わくわくウキウキブログ

高橋一生の生い立ち!幼い頃は東京都港区赤坂で育った!実家の家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、高橋一生さんです。

子供の頃からコミュニケーションが苦手で

祖母が見かねて習い事を積極的に行くように

ピアノ、エレクトーン、ドラム、ダイビングに

通っていましたが、どれも長続きしなかった。

習い事の一つの児童劇団の発表会で祖母が

泣いて喜んでくれたのを高橋一生さんが見て

子役の俳優を続けることを決心した。

そんな高橋一生さんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

高橋一生の生い立ち!

 

東京都港区赤坂は東京でも高級街で

高級街のには神社がある閑静な地域で

高橋一生さんが生まれました。

今は大型複合施設の東京ミッドタウンの中には

高級ファッション店やデザインストアと

日本の伝統工芸品等を紹介する展示会場が有ります。

赤坂の街は繁華街との対比が鮮やかな地域です。

高橋一生さんは実は複雑な環境の

家庭の中で育ちました。

母親は3度結婚を繰り返しています。

高橋一生さんは初婚の時のお父さんの子供です。

幼い頃は東京都港区赤坂で育った!

母親は18歳の時に高橋一生さんを生んでいます。

次男と三男は二度目に結婚した父親です。

四男と五男は三度目に結婚した父親です。

家庭の事情で、母親は複雑な環境の下

5人の子供達を育てています。

長男として高橋一生さんは兄弟の面倒を

よく見ていました。

小学校は公立校の伝統校で1906年に開校

この学校の卒業生に有名人がいました。

岡本太郎(芸術家・転校)

北杜夫(作家)

仲代達矢(俳優)

オノ・ヨーコ(芸術家)

合原明子(アナウンサー)

当時は多くの児童が通っていましたが

高橋一生さんが通っていた頃は都心の

少子化の影響で、全校生とはたったの50人でした。

学校の近くには赤坂御所の関係者の子供達が

同級生だった。

遊び場は東宮御所の赤坂御所の敷地内を顔パス状態で

行き来していた。

また、表参道近くに神宮前小学校の開放校庭に

友達とバスケットボールをして遊んでいた。

その時に高学年のカッコイイお兄さんがシュートの

練習を見せてくれた。

そのお兄さんがシュートのやり方を教えてくれた。

お兄さんは俳優の村上淳さんだったことが

後日知ったのです。

小学3年生の時に、児童劇団に入団して芸能活動は

9歳の時に子役としてデビューしました。

小学校五年生の時に退団しています。

小学校を卒業して中学校は港区公立校の中学校に入学しました。

中学校は青山一丁目駅(銀座線・半蔵門線・大江戸線)の目の前が

中学校になっています。

中学校は1947年に開校し進学率が高い

ことから越境入学者が多いことで知られる中学校です。

高橋一生さんは中学時代はバスケットボール部に入部して

部活動に専念しています。

また、同級生とバンドを組んで、ボーカルとギターを担当した。

また、個人でできるスポーツが好きで

スケートボードは小学校時代から

自転車が好きで奥多摩までツーリング。

さらに、登山が大好きで一人で数日間山にこもる事も。

3000m級の山に登った事も有る。

山小屋を使わずにテントで寝る。

中学三年生の時に児童劇団関係者からの勧めで

オーディションを受けて見事合格しました。

中学時代の俳優の仕事は、多くなく仕事には恵まれなかった。

高橋一生さんは低音ボイスで知られ

ナレーターなどにも起用されていた。

中学三年生の1995年に漫画映画

スタジオジブリの宮崎駿監督作品の「耳をすませば」で

ヒロインの相手役・天沢聖司の声優に抜擢された。

この時の声は変声前の声でしたが

テレビで再放送されるたびに映画好きなファンを

喜ばせてくれたのです。

この作品がきっかけで再び俳優業を始めました。

この学校の卒業生には

薬師丸ひろ子(女優)

島田歌穂(女優)

森本毅郎(キャスター)

中川俊直(元衆議院議員)

鈴木貴子(衆議院議員)

中学校を卒業して、俳優業として高校を選ぶ時

芸能人御用達の高校を選んだ。

中学時代から芸能活動で活躍していた事も有って

より幅広い活動ができるようにトレイトコース(芸能コース)

選択して学校に通っています。

赤坂から高校までの最短距離は6.5Kmで

電車を利用すると表参道から中野坂上まで約40分ほど

通学時間がかかります。

同級生には

岡田准一(俳優)

新山千春(タレント)

野波麻帆(女優)

1学年上にkinki kidsの堂本剛さんも在籍している。

岡田准一さんとはテスト勉強を一緒にすることで

急に仲良くなって、高橋一生さんの家に泊まりに行く大親友です。

仲のいい二人を弟のミュージシャン安部勇麿さんが

自宅に岡田さんを招いている事を、不思議に思ったそうです。

岡田准一さんはTOPアイドルでよく、高橋一生さん兄の家に

「なんてすごい兄さんなんだ」と感じたそうです。

この頃の高橋一生さんは岡田准一さんとは知名度が低く

岡田准一さんが下校している時は100m程

後ろを歩いて下校した。

高橋一生さんは岡田准一さんと何時かは共演したと

話していた。

2014年に念願がかなった。岡田准一さん主演の

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で念願の共演を

果たしました。

高校時代は母親が夕方から仕事に出かけるために

4人の子供の面倒は高橋一生さんの仕事でした。

一番下の弟のオムツ替えをしたり、

哺乳瓶に粉ミルクを入れて熱湯をさして、

粉ミルクが完全に溶けて、人肌の温かさになった

事を確認して弟に飲ませていた。

高校時代は俳優として活動していましたが

レギュラーは少なく、連ドラや二度間ドラマのスポット役の

出演でした。

高校三年生になって1月からのNHK大河ドラマ「元禄繚乱」の

柳沢吉里役に起用された。

高校卒業後は大学へは進学せずに芸能活動一本に絞ったのです。

その後、下積み生活が非常に長く、俳優業は「何となく続けた」と

話しています。

30歳を過ぎて演技が楽しくなって徐々に出演作が増え

35歳2015年にテレビドラマ「民王」でやっと

俳優としてブレイクしました。

その後は数々のテレビドラマや映画に

主役級として起用されています。

高橋一生のプロフィール

実家の家族

  • 父親:幼稚園の時に亡くなっています。
  • 母親:長男を18歳の時出産、その後離婚と再婚を繰り返しています。2015年53歳に他界された。
  • 長男:本人
  • 次男:一般の方でデザイン系の仕事。
  • 三男:安部勇磨(ロックバンドのメンバー「Never young beach」
  • 四男:一般の方です。
  • 五男:18歳年下の一般の方です。寿司職人を目指している方です。

高橋一生の生い立ち!幼い頃は東京都港区赤坂で育った!実家の家族は!のまとめ

東京港区赤坂で母親が18歳の時に

高橋一生さんが生まれました。

高級街で神社がある閑静な地区は

高橋一生さんにとってはどんな街に

写っていたのでしょう。

祖母が孫を見て、思いついた習い事が

大人になって、実を結ぶ世間の目が

高橋一生さんに向けられているのです。

つらい過去からいまは、テレビドラマや映画に

引っ張りだこの高橋一生さん

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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