わくわくウキウキブログ

田中律子の生い立ち!幼い頃は世田谷の小田急線で育った!実家の家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、田中律子さんです。

夏の季節に小麦色の肌が素敵な

少女だった12歳の時に芸能界入りした

田中律子さん、現在は沖縄に住んでいて

タレント活動をしながら、ヨガインストラクターやサンゴの

再生活動に積極的に取り組んでいる田中律子さん。

そんな田中律子さんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

田中律子の生い立ち!

東京都心の新宿から小田急線で千歳船橋駅が

最寄りの駅で、祖母は美容師で

父親と母親の間に生まれました。

母親は二十歳の時に田中律子さんを

授かっています。

美容室で、母親のハサミとドライアイを

うまく使いこなして、お客様のヘアーを

ビフォーからアフターへとヘアースタイルが

変わってゆくのを、母親の背中から

観ていたに違いありません。

美容室のBGMは、父親の好きな

ビートルズの曲が流れていたのでしょう。

特に父親が当時流行していた時代でしたから

エレキギターの音がどことなく美容室には

似合わなかったと思われます。

幼い頃は世田谷の小田急線で育った!

都心のオフィース街である新宿から

小田急線で乗り換えなしの千歳船橋駅まで

約20分ほどの場所に有ります。

周辺は戸建ての住宅が多く、治安が良く

家賃も相場並みと通勤通学に便利な場所です。

そんな場所で、母親は美容室で住民の方の

髪の毛を整えてあげる仕事をしています。

母親の背中で育てられていた田中律子さんは

将来は美容師になると心のどこかで

思っていたのです。

子供の頃は母親の背中で育ったことで

引っ込み思案な女の子でした。

おんぶされている時に、顔を見られた瞬間に

顔を母親の背中にうつむいた仕草は

まだまだ、女の子だったんです。

近所の男の子と交じってよく遊んでいた。

激しい遊びで生傷が絶えず、時には虫に刺され

足には虫刺されの跡が赤く何ヶ所も見られた。

そんな女の子も、幼稚園から小学校に

入学します。

区立の公立小学校に通うようになりました。

自宅からは約10分程度の場所に小学校が有り

通学道路は環状8号線が走っています。

千歳船橋駅周辺の商店街は毎日の様に

通学帰りに寄り道して帰った。

父親はアウトドア派で海とバイクが好きで

休日の日には環八を走り東京湾に出て

空港近くの多摩川河港口でバーベキューをして

父親と楽しんでいました。

小学校5年生の時に、家族で伊豆に

旅行した時、野生の猿に襲われて

長い髪の毛を引っ張られたことがあった。

小学校6年生の春休みの時に小田急線で千歳船橋駅から

町田駅まで約快速急行で約26分と

30分かからない小田急百貨店町田でスカウトされた。

翌年の12歳の時には音楽番組のアシスタントや女優活動も

始めていました。

ただし、父親の寛さんは芸能界に猛反対していた。

事務所にお伺いし、スタッフとの面会して

「ギャラは3対7で良いですか?」と

問われて、断る口実として「1対9じゃないとダメ」と言ったら

では、それで行きましょう」と言われた。

小学校を卒業して中学校は地元の公立校に入学して

歌手デビュー後1年間は中学校を休学して朝から晩まで

仕事が忙しく、睡眠時間は平均3時間だった。

留年して芸能活動をしながら中学校を卒業しました。

中学時代は部活には入部せずに、帰宅部でした。

1984年中学1年生の時にはファッションモデルとして

ファッション雑誌「週刊セブンティーン」(現在SEVENTEEN)に

芸能界デビューを果たしました。

翌年にはテレビドラマ「ママ、大変だァ」で女優デビューしました。

料理好きな母親と一緒にケーキ、シュークリーム、クッキーを作っていた。

中学二年生のバレンタインに手作りのチョコレートを初恋の男の子に告白した。

青春時代の思春期に初恋の男の子と

3年生の修学旅行時にファーストキスをした。

中学校を卒業して私立の女子校を受験して

当時から芸能活動を広く認めている高校で

多くの女性芸能人が在籍している。

田中律子さんは中学時代から芸能活動を

おこなっていたので芸能コース科に在籍した。

同級生には当時アイドル歌手の姫乃樹リカさんが

いました。

田中律子さんは主に女優として活動中

光GENJIが主演するテレビドラマ「あぶない少年」に

出演しています。

高校2年生の時に街を歩いている時に担任の先生に

髪の毛をむすまずにいたところを見つかって

髪が長く校則違反と言われて指摘された。

高校は芸能活動を認めつつ、校則は厳しかった。

そのために、田中さんは髪を切るか、学校を辞めるかの

二択を迫られましたが、髪を切りたくないから

別の高校へ転校し芸能活動コースに進みました。

当時の高校は芸能人が多く在籍している学校として

よく知られています。

同級生

高岡早紀(女優)

石田ひかり(女優)

田村英里子(女優)

小池茶子(演歌歌手)

他に1学年下の在籍した女優の高橋由美子さんが

仲良しの一人でした。

高校時代にファーストシングル「FRIENDSHIP」で

歌手デビューしました。

しかし、歌手としてヒットには恵まれず、

その後5年で歌手を辞めました。

高校時代はさほど仕事に恵まれず

そのために高校生活を充実させて

自宅から約40分ほどの通学をして

高校時代を楽しく過ごした。

高校卒業して大学には進まずに

芸能活動に専念する事にしました。

それ以降、女優とアイドル歌手で活動していました。

二十歳の時に転機が訪れます。

1991年にテレビドラマ「101回目のプロポーズ」で

主演の浅野温子さんの妹役を好演して

女優として世間の注目を浴びたのです。

また、トーク力が有り「マジカル頭脳パワー!!」など

多くのバラエティー番組に起用されました。

また、26歳の時にカメラマンの杉本学さんと結婚し

大きな話題となった。

その後2012年に離婚しています。

しかし、実家家族とは仲が良く、

そんなドラマのママ役を観てみたですね。

田中律子のプロフィール

実家の家族

  • 父親:寛さん一般の方です。(2022年に他界した。)父方の祖母も数か月後に他界した。
  • 母親:田中ふみ子さん(美容師さんです。)
  • 長女:本人
  • 長男:弟の賢一さんは2歳年下。「シラギク美容室」の3代目のお店を継いでいる。
  • 次女:6歳年下の一般の方です。(芸能活動は有りませんでした)

家族

田中律子の生い立ち!幼い頃は世田谷の小田急線で育った!実家の家族は!のまとめ

現在は沖縄に住んでいる

田中律子さんは小麦色の肌で

南国らしい空と海の色が一体になって

素敵な家族団らんですね。

幼い頃は美容師になりたいと

思っていた田中律子さんでしたが

町田でスカウトされて芸能界入り

現在も女優・タレントとして

多くの番組に出演している田中律子さん

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

モバイルバージョンを終了