
兄と比較され、兄は今も薬剤師として活躍されています。
小田和正も今は、大勢のファンに囲まれて、
ソロ活動、人前では歌うのが嫌いだったはず。
小田和正は大学時代建築の勉強だったが
建築の木管ではなく、音楽の道へ歩んだのです。
大学を卒業して音楽の道へと進みますが10年間
ヒット曲が出てこなかった。

高校時代のオフコースのメンバーと歌っていたが
82年に脱退してソロ活動をして91年には
「ラブ・ストーリーは突然に」がオリコン年間
シングルチャート1位になったのを切っ掛けに
映画の主題曲として次から次へと高音が
コンサートホールを駆け抜ける。
\ あの伝説のイントロをもう一度!主題歌ドラマを今すぐ観る /
日本中を虜にした『東京ラブストーリー』をはじめ、小田和正さんの珠玉の名曲が彩った大ヒットドラマや映画の数々。動画配信サービスの「無料体験」を利用すれば、おトクに今すぐ見放題で楽しめます。名曲が胸に迫るあの感動の瞬間を、もう一度味わいませんか?
小田和正の知られざる生い立ち|実家は横浜の名門薬局?医学部断念から音楽の道へ進んだ青春の軌跡!のまとめ
![]()
金沢文庫の海の香りを身体に浴びながら
駅前の商店街で、幼い頃少年は、車両基地、鉄道会社の側で
育ち、興味を示し、毎日の様に電車を
観ていたと思います。
![]()
そんな少年の夢は、中学から高校時代に
医者ではなく、小田少年の心の中は
人と接する事ではなく、人に伝える事を
唄にして人生を生きる決心をしていたと思います。
コンサートホールには、同じ年齢の高齢者の方々が
歌って、昔の思い出を取り戻せれば、
心の旅が始まるのかも知れません。
きっと、きっと歌に高音が響くでしょう。
これからもファンの皆さんに、心地よい
音楽を届けてください。
高齢者ですから健康に気を付けて
歌い続けてください。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。

