わくわくウキウキブログ

もう中学生の生い立ち!幼い頃は長野市川中島合戦の場所で育った!実家家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、2013年を最後に

テレビに出演する機会がどんどん

減ってしまったもう中学生さんです。

テレビでしょっちゅう見かけてた売れっ子芸人でした。

「タメになったねぇ~」という柔らかなセリフと、

段ボールを使った独特なネタで

子供や女性に人気が有った。

現在はあまりテレビ出演もなくなって

特徴的な芸風で、面白いと子供達に

評判だったのですが、

どうやら芸風が飽きられてしまったことが

原因の一つで現在は「もうちゅう」と

ニックネームを変えて活動している。

そんなもう中学生さんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

もう中学生の生い立ち!

長野県長野市川中島で両親の元

次男として生まれました。

川中島は犀川と千曲川に囲まれた

三角地帯の町です。

川中島と聞けば、今から450年以上前の

戦国時代に甲斐の国を仕切っていた

武田信玄の武田軍と

北信濃や信濃中部の豪族から

助けを求められた越後の国の戦国大名の

上杉謙信との間で12年に及ぶ

長い長い川中島の戦いがおこなわれた場所です。

結局、決着がつかないまま終わりました。

謙信側は11,000人

信玄側は20,000人ですから倍の人数。

それでも謙信側はここが正念場と分かっていて

信玄側と主力同士がはじめて前面衝突した。

川中島の戦いが幕を開けたのです。

幼い頃は長野市川中島合戦の場所で育った!

信玄はこの川中島合戦を経て

川中島一帯を獲得した後に撤退しました。

一方の上杉謙信は、武田軍を北信濃から

追い出す事に成功し、本来の目的は

領地獲得では無かったために

信玄、謙信どちらも勝利したという

認識を生み出しました。

戦後の運動会で川中島の戦いを

4人一組になって赤白のハチマキを

取るゲームが今でも残っている。(陣取り合戦)

そんな場所で育ったもう中学生さんは

父親は画家でイラストレーターの丸田ヒロシさんです。

幼稚園のころからお父さんがバラエティ番組が好きで

もう中学生さんと一緒に共演しています。

学校で色々な事が有ったら母親に相談していました。

小学校から川中島古戦跡までは歩いて

4.6kmあり、約1時間はかかります。

もう中学生さんは自宅に帰って

バラエティ番組を見るのが日課で

物心ついた時からお笑い芸人を

目指していたようです。

当時から好きな芸人はダウンタウン

好きだったようで今も尊敬している芸人です。

バラエティ番組を見ていたセでしょうか

学校でもはしゃぎ回っていた生徒だった。

小学校卒業論文にはタイトル「もう中学生」が

将来はお笑い芸人になりたいとハッキリと志を

文章にして、その気持ちを忘れないように

芸名に「もう中学生」と書いた。

もう中学生さんも小学校を卒業して

地元の公立中学校に入学しました。

中学時代の部活動は陸上部に在籍して

部活動に打ち込んでいました。

陸上部でハードルを担当していた。

運動神経が良く、スポーツは

全般的に得意で好きでした。

中学校で休み時間には一人でミュージシャンの

シャランQさんのモノマネをやっていた。

中学時代から頭の中はお笑い芸人を志て

高校へは進学しないつもりでいた。

お笑い芸人の道を歩こうと決めていた。

しかし、当時の担任から高校進学を

勧められた。

中学校ではすでに、お笑いの道と

身体は向いていたが先生の説得で

高校受験しました。

先生から知識が無いと仕事もできないから

高校は出ておけと言われた。

人と違った仕事をするには

何を学んだらいいのかと考えて

農業高校に進学することを決めた。

中学校時代は陸上部でしたが

農業高校に入学してから硬式野球部に在籍した。

ただし、土日の休みには、どうしても上京して

お笑いライブを観に出かけていた。

川中島駅から電車で特急、高崎から

新幹線を利用して約4時間かけて行っていた。

軟式野球は2年生まで続けていたが

2年生の時に退部した。

退部後は学校が終わると直ぐに帰宅して

ビデオで録画したお笑いを毎日観ていた。

ビデオで面白い場面を落書きして

それが、芸人になった後に活きている。

担任の先生に進路について相談し結果

進路は自分で決める事「好きにやれば」と

言われた。

両親が反対するとは思わなかった。

逆に父親はお笑いが好きだったので

お笑い芸人になることに反対しなかった。

高校卒業後大学に進学せず吉本総合芸能学院(NSC)

東京校に7期生として入学した。

その後、バラエティ番組「ロンドンハーツ」内の

企画「奇跡の一枚」でも大きな話題となった。

NSCは毎日お笑いの勉強ができる

楽しかったそうです。

この頃から段ボール芸を発掘した。

その芸が「何それ?」みたいな反応をされ

ただ好きだからやっていただけと。

物に頼るのはやめなさいとNSCの講師から

言われた。

また、ただ好きだからやっているという

自信の信念を曲げずにやってきた。

当初はグループやコンビで活動していたが

全く芽が出ずその後段ボール芸にたどり着いた。

2009年に「爆笑レッドカーペット」等で

段ボールなどを使ったゆるい芸風を

独特のキャラクターが注目されバラエティ番組に

出演が増えてきたのです。

しかし、徐々にテレビ出演が減ってしまった。

その後2020年頃から有吉弘行さんの

冠番組で再び注目されるようになった。

もう中学生のプロフィール

実家の家族

  • 父親:丸田ヒロシさんは画家です。
  • 母親:丸田マサコ
  • 長男:お兄さん一般の方です。
  • 次男:本人

もう中学生の生い立ち!幼い頃は長野市川中島合戦の場所で育った!実家家族まとめ

長野市の川中島で生まれたもう中学生さんは

幼い頃からお笑いが大好きで

自分の夢を志して、小中高と思いは

お笑いの世界へと、自己満足を自分の物に。

そんなもう中学生はマスターベーションから

一度は脱落したものの、物を持っての芸ではなく

新たな挑戦で、もう中学生さんは

子供から大人まで年齢層をに関係なく

受け入れるもう中学生さん

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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