【意外なルーツ】伍代夏子の実家は渋谷の魚屋さん?内気だった少女が演歌の女王になるまで

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こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログにお越しいただきありがとうございます。

今回の記事は、日本を代表する演歌歌手の伍代夏子さんについてです。
伍代さんは現在60代。凛とした美人顔で演歌を歌う姿は、着物の着こなしもすっかり本格派で、年齢を感じさせない輝きを放ち続けていますね。

力強く説得力ある歌声は、今も変わらぬ人気を誇っています。
同世代以上の方は、彼女の歌声に懐かしさや勇気をもらっている方も多いでしょう。

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伍代夏子さんが、これほど長く歌い続けられる秘訣は何なのか?
幼い頃に遊んでいた場所や、意外な出身地のルーツが気になったので記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

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伍代夏子の生い立ち!

 

東京都渋谷区宇田川町生まれの伍代夏子さん。
今は日本の中心となった渋谷の街で、幼い頃から商店街に出てはいろいろな物を発見していたのでしょう。

東急109などはまだなかった時代。
商店街では西武百貨店、渋谷駅の中には東急百貨店が若い人たちへ新しい流行を提案していた頃です。

男性用はJUN、VANといった流行のアイビーファッションがショーウィンドウを飾っていたのではないでしょうか。
渋谷の街は、昼と夜では全く違う顔を見せる、子供にとっては未知の魅力に溢れた街だったはずです。

そんな活気ある街で育ちながら、意外にも伍代夏子さんは人前に出るのが大嫌いな少女だったようです。

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伍代夏子のプロフィール

  • 本名:中川 輝美(なかがわ てるみ)※旧姓:山田
  • 別名:星ひろみ、加川有希(旧芸名)
  • 生年月日:1961年12月18日
  • 出身地:東京都渋谷区
  • 身長:160cm
  • 体重:56.3kg(標準体重)
  • 血液型:A型
  • 星座:射手座
  • 学歴:渋谷区立大向小学校(現・神南小学校)卒業
    渋谷区立松濤中学校 卒業
    鷗友学園女子高等学校 卒業
  • 趣味:パチンコ・人形制作・ガーデニング・散歩・写真・旅行・ドライブ
  • ジャンル:演歌
  • 職業:歌手
  • 活動時期:1985年〜
  • レーベル:ソニー・ミュージックレーベルズ
  • 配偶者:杉 良太郎(1999年〜)

実家家族

  • 父親:魚屋「市六水産」を経営
  • 母親:一般の方
  • 姉:一般の方
  • 本人(次女)

家族

  • 夫:杉良太郎
  • 妻:伍代夏子
  • 息子:山田純大(杉良太郎さんの連れ子)

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数々の苦労を乗り越え、スターへと上り詰めた伍代夏子さん。彼女の艶やかな歌声と表現力が詰まったベストアルバムは、演歌ファン必携の一枚です。

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幼い頃は渋谷の魚屋さん!

※上の写真は伍代夏子さんの実家とは異なりますが、当時の活気をイメージさせます。

代々木公園の西側にあった魚屋さん「市六水産」。築地市場から仕入れた新鮮な魚が並び、渋谷界隈の家庭や小料理屋さんに重宝される繁盛店でした。

そんな環境で育った伍代夏子さんは、まさに魚を食べて大きくなった「魚屋の看板娘」。
お店を手伝っていると、父親からよく怒られていたというエピソードもありますが、水仕事をする父の傍らで元気に過ごしていたのでしょう。

小学校の頃は人前に出るのが苦手で、仮病を使って休むこともあったという彼女。意外なことに、学級委員を任された時は登校拒否寸前になるほど内気だったそうです。

そんな彼女を支えたのが、お店のラジオから流れる演歌でした。

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押し入れの中でこっそり演歌を練習していたという伍代さん。
「うまくなってきた!」と自信をつけて、オーディションに応募しようとはがきを書くものの、やはり人前が怖くてポストに投函できなかった……そんな可愛らしい時代もありました。

中学生の頃からオシャレに目覚める!

中学校から高校へと成長するにつれ、オシャレにも敏感になっていきました。
お年玉で貯めたお金をオシャレ代であっという間に使い果たしたというエピソードは、都会の女の子らしいですね。

そして15歳の時、渋谷の公園でスカウトされます。
実はスカウトされるために、目立つように何度も公園を歩くという「積極的な作戦」を実行していたのだとか!内気だった少女が、夢のために一歩踏み出した瞬間でした。

高校卒業後はモデル事務所で事務をしながら、歌手への道を模索。
月給63,000円という当時の平均的な給与でお茶くみや電話番をこなす下積み時代を6年間も過ごしました。
生活のために、原宿の「南国酒家」でアルバイトをしていたこともある苦労人です。

こうして芸名「加川有希」として「夜明けまでヨコハマ」でデビューを果たしますが、プレッシャーから円形脱毛症や胃腸障害を患い、一度はマイクを置くことになります。

しかし、彼女の情熱は消えませんでした。

伍代夏子の生い立ちまとめ

渋谷という流行の先端を行く街で、都会っ子として育った少女。
店先で流れる演歌を心の支えに、内気な性格を克服して歌手という夢を掴み取りました。

再デビューの際、尊敬する五木ひろしさんの「五」を「伍」に変え、八代亜紀さんの「代」をいただいたという芸名には、彼女の覚悟が詰まっています。

最近ではオレオレ詐欺の撲滅運動に参加するなど、高齢者への配慮も忘れない伍代さん。

いつまでもハツラツとした姿は、私たちに元気を与えてくれますね。
自身の体調管理にも気を配りながら、日本の心を歌い続けてほしいと心から願っています。

今日もわくわくウキウキブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

OTE

2025年がスタートしました。
新しい年に向けて、山と海と小川がそこにある場所に
私は住むようにして3年になります。
仕事、それはゆるく楽に、鳥の声で朝起きして
自然豊かな暮らしを続けます。

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