わくわくウキウキブログ

山口智子の生い立ち!幼い頃はどんな所で育ったの!実家の家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、最近テレビCMの「imini(イミニ)」に

大好評と、新たに特別キャンペーンに起用された

山口智子さんが出演したTVCMの新バージョンが

放映されている。

「連ドラの女王」と呼ばれている山口智子さん。

そんな山口智子さんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

山口智子の生い立ち!

 

栃木県の南部に位置して、胃袋みたいに

膨らんでいる場所が栃木市です。

胃袋の入り口は宇都宮市、鹿沼市と

栃木県の県庁所在地から胃袋の出口

南部の町はラムサール条約湿地帯に

登録された渡良瀬遊水地(空から見るとハート形)が

夏はたっぷりの水がうるおい、冬は渡り鳥の

宝庫でもあって、水の少ない干拓ができ

餌も豊富な場所です。

栃木市の旅館の娘として生まれた。

市内には巴波川(うずまがわ)が北方から

渡良瀬遊水地に合流している。

長さは30kmで、江戸時代の初め頃から

栃木と江戸を結ぶ舟運による

交通として重要な川だったのです。

かって、渦を巻いて流れていた川から

巴波川と名前が付いたのです。

幼い頃はどんな所で育ったの!

幼い頃から巴波川とは一緒に過した川です。

自宅から巴波川までは歩いて約5分程度のところで

巴波川両側には蔵屋敷が有って

川のほとりを網手道という遊歩道から

川を眺めながら、鯉やフナ、小魚が泳いでいる

様子が手に取るように見えています。

小学校は巴波川の橋を渡って約10分程度の

場所に有り、通学には便利な場所だった。

行き帰りと栃木市の文化財を観乍ら

文学の道を小学時代から学んでいた。

小学3年生の時に両親は離婚しました。

どんな理由であれ、子供には関係ないですが

山口智子さんは父親に引き取られ、

祖母のもとで育てられています。

離婚後、母親は3歳年下の妹と山口智子さんを

連れ出したそうですが、母親のもとを飛び出して実家に戻った。

普段から、学校から帰ったら祖母と一緒に

遊んでいたことが恋しくて祖母になついていた。

両親は母親は3歳年下の妹を引き取り

山口智子さんは父親に引き取られた。

この時から、祖母を「お母さん」と呼んでいます。

そして、母親と妹とは絶縁関係になった。

父親の仕事は、栃木でも老舗旅館「鯉保」

栃木市内の中心部に有って、蔵の街に出かけるのも

近くで便利な場所でした。

祖母は旅館をひとりで切り盛りしていて忙しかった。

こんなことも、週末は良く宴会が有り

山口智子さんは宴会の準備、後片付けの

手伝いをさせられていた。

週末は友達と遊ぶ予定が有っても

祖母からは遊ぶ暇が有ったら家で修業しなさいと

自分を犠牲にしても家業に尽くしていた祖母は

山口智子さんにとっては、ある意味良い反面教師だった。

子供の頃の食卓は一人で食べることが日課で

ハンバーグとヒレカツを食べていた

それも、近所の食堂から出前が届いて

1年のうちハンバーグ定食は300日

残りの65日はヒレカツ定食で

]

自宅の食事は食べた事が無かった。

今でも外食の時はヒレカツ、洋食屋のハンバーグです。

小学校の時に自宅がお客さん相手のサービス業

環境が旅館業だったので普通の主婦に

憧れていました。

小学校を卒業して、中学校は地元の

公立中学校に入学しました。

中学校では陸上部に所属していました。

中学校では模範的な生徒として生徒会長を

務めていました

中学時代の栃木市内には映画館が少なく

隣の宇都宮市内まで行き映画館に行っただけで

補導されたことが有った。

栃木市は当時としては田舎の中学校で

規則に反した生徒が映画を見に行くのは

補導の対象になっていた。

学校から帰って、自宅で宿題を終え

旅館の手伝いをして、友達とも中々遊べなかった。

自宅で勉強は人一倍やっていた。

その結果、中学校を卒業して栃木県内では

古くからの伝統校の県立女子高を一般受験で合格した。

高校に入学して中学時代から陸上部で活動していた事で

陸上部に在籍した。

山口智子さんは父親から幼い頃から旅館の女将さんに

なるようにと言われていて、高校時代は週末、

実家の旅館の手伝いをして友達と週末遊ぶ約束は

できなかった。

高校時代、自転車に乗って通学していた。

自宅の旅館からは歩いても約20分程度

自転車だと10分もかからない。

天気のいい日は自転車で、雨の日はよく休んでいた。

山口智子さんは旅館の手伝いをして、

親の期待に添えるようにと思っていたが

自分自身の進路はこれで良いのかと迷っていた。

現場主義の父親は山口智子さんに実践修行が

大切だと教えて、大学進学を諦めさせていた。

山口智子さんは大学進学するのを諦めきれず

父親に「2年経ったら帰ってくる」という条件を付けて

また、父親に受験せずに進学できる推薦入試の方法を

説得して、高校指定推薦による入学を果たした。

父親は4年制大学とは違い短期大学だったから2年間で

帰ってくるだろうと安心していたのでしょう。

大学生活は女子寮に入り、郷里の子と

友達となって遊んでいたのでしょう。

短大時代は広告研究会に所属し、落語クラブにも所属して活動していた。

二十歳の成人の時に祖母と養子縁組になって

祖母が戸籍上の母親となった。

この養子縁組は山口智子さんを実家の

旅館の跡継ぎにする為だった。

この年に両親は離婚して、母親は家を離れた。

山口智子さんは旅館の跡継ぎが嫌だったので

大学時代にモデルの仕事を始めていた。

モデルの仕事が忙しくなって女子寮を出て

親戚の家に転居しました。

短期大学を卒業後22歳の時に女性芸能人の

登竜門の東レの水着キャンペーンガールに選ばれ

一躍注目された。

そして、実家には帰らず、二年後には演技経験が

なかったにも関わらず、NHKの朝のドラマ

「純ちゃんの応援歌」のヒロインに抜擢され

女優としてデビューしました。

栃木の父親は芸能活動に反対だった。父親を説得して

やっと納得してもらった。

山口智子のプロフィール

実家の家族

  • 祖母:
  • 父親:祖母の息子:江戸時代から続く老舗旅館「鯉保(こいやす)2005年に心不全で他界
  • 母親:離婚
  • 長女:本人
  • 次女:3歳年下

家族

山口智子の生い立ち!幼い頃はどんな所で育ったの!実家の家族は!まとめ

栃木市、今は蔵の街が残る町として観光に

力を入れている栃木市です。

江戸時代から続く老舗旅館の長女として

生まれた、山口智子さんは家業を継ぐ事で

養子になったのですが、自分の道は女将さんではなかった。

一人の女性として、生きる道を幼い頃から

巴波川の川の流れを観乍ら育って

川の流れが、山口智子さんを導いてくれたのは

芸能界絵の道でした。

テレビドラマのヒット作の出演し、

人気も不動のものになって「高視聴率の女王」と

呼ばれていた。

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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