わくわくウキウキブログ

安藤玉惠の生い立ち!幼い頃は東京下町隅田川で育った!実家の家族!

こんにちは、自由 まなぶ です。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、あまちゃんで三陸の観光協会

の栗原ちゃん役として出演した安藤玉恵さんです。

そんな安藤玉惠さんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

安藤玉惠の生い立ち!

 

実家の「どん平」は安藤玉恵さんが

生まれる前の26年前に開業した。

母親とは17歳年下で下町で生まれた。

尾久は国鉄・都電荒川線が走って

隅田川が南北に流れていた。

商店街が安藤玉恵さんの遊びだった。

遊んでいる時にひょうきん者で

人を笑わせるのが大好きだった。

商店街では、非常に活発に外で

遊ぶのが大好きだった。

父親は戦後、紙芝居師として、

自転車の荷物載せに紙芝居道具を固定し

固定した、木箱の中には水あめ、

水あめ棒、スルメ(スルメを砂糖醤油)ゲソ

薄焼きせんべいを偲ばせて、紙芝居を

観に来る子供達に当時1円から5円の

品物を買った、紙芝居を観るのです。

紙芝居は折りたたまれた紙芝居本体を

持ち上げて、観音開きを開けると

その中には、紙芝居がおさまっていた。

今日のテーマは、黄金バット、赤胴鈴之助

最後には予告編の紙芝居もあった。

終わったころは、夕飯の時間帯で

益々、商店街には町内会の人達が訪れる。

幼い頃は東京下町隅田川で育った!

尾久(おく)、尾久(おぐ)と読み方が不思議と

思って、調べてみると、JR駅は「おく」と呼び

荒川区尾久(おぐ)と読むのがただしい。

とんかつ屋を営んでいた父親は

周りの人を喜ばせる事が好きな父親だった。

ときには、人が自宅に遊びに来るとスキンヘッドを

柱にぶつけて、流血していた。

また、兄の野球の応援の時に球場の外で

とんかつを揚げて選手たちに振舞った。

また、NHKのラジオを英語を覚えて

近所に住んでいる外語大生と英会話。

両親がケンカしているのがおかしくて

漫才をしているみたいだった。

人からは変わっている夫婦だねといわれていた。

小学校は地元の区立小学校して

商店街でよく遊んで6年間過ごした。

小学校を卒業して、中学校も地元の区立中学校に

入学した。

中学校ではバスケットボール部に在籍した。

バスケットボールでは都大会に出場した。

中学校を卒業して高校は杉並区に有る

私立の日本大学の系列校に入学した。

大学を卒業して劇団ポツドールに

約10年間所属していた。

2003年27歳の時に映画「ヴァイブレーター」に

出演して女優デビューした。

安藤玉恵のプロフィール

実家家族

  • 父親:とんかつ屋「どん平」2007年他界。
  • 母親:一般の方で17歳年下他界。
  • 長男:兄がいる
  • 長女:本人
    両親との4家族でした。

家族

安藤玉惠の生い立ち!幼い頃は東京下町隅田川で育った!実家の家族!まとめ

東京の下町で父親のとんかつ店で

17歳年下の母親の間に生まれた。

そんな、安藤玉恵さんは母親から

あなたは朝ドラに出演する女優に

なれそうな気がすると言われた。

舞台役者として仕事を始めた頃に

母親から言われたことが、

あまちゃん、今回のらんまんでの役は

安藤玉惠さん。

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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