わくわくウキウキブログ

木村祐一の生い立ち!幼い頃はどんな所で育ったの!実家の家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、還暦を迎える

人生の節目に当たる俳優さんを

取り上げてみました。

お笑いタレントのイメージがすっかり

おなじみになった映画監督、俳優として

才能を見せる俳優木村祐一さんです。

そんな木村祐一さんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

木村祐一の生い立ち!

京都市下京区は新幹線の京都駅から

北へ四条通りの河原町、烏丸までと

JR西日本が走る東海道線、京都鉄道博物館の

並びで京都の有数の繁華街が密集している場所です。

京都タワー、東本願寺・西本願寺と京都を代表する

観光地でもあります。

京都は碁盤目のようになって、ハッキリと区分されて

家一家一軒が肩を寄り添って、京都の郷土品を

扱っていて、窓越しには品物を作る職人さんもいます。

木村祐一さんの父親は金張の名人だったのでしょう。

幼い頃はどんな所で育ったの!

父親の仕事を幼い頃から作業するところを見て

作業場で器具用に金を貼る姿を眺めていました。

製品が出来上がる様子を飽きもせずにみていた。

父親は木村祐一さんに「製品には作ったさく者の魂が

入っている」と教えていた。

さらに、「どんな小さな生き物にも魂がある」と説教した。

厳しい言葉の中に、父親の優しさが込められていて

木村祐一さんに教えていたたのです。

たまに母親も父親の仕事を手伝っていました。

母親はとても明るい性格で、いつも楽しい木村家だった。

仕事で忙しい母親が冷蔵庫にある残り物の材料で

作った焼き飯は、木村祐一さんにとって好きだった。

この頃から、両親が仕事が忙しい時に、空腹で待ちきれず

自分で料理をするようになった。

下京区の中の公立小学校に通い始め、

プロ野球が盛んだったころ、O(王貞治)N(長嶋茂雄)が

現役選手で出場しているのを見て、少年野球を始めた。

木村祐一さんは内気な性格で、人前に出て発言するのが

苦手だった。

また、父親が仕事が休みの時は、必ずと言っていいほど

映画館に連れて行ってくれた。

映画が好きになって「ジョーズ」「007シリーズ」

「寅さん」を観に出かけていた。

当時は、日本映画、外国映画どちらも好きで観ていた。

小学4年生の時に帰宅して料理をするようになった。

姉もいるのですが、弟が木村祐一さんの作る料理が

美味かったのか、心待ちにしてくれて喜んでいるさまを見て

料理を作って良かったと誰かに喜んでもらえる。

少しづつ腕が上がって、姉弟が美味しく食べて

くれたから大きく上達しました。

電車が好きで、将来は市電の運転手、JRの運転手

子供の頃は運転手でした。

小学校を卒業して公立中学校に入学するのですが

自宅からは随分離れた中学校に通学しています。

通学に利用した乗り物は市バス乗り継ぎで約47分、

また、市バス、電車利用で約45分と

中学時代らは電車の運転席近くに乗車して

車窓を楽しんでいたと思われます。

野球好きな木村祐一さんは野球部に在籍していました。

野球部の練習が厳しくて、母親に野球を辞めると

泣いて頼んだそうです。

通学時代は星新一さんの本を読んでいた。

因みに卒業生に
高橋藍(バレーボール選手)

国広富之(俳優)

中学校を卒業して、高校へは市立商業高等学校を受験しました。

京都では伝統校で、1886年に設立して

高校名は京都第一商業高校時代は甲子園で

優勝経験があった。

自宅から学校までは約3kmで歩いて

約40分ほどかかりました。

木村祐一さんは中学時代に在籍していた

野球部に再びチャレンジして野球部に在籍して

部活動に打ち込んでいました。

2003年商業科を廃止し、西京高等学校と改めました。

野球部に在籍中は真面目に、甲子園を目指して

練習に励んでいた。

高校時代は私服、スーツを1着持つことが高校生の流行。

17歳の頃流行った、VAN、JUNのヤンキーと

サーファーとアイビーが流行ったらどっちを選択するか。

高校生の時のアルバイトでお金を貯めて

高校生が子供と呼ばれない様に、姿を変えて

おとなたちの仲間入りの遊びを楽しんでいた。

当時は髪の毛を伸ばして、オールバックで

ポマードを髪の毛にべっとり塗りつけて

おとなっぽいオーデコロンを付けて遊んでいた。

高校時代、ロカビリーバンドを組んでリードギターを

担当して、何度かオーディションを受けた事も有った。

また、球技大会で出し物を決めたり、文化祭では

芝居の脚本も手掛けていた。

高校卒業して大学へは進学していません。

卒業生には竹内知咲(お笑い・天才ピアニスト)

高校卒業後の就職先はホテルマンは好きな先輩が

同じ職業に就いてから就職したまで。

ホテルマンは自分には似合っていなかった。

そのために「自分はどうしたいんだ」を

見つけることが難しかった。

その後、染物職人として働き出したが

当時、仕事の手順が早く仕上げて

奇麗だと言われる人について行った。

就職して5年が経った23歳の時に

友人に誘われて吉本興業に入って

中学時代の同級生だった栩野 進さんと

お笑いコンビ「オールディーズ」を結成した。

両親は吉本興業に入った事を知り、泣いて反対した。

最初はコンビとして活躍し始めていた頃

相手方の不祥事によりコンビは解散した。

やむを得ずピン芸人となっていて人気は

出ませんでした。

ところが親交が有ったダウンタウンのつていで

構成作家としてデビューを果たし

好評を得て多くのバラエティー番組を担当していました。

また、同様にピン芸人としての活躍も徐々に増え始め

最終的には人気芸人の仲間入りとなりました。

2004年にはNHK大河ドラマ「新選組」で

俳優デビューして数々の作品に出演しています。

その新選組の屯所跡は京都下京区に在り

木村祐一さんが生まれ育った場所に

偶然にも領地内であったのです。

木村祐一のプロフィール

実家の家族

  • 父親:金加工業の職人です。
  • 母親:一般の方でとても明るい性格の方です。
  • 長女:お姉さん一般の方です。
  • 長男:本人
  • 次男:弟さん一般の方です

家族・・3回離婚して4度結婚

木村祐一の生い立ち!幼い頃はどんな所で育ったの!実家の家族は!まとめ

京都の生まれの芸能人は多くいます。

そんな中でも、時代劇映画の発祥地としても知られ

私も憧れた、東映太秦撮影所が在り

俳優になりたいと思った人は多くいると思います。

それに、京都は時代劇に似合う町でもあり

木村祐一さんもその一人でしょう。

人を笑わせる芸の仕事に、

放送作家・NSC講師・料理人・俳優として

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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